竹内善次
大日本帝国陸軍軍人
竹内 善次(たけうち ぜんじ、1892年(明治25年)3月29日[1] - 1978年(昭和53年)2月13日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。陸軍の気象分野での第一人者として知られる[1]。
竹内 善次 | |
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生誕 |
1892年3月29日 日本 香川県 |
死没 | 1978年2月13日(85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1892年(明治25年)に香川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期卒業[1]。1936年(昭和11年)8月に陸軍砲工学校気象部長に就任し[2]、1937年(昭和12年)7月に第1野戦気象隊長(北支那方面軍)に転じ[2]、日中戦争に出動[1]。1938年(昭和13年)7月に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、1940年(昭和15年)3月9日に陸軍重砲兵学校研究部主事に転じ[2]、7月23日に下関重砲兵連隊長[2]、1941年(昭和16年)10月に東寧重砲兵連隊長と歴任した[2]。
1943年(昭和18年)2月15日に津軽要塞司令官に就任し[1]、3月1日に陸軍少将に進級した[2]。1944年(昭和19年)5月に陸軍気象部長・陸軍中央気象部長となり[3]、1945年(昭和20年)1月19日に陸海軍気象委員会委員長に任命された[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。