菊地規
日本の教育者
菊地[注釈 1] 規(きくち のりみ、1923年[注釈 2](大正12年)2月17日[1] - 1989年(平成元年)1月26日[2][3])は、日本の教育者。作詞家。『北上夜曲』作詞者。
来歴
編集岩手県江刺郡田原村(のち江刺郡江刺町→江刺市、現・奥州市)出身[4]。岩手県立水沢農学校(現岩手県立水沢農業高等学校)を経て、岩手師範学校(現・岩手大学教育学部)卒[1][3][4]。羽田、藤里各国民学校、藤里、厨川各中学校に勤務[1]。1961年(昭和36年)日本音楽著作権協会正会員、1963年(昭和38年)日本作詞家協会会員[1]、1967年(昭和42年)岩手県教育委員会社会教育主事[1]、のち、葛巻小、雫石中、の各校長を務め、1983年(昭和58年)に緑ヶ丘小校長で定年を迎えた[5]。定年後は岩手県社会教育指導員協議会会長、県民運動協議会参事などを歴任した[1]。
水沢農学校在学中に『北上夜曲』を作詞、地元の男子学生の間で広まった。戦後、この曲は歌声喫茶から当時は作者不明の歌として広まり、1961年に大ヒットすることとなった[5]。