松山北斗

日本のドリフトレーサー

松山 北斗(まつやま ほくと、1989年7月7日 - )は三重県出身のドリフトドライバーD1グランプリ(D1GP)やフォーミュラ・ドリフト ジャパン(FDJ)に参戦する。本職はトヨタ自動車株式会社の社員(開発ドライバー)。

松山 北斗
まつやま ほくと
基本情報
生年月日 (1989-07-07) 1989年7月7日(34歳)
出身地 日本の旗 日本三重県名張市
D1グランプリ(D1GP)およびフォーミュラ・ドリフト ジャパン(FDJ)での経歴
デビュー 2015年(D1GP)
2019年(FDJ)
所属 Team TOYO TIRES DRIFT 2(D1GP)
Cusco Racing(FDJ)
車番 77(D1GP)
774(FDJ)
過去所属 +LenoRacing watanabe
TMAR
FAT FIVE RACING
GOODYEAR Team ST. GARAGE
GOODYEAR Racing with ST.GARAGE
優勝回数 2(D1GP)
1(FDJ)
選手権タイトル
2013 D1地方戦全国大会
受賞
2015 D1グランプリ 新人賞

プロフィール 編集

来歴 編集

三重県名張市で生まれ育つ[3]。2007年、富士スピードウェイで開催されたSUPER GTの前座の織戸学谷口信輝によるドリフトを見たことが、ドリフトを始めるきっかけとなった[3][2]

高校は愛知県トヨタ工業学園に進み、卒業後就職に伴い静岡県に転居[4]AE86カローラレビンでドリフトを始め、約2年後にS13型シルビアに乗り換える。トレーニングを重ね、富士スピードウェイのドリフトコースでのコンテストで好成績を収めるようになる[3][4]

2013年、D1地方戦全国大会(MSF SHOOTOUT)優勝によりD1GPライセンスを獲得[3]

2015年、GOODYEAR Racing with ST.GARAGEより、JZX100型のトヨタ・チェイサーでD1GPへシリーズ参戦。参戦初年度ながら第3戦筑波で6位、第6戦お台場で4位と好成績を残し、D1GP史上唯一となる新人賞を獲得[3]

2016年、第4戦筑波にて準優勝[5]

2017年はマシンをJZX110型のトヨタ・マークIIに変更した。

2018、2019年はD1GPへの参戦を休止。2019年はFDJに参戦を行っており、第3戦富士では6位に食い込んでいる。

2020年、D1GPに3年ぶりに復帰すると同時に、斎藤太吾率いるFAT FIVE RACINGに移籍。同時に使用タイヤもグッドイヤーからTOYO TIREへ変更。新規に製作したA90スープラでD1GPにシリーズ参戦[6]。第6戦エビス西にて3位入賞と単走優勝を果たした[7]

2021年も昨年と同様の体制でD1GPに参戦。開幕戦奥伊吹で単走優勝、総合でも3位表彰台を獲得すると、翌日同地で開催された第2戦でも単走優勝を果たす。また第9戦オートポリスでは準優勝し、シーズンをA90スープラ勢最上位の総合8位で終えた。

2022年はTMARから斎藤太吾・上野高広中村直樹とともにD1GPへ、またFDJにも同チームから斎藤とともに参戦する。マシンはD1GPでは引き続きGRスープラを、FDJではGR86を使用。7月にFDJの第3戦SUGOで初優勝を飾ると8月のD1GP第5戦エビス西でも優勝。D1GPはシーズンを8位で終え、FDJは初参戦ながらシリーズチャンピオンに輝いた[8]

2023年は、D1GPには+LenoRacing watanabeからGRスープラで、FDJにはCusco Racingから同じくGRスープラで参戦。D1GPでは最終戦お台場での優勝含め4度表彰台に立ち、シリーズを2位で終えた。FDJでも第1戦鈴鹿ツインと第5戦奥伊吹で3位を獲得するなど活躍し、シリーズランキング7位となった。

2024年はD1GPにFR化したGRカローラで参戦する[9]

人物 編集

  • 運転免許取得後最初に購入した車は先述のAE86。
  • 普段はトヨタ自動車の東富士研究所に勤務しており、テストドライバーとして製品開発業務へ携わる[2]。D1GPを含めたドリフト競技は完全にプライベートな活動であり、サラリーマンとして勤めながら年間50回以上の走行会に参加している[10]ほか、出勤前の早朝や、退勤後の夜間に自身の屋外ガレージで作業する様子がTwitter等に投稿されている[11]
  • 吉野家の牛丼が好物[要出典]

脚注 編集

外部リンク 編集