五十嵐力助
五十嵐 力助(いがらし りきすけ、1849年(嘉永2年4月[1])- 1902年(明治35年)7月29日[1])は、明治時代の政治家。自由民権運動家。衆議院議員(2期)。
五十嵐力助 いがらし りきすけ | |
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生年月日 | 嘉永2年4月(1849年) |
没年月日 | 1902年7月29日 |
前職 | 士族会議長 |
所属政党 |
(無所属→) 中央交渉会 |
子女 | 長女・きう(海軍中将・上泉徳弥妻) |
選挙区 | 山形県第2選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1890年7月1日 - 1893年12月30日 |
耶麻郡長 | |
山形県会議長 | |
経歴
編集米沢藩士[2]。戊辰戦争では藩の散兵隊に入り三越を転戦した[2]。1877年(明治10年)頃より自由民権を訴えた[2]。米沢中学舎長、士族会議長を経て、1879年(明治12年)山形県会議員に当選し、同議長を歴任した[2]。のち耶麻郡長となったのち岐阜県に奉職し、庶務課長および学務課長を務めた[2]。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では山形県第2区から出馬し当選[1]。つづく第2回総選挙でも当選し衆議院議員を2期務めた[1]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 木戸照陽 編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。