ドラゴン (ニホンザル)
概要
編集生まれつき右手の指は2本、左手の指は3本しかなかった[2]。そのような不自由な手をしていたためか、若い頃のドラゴンは臆病であり、人が傍を通ると泣きそうになっていた[2]。さらには電車に跳ねられたことで、右腕の肘から先を無くすことになった[2]。線路わきで流血する右腕を舐めていたところを発見されるが、治療しようとしたところドラゴンは山へ逃げ去った[2]。それから半年ほどは姿を見せることもなく、死んだものと考えられていたが、ドラゴンは一回り大きい体格になって戻ってきた[2]。戻ってきたドラゴンに気弱さは見られず、群れの中で頭角を現して、やがてはボスザルの地位についた[2]。
面倒見の良い性格をしており、群れの仲間のために戦う際には先頭で戦うことが常であった[1]。群れの体調が悪い子ザルには母ザルと共にドラゴンも子ザルに寄り添って、餌の時間になって母ザルが餌を取りに行っても、ドラゴンは子ザルの元から離れることはなかった[3]。一般的に雄ザルは自分の子を認識する感覚がなく、ドラゴンは父性を持った特異なサルであるとも言える[3]。サルの天敵である野犬が現れた際には、群れのサルが餌を食べている間も自分は木の上に登り、野犬が近づいてこないか見張りをつとめたり、係の人間が近づいた際には威嚇を続けるなど責任感の強いボスザルであった[2]。
このように責任感があることと、片腕という特徴があったため、ドラゴン目当てに高崎山自然動物園を訪れる人も多かった[2]。
1997年1月11日に餌場で目撃されたのを最後にドラゴンは姿を見せなくなり、慣例に従って1か月後に死亡したものと判断された[4]。
出典
編集- ^ a b c “これまでも、 これからも、 サルひとすじ” (PDF). 大分市. 高崎山自然動物園 開園70周年 (2023年3月1日). 2023年6月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 江口絵理「片腕のボス 「ドラゴン」」『高崎山のベンツ 最後の「ボスザル」』ポプラ社、2015年。ISBN 978-4591142615。
- ^ a b “大分市商工労働観光部観光課 大分市高崎山管理センター専門員 下村忠俊(ただとし)さん”. machinoOitan. 2023年6月19日閲覧。
- ^ 『アサヒグラフ』第3897~3904巻、朝日新聞社、1997年、33頁。
- ^ 「高崎山愛され70年、個性的なサル魅力」『読売新聞』2023年3月30日。2023年6月19日閲覧。
- ^ “伝説のサル「ベンツ」が圧勝 高崎山「心に残るサル部門」|秋田魁新報電子版”. 秋田魁新報電子版 (2023年6月20日). 2023年6月21日閲覧。