アトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアム

アメリカ合衆国の野球場

アトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムAtlanta-Fulton County Stadium)は、アメリカジョージア州アトランタにかつて存在したスタジアムMLBアトランタ・ブレーブスが1966年から1996年まで、NFLアトランタ・ファルコンズが1966年から1991年まで、それぞれ本拠地にしていた。

アトランタ・フルトン・
カウンティ・スタジアム
The Launching Pad
アトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムの位置(アトランタ内)
アトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアム
施設データ
所在地 Lakewood Station
Atlanta, GA 30315
座標 北緯33度44分20.4秒 西経84度23分20.4秒 / 北緯33.739000度 西経84.389000度 / 33.739000; -84.389000座標: 北緯33度44分20.4秒 西経84度23分20.4秒 / 北緯33.739000度 西経84.389000度 / 33.739000; -84.389000
起工 1964年4月15日
開場 1965年
閉場 1996年10月24日
取り壊し 1997年8月2日
所有者 アトランタ市 、フルトン郡
グラウンド 天然芝
建設費 1,800万ドル
設計者 Heery & Heery 、
Finch, Alexander, Barnes,
Rothschild & Paschal
建設者 Thompson & Street Co.
旧称
アトランタ・スタジアム (1965-1976)
使用チーム • 開催試合
アトランタ・ブレーブス(1966年 ~ 1996年)、
アトランタ・ファルコンズ(1966年 ~ 1991年)
収容人員
52,013人(野球) 、62,000人(アメフト)
グラウンドデータ
球場規模 左翼 - 330 ft(約100.6 m)
左中間 - 385 ft(約117.3 m)
中堅 - 402 ft(約122.5 m)
右中間 - 385 ft(約117.3 m)
右翼 - 330 ft(約100.6 m)
バックネット - 59.92 ft(約18.3 m)
フェンス 10 ft(約3.0 m)

球場の歴史

編集

1964年3月5日、ミルウォーキー・ブレーブスが「新球場が完成したら1966年シーズンにアトランタに移転」を決定した。プロ・スポーツ球団の誘致を目指していたアトランタ市はこれを受けて同年4月15日に新球場の建設を開始。同年6月30日には、NFL機構が1966年シーズンからアトランタに新球団を創設すると発表した。

工事は急ピッチで進み、1965年の野球シーズン開幕時期に完成した。しかし、ミルウォーキー・カウンティ・スタジアムとの賃貸契約がまだ残っていたブレーブスは、アトランタ新球場の完成にもかかわらず予定通り1966年まで移転を待つこととなった。そのため、1965年はマイナーリーグのアトランタ・クラッカーズが本拠地として使用した。

1966年4月12日、ブレーブスが移転後初の試合を開催。これまでボストンミルウォーキーで不人気に喘いでいたブレーブスだが、新本拠地初試合には51,500人のファンを動員した。9月11日にはNFL新球団のファルコンズも初試合を開催し、54,418人の観客がスタジアムに駆けつけた。

しかしその後、両球団の人気は対照的になる。ファルコンズが50,000人以上の観客を何度も動員するのに対し、ブレーブスの人気が長く続くことはなく、1970年代には年間観客動員100万人未満が8年続いた時期もあった。1976年には新オーナーのテッド・ターナーを中心に様々なアトラクションを企画したが、これも功を奏しなかった。

さらに、両球団は共にグラウンド・コンディションに不満を持っていた。兼用球場では珍しく、人工芝ではなく天然芝を採用していたのだが、球場専属のグラウンドキーパーが1990年になるまでいなかったため、フィールドはひどく荒れていた。

1984年にはファルコンズが新スタジアムの計画を開始。1992年にはジョージア・ドームへ移転した。1980年代後半にはブレーブスも新球場計画を検討し始めた。1996年の夏季五輪がアトランタで開催されることが決まると、ブレーブスとアトランタはセンテニアル・オリンピックスタジアムを大会終了後に野球場に改装する計画に合意した。

1996年7月20日から8月2日の間、五輪野球が開催された。同年10月24日、ヤンキースとのワールドシリーズ第5戦がこの球場での最終戦となった。

1997年8月2日に爆破解体され、現在はターナー・フィールドの駐車場になっている。しかしフィールドの輪郭は駐車場に残され、本塁や各ベース、そして1974年4月8日にハンク・アーロンベーブ・ルースの大リーグ記録を更新した通算715本目のアーチの落下点が印されている[1]

主要な出来事

編集

野球

編集
  • 1966年4月12日、ブレーブスの新本拠地初試合(パイレーツ 3 - 2 ブレーブス)。
  • 1968年7月14日、ハンク・アーロンが通算500本塁打を達成。
  • 1971年4月27日、ハンク・アーロンが通算600本塁打を達成。
  • 1972年7月25日、オールスターゲーム開催(ナ 6x - 5 ア)。
  • 1973年7月21日、ハンク・アーロンが通算700本塁打を達成。
  • 1973年8月5日、フィル・ニークロパドレス戦でノーヒットノーランを達成した(ブレーブス 9 - 0 パドレス)。
  • 1974年4月8日、ハンク・アーロンがベーブ・ルースの大リーグ記録を破る通算715本塁打を達成した。
  • 1978年8月1日、レッズピート・ローズの連続試合安打が44試合で途切れた。
  • 1996年7月20日 - 8月2日、アトランタ・オリンピック開催。キューバが日本を破り金メダルを獲得。
  • ワールドシリーズ開催:1991年1992年1995年1996年
  • 1996年10月24日、ヤンキースとのワールドシリーズ第5戦で閉場(ヤンキース 1 - 0 ブレーブス、ヤンキース3勝2敗に)。

脚注

編集
  1. ^ ハンク・アーロン、人種差別乗り越え「715」本”. サンスポ (2012年8月21日). 2019年9月23日閲覧。
開催イベントとテナント
前本拠地:
ミルウォーキー・カウンティ・スタジアム
1953 - 1965
アトランタ・ブレーブスの本拠地
1966 - 1996
次本拠地:
ターナー・フィールド
1997 - 2016
前本拠地:
n/a
-
アトランタ・ファルコンズの本拠地
1966 - 1991
次本拠地:
ジョージア・ドーム
1992 - 2016
先代
タイガー・スタジアム
1971年
MLBオールスターゲーム
開催場
第43回(1972年
次代
ロイヤルズ・スタジアム
1973年