奥本保昭
奥本 保昭(おくもと やすあき、1960年 - )は、京都府出身の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは外野手。
花園大学硬式野球部 ヘッドコーチ | |
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基本情報 | |
出身地 | 京都府 |
生年月日 | 1960年(63 - 64歳) |
選手情報 | |
ポジション | 外野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ・監督歴 | |
この表について
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来歴・人物
編集小学生の時に野球を始める[1]。桃山高等学校では、外野手としてプレーし、1978年の京都大会でサイクル安打を放ったが、甲子園への出場を果たすことができなかった[1]。
その後は、大阪体育大学に進学し、南宇治中学校で体育教師として勤務[2]。1986年から新規開校の京都成章高等学校の監督を2006年までに務め、1995年の夏の甲子園で初出場を果たし、1998年の夏の甲子園で準優勝を果たした[1]。
脚注
編集- ^ a b c d e 奥本保昭さんに育成功労賞 元京都成章監督 - 高校野球:朝日新聞デジタル2021年 6月15日 朝日新聞
- ^ 松井浩. “『開校13年の京都成章が、なぜ甲子園で準優勝できたのか?』 奥本保昭 現塔南監督 その① 33年前の大記録と野球運”. 京都の高校野球応援サイト. 京都の名将と甲子園. 2022年5月23日閲覧。