村岡 斎(むらおか ひとし、? - 1923年9月1日)は、日本の印刷業者。聖書印刷で知られる福音印刷合資会社(後の福音印刷株式会社)設立者・村岡平吉の五男。出版業者・印刷業者の村岡儆三(翻訳家・村岡花子の夫)を兄に持つ[1]

むらおか ひとし
村岡 斎
Hitoshi Muraoka 1910.jpg
1910年、イギリスへの留学直前
死没 1923年9月1日
神奈川県横浜市
死因 関東大震災での被災
国籍 日本の旗 日本
出身校 学校法人明治学院
職業 印刷業者
活動期間 ? - 1923年
活動拠点 神奈川県横浜市
肩書き 福音印刷株式会社常務取締役
宗教 キリスト教プロテスタント
配偶者 村岡巴(三共創業者・西村庄太郎の次女)
村岡平吉
親戚 村岡儆三(兄)
村岡花子(義姉)
賀川ハル(従姉妹、賀川豊彦の妻)
村岡希美(大姪。弟の孫)

明治学院を卒業後にロンドンに留学。3年後、最新の印刷技術を学んで帰国し[1]、福音印刷の横浜工場の責任者として[2]、父の事業を助けた。後に製薬会社・三共の創業者の1人である西村庄太郎の次女・巴と結婚する。村岡平吉と西村は共に横浜指路教会設立に携った朋友同士であり、両家は親戚同然の付合いであった[1]

1922年大正11年)に父が没した後、兄の儆三とともに福音印刷を引き継いで常務取締役となり、専務取締役兼支配人となった儆三、文学業を志す義姉の花子と3人で、福音印刷と印刷業界の将来を盛り立てることを志した[3]

1923年(大正12年)、経済界一連の不振から生じた多数の実務処理を儆三が請け負い、斎は横浜工場での業務を引き受けた。同年9月1日の関東大震災の際、倒壊した社屋の下敷きとなり、社員約70名とともに死亡した[2]。妻との間の長男が1歳を迎えた矢先のことであった[3]

学者肌の儆三に対して、斎は父譲りの実業家肌であり、その斎が失われたことで儆三は震災後、容易に役員たちに足をすくわれることとなり、福音印刷倒産の遠因となった[3]

脚注編集

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  1. ^ a b c 村岡 2011, pp. 150-160
  2. ^ a b 村岡 2014, p. 61-2
  3. ^ a b c 村岡 2011, pp. 194-205

参考文献編集

  • 村岡恵理『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』新潮社新潮文庫〉、2011年8月(原著2008年)。ISBN 978-4-10-135721-8
  • 村岡恵理他『花子とアンへの道 本が好き、仕事が好き、ひとが好き』村岡恵理編、新潮社、2014年3月25日。ISBN 978-4-10-335511-3