丸田幸治
丸田 幸治(まるた こうじ、1880年〈明治13年〉2月20日 - 1945年〈昭和20年〉2月26日)は、明治期から昭和期にかけての大日本帝国海軍の軍医。最終階級は海軍軍医少将。
経歴
編集新潟県長岡市に生まれる[要出典]。旧制新潟県立長岡中学校を経て[1]、京都帝国大学医科大学を卒業する。1908年(明治41年)海軍中軍医に任官。1917年(大正6年)九州帝国大学大学院を経て、海軍軍医学校教官等を歴任する。[要出典]1931年(昭和6年)海軍軍医少将となる[2]。
なお長岡高等学校同窓会名簿には「丸田幸二」との記載もある[要出典]。
親族
編集長男は、海軍軍医の丸田吉人。レイテ沖海戦で重巡洋艦鳥海の軍医長として乗艦し戦死。丸田吉人は井上成美大将の長女(一人娘)・靚子の配偶者である。
丸田幸治の孫は丸田研一で『わが祖父井上成美』(徳間書店)の著者。丸田研一の父方の祖父が丸田幸治で、母方の祖父が井上成美である。