アストラハン・ハン国
タタール語: Әстерхан ханлыгы
ノガイ語: Хаҗитархан Ханлыгы
ジョチ・ウルス 1466年 - 1556年 ロシア・ツァーリ国
アストラハンの位置
アストラハン・ハン国
公用語 タタール語ノガイ語
首都 アストラハン
ハーン
1466年 - 1490年 カシム1世
1554年 - 1556年デルヴィシュ
変遷
建国 1466年
モスクワ大公国への併合1556年

アストラハン・ハン国(アストラハン・ハンこく、タタール語: Әстерхан ханлыгыノガイ語: Хаҗитархан Ханлыгы)は、15世紀から16世紀にかけてヴォルガ川下流域、カスピ海北岸にあったテュルク(タタール)系アストラハン・タタール人の国家。首都アストラハン

歴史

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ヴォルガ川右岸は、中世からハッジ・タルカーン英語版Xacitarxan)またはアストラハン(Actarxan)と呼ばれていた。最古の記録は1333年である。13世紀から14世紀にはジョチ・ウルスの貿易と政治の中心地となった。

ジョチ・ウルスが弱体化した後、カザン・ハン国クリミア・ハン国などとともに独立。カーシム・ハン(在位:1466年 - 1490年)によって1466年ごろに創始された。その後を継いだ弟アブドゥル・カリーム・ハン(在位:1490年 - 1504年)のときに大きく発展。水陸の交通、交易の要衝として繁栄したが、クリミア・ハン国など周辺の諸国家から絶えず襲撃を受けた。

1552年にカザン・ハン国を征服したロシアイヴァン4世(雷帝)は、1554年、アストラハン・ハン国を従属国化する。君主デルヴィーシュ・ハン英語版クリミア・ハン国と共にこの一帯からのロシア人駆逐を図ったが、イヴァン4世は1556年軍隊を送りアストラハン・ハン国をロシアに併合した[1]。デルヴィーシュ・ハンはアゾフの要塞に逃亡した。

歴代のハン

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参考文献

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  1. ^ 三上正利「シベリアの開拓と人口」『人文地理』第4巻第2号、1952年、94-108,173、doi:10.4200/jjhg1948.4.94