円遵(えんじゅん、延享3年(1746年)11月 - 文政2年10月22日(1819年12月9日))は、江戸時代中期から後期にかけての浄土真宗(高田派)の僧。父は有栖川宮職仁親王の子音仁親王。祖父職仁親王の猶子となる。幼名は季宮。字は徳猷。号は無上上院など。
宝暦3年(1753年)、真宗高田派の本山である伊勢国専修寺に入り、安永7年(1778年)に同寺を継いだ。
寛政9年(1797年)、専修寺内に勧学堂を創建し、学問の奨励に尽力した。
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