大西 猪之介(おおにし いのすけ、1888年明治21年)12月28日 - 1922年大正11年)2月8日)は日本経済学者。専攻は経済哲学・経済思想史。

経歴

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京都市上京区に生まれる。1905年京都市立商業学校を卒業し神戸高等商業学校(現・神戸大学)に入学。津村秀松に師事し、1909年、500頁に及ぶ卒業論文「帝国主義論」を提出(のち刊行)して卒業し東京高等商業学校専攻科(現・一橋大学)に入学。關一の指導を受け、關の退官後は福田徳三の指導を受けた[1]1911年には卒論「社会主義に関する研究」を提出し卒業し、同年小樽高等商業学校小樽商科大学の前身)講師、小樽高等商業学校図書館主幹に就任[2]

1913年、同校の教授に昇任し、同年1月から1917年8月まで「経済学及商業学研究」のためヨーロッパに留学した。ドイツ滞在中の1914年には第一次世界大戦の勃発に遭遇しイギリスに移り、さらにフランスイタリアアメリカ合衆国を回って帰国し、小樽高商の名物教授として知られ多くの学生に慕われた。イギリス時代には、小泉信三と毎日ともに論じ合い親交を深めた。1921年図書館主幹。1922年末、社会政策学会の年次大会に出席するため東京に赴いたところ、偶然駅で親族である栗林氏と会い、牡蠣を食べたところ体調を崩し、小樽に戻ったのち腸チフスと診断され、入院加療するも翌1922年死去。享年34。墓所は東京・青山にある。

大西の夭折は多くの人に惜しまれ、没後1927年、同僚の南亮三郎らによって『大西猪之介経済学全集』全11巻が刊行された。

著書

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  • 『帝国主義論』
  • 『囚はれたる経済学』
  • 『伊太利亜の旅』

家族

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妻 大西(水梨)美穂

娘 村井(大西)貞子

娘婿 村井七郎

参考文献

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  • 上久保敏 『日本の経済学を築いた五十人 ノン・マルクス経済学者の足跡』 日本評論社2003年 ISBN 4535553645
    • 「大西猪之介の『囚はれたる経済学』 - 夭折した日本経済学界の鬼才」(pp.143-148)。
  • 小樽高商史研究会 『小樽高商の人々』 小樽商科大学、2002年
    • 第二編第一章「ヨーロッパとの出会い - 大西猪之介と『囚はれたる経済学』」(今西一執筆、pp.71-83)。

出典

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  1. ^ 大学めぐり : 商業・経済を講ずる人々 図書 木全秀雄 著 同文館, 1955
  2. ^ 歴代附属図書館長・図書館運営委員会委員名簿・事務組織小樽商科大学
先代
新設
小樽高等商業学校図書館主幹
1911年 - 1912年
次代
井浦仙太郎
先代
國松豊
小樽高等商業学校図書館主幹
1921年 - 1923年
次代
武田英一