高品朋
高品 朋(たかしな ほう、1899年(明治32年)9月23日[1] - 1988年(昭和63年)6月4日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
編集千葉県出身[1][2]。1920年(大正9年)5月に陸軍士官学校第32期卒業[3]。同年12月に陸軍歩兵少尉に任官[3]。1929年(昭和4年)陸軍大学校に入学し、1932年(昭和7年)同校第44期卒業[4]。この間、歩兵から航空兵に転科する。
1938年(昭和13年)12月、イラン公使館附武官、1940年(昭和15年)8月、浜松陸軍飛行学校研究部主事、1941年(昭和16年)1月、参謀本部附兼陸軍省軍務局附を経て、同年3月、陸軍航空兵大佐に進む[2]。ついで同年10月、鉾田陸軍飛行学校教官を経て、大東亜戦争に突入すると1942年(昭和17年)4月、飛行第58戦隊長に転じた[5]。1943年(昭和18年)1月、第7飛行師団参謀長に補され[6]、ダーウィン空襲などを指揮する[1]。その後、1945年(昭和20年)3月、陸軍少将に進み、鉾田教導飛行師団司令部附となり、同年5月、鉾田教導飛行師団長に補され、同年7月、第26飛行団長に転じ、栃木で本土決戦に備える中終戦を迎えた[1]。
親族
編集- 兄:高品彪(陸軍中将)
脚注
編集参考文献
編集- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。