みなみらんぼう
日本のシンガーソングライター
みなみ らんぼう(本名:南 寛康(みなみ ひろやす)、1944年12月13日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、俳優。
みなみ らんぼう | |
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出生名 | 南 寛康 |
生誕 | 1944年12月13日(78歳) |
出身地 |
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学歴 | 法政大学社会学部卒業 |
ジャンル | フォーク |
職業 | シンガーソングライター |
活動期間 |
1971年 - (歌手としては1973年 - ) |
公式サイト | BravoRambow |
「らんぼう」という芸名はフランスの詩人アルチュール・ランボーにあやかったものである。
宮城県栗原郡志波姫町(現・栗原市)生まれ。プロボクシング元WBA世界スーパーフライ級王者の河野公平は娘婿に当たる[1]。
来歴 編集
1963年、法政大学社会学部に入学、1967年に卒業。その後、コピーライター、ラジオ台本作家を経て1971年、日活映画『ネオン警察 ジャックの刺青』挿入歌『酔いどれ女の流れ唄』[2]で作詞・作曲家としてデビュー。1973年に『ウイスキーの小瓶』[注釈 1]で歌手デビューした。
また、子供の世界を対象とした作品も多く手掛け、1976年にNHK『みんなのうた』で発表した『山口さんちのツトム君』は150万枚以上のミリオンセラーを記録した。さまざまな世代を越えて、多くの人に歌われている。他に1980年代、学研の「学習・科学」のキャンペーンソングも手がけた。コンサート活動の他、テレビのリポーター、ラジオパーソナリティー、執筆活動といった方面でマルチに活躍している。
自然に関する知識もプロ並で、特に植物に関しては造詣が深く、自然番組や自然を扱ったエッセイなども書いている。エッセイ「おばあちゃんと花」では中学生の国語教科書に採用されている。最近では山歩きをライフワークとし、国内外の山に登り、新聞・雑誌などに山旅のエッセイを発表している。NHKラジオ第1およびNHK-FMの『ラジオ深夜便』・日曜0時台のコーナー「ないとガイド 自然を親しむ」において、奇数月にゲスト出演していた時期もある。
ディスコグラフィ 編集
アルバム 編集
- 武蔵野詩人〜みなみらんぼうの世界(1974年)
- らんぼう氏の感傷旅行(1975年)
- 少年の日の情景(1975年)
- 途上にて(1977年)
- 語り尽くせない5月(1978年)
- ウィスキードリーム(1978年)
- あけぼの町日誌(1979年)
シングル 編集
- ウイスキーの小瓶(1973年)
- 賑やかな酒場(1975年)
- 別れのバス(1976年)
- 途上にて(1977年)
- 男と女・昭和編(1978年) - 井出せつ子、みなみらんぼう[注釈 2]
- 金魚鉢の中にアメリカが見えた(1978年)
- 愛は熱いうち(1984年) - 味の素「ほんだし」CM曲
楽曲提供 編集
- NHK『みんなのうた』
- 山口さんちのツトム君(1976年)
- ユミちゃんの引越し 〜さよならツトム君〜(1976年)
- 虫歯の子どもの誕生日(1978年)
- 泣いていた女の子(1979年)
- 星うらないキラキラ(1983年)
- 雪祭り(1984年)
- クマのぬいぐるみ(1987年)
- 川はだれのもの?(1995年)
- フジテレビ『ママとあそぼう!ピンポンパン』
- アメリカ生まれの日本の子
- 海のだいかぞく
- チュンパラ・ブギ
- フジテレビ系アニメ『フーセンのドラ太郎』
- フーセンのドラ太郎(1981年)
- ドラ太郎音頭
- 日本テレビ『ロンパールーム』
- 一丁目の角のうさぎさん(1975年)
- お手玉運動会(1975年)
- みどりせんせいのみ(1978年)
CM
- 競馬ブックの歌
映画出演 編集
- 北村透谷 わが冬の歌(1977年 三映社 / ATG)主演・透谷役
- いのちの停車場(2021年、東映) - 柳瀬尚也 役
ドラマ出演 編集
出演番組 編集
脚注 編集
注釈 編集
出典 編集
- ^ “河野公平、結婚のみなみらんぼう長女に勝利を”. 日刊スポーツ. (2015年10月8日)
- ^ “ネオン警察 ジャックの刺青 | 映画”. 日活. 2022年10月14日閲覧。
- ^ “中村雅俊 “幻のデビュー曲”を語り目に涙「これがなければ今の中村もいない」”. スポーツニッポン (2019年11月27日). 2019年11月28日閲覧。
- ^ あまり売れなかったが なぜか愛しい歌38、阿久悠オフィシャルサイト「あんでぱんだん」 - 2021年7月5日閲覧。
関連項目 編集
外部リンク 編集
- BravoRambow(公式サイト)