ウラワ・ロックンロール・センター

ウラワ・ロックンロール・センター(URC)は、1970年代から1980年代にかけて、埼玉県浦和市(現:さいたま市)で活動を行っていた音楽プロデュース集団[1]

※同じく「URC」と略されることがある「アングラ・レコード・クラブ」とは無関係。

概要 編集

1960年代末から埼玉県内でレコード・コンサートを開催していた大学生4名が中心となり1970年10月に結成された[1][2]。略称はURC。

浦和市(当時)は、東京までのアクセスがよく、若者は音楽イベントや政治イベントに参加するために東京(例えば日比谷)に出かけていた。しかし、日常生活を送る浦和から、わざわざ東京にいかなければいけないことへの異議として、浦和を拠点としたロック・フェイスティバル開催を目論むようになった[2]

1987年に事務所を閉めるまで、浦和を拠点として、営利目的ではないかたちでロック・フェスティバルなどのイベントを企画・開催した。イベントには、四人囃子、安全バンド、頭脳警察だててんりゅうタージ・マハル旅行団オノ・ヨーコプラスティック・オノ・バンドなど、さまざまなグループが出演したことがある。

企画した代表的なイベントは1973年から浦和さくら草公園で開催された「田島ヶ原野外コンサート」で、入場料を自分で決めて払うというシステムを導入していた。

略歴 編集

1969年9月、埼玉ベ平連でも活動していた大学生が、ローリング・ストーンズにちなんだ「黒くぬれ!」と題したレコード・コンサートを開催。ロック・ミュージックの意義を伝えるためには文字メディアだけでは限界があり、レコード・コンサートという形式を用いた[2]。「浦和において(恐らく埼玉県全体においても)初めて自覚的なロック・イベントが開かれた日であった」という[3]。その後もレコード・コンサートを複数開催する。

1970年10月、「ジミ・ヘンの魔法のランプ」と題したジミ・ヘンドリックス追悼レコード・コンサートを開催。70名ほどが参加した[3]。このイベントを機に、大学生4名によってウラワ・ロックンロール・センターが結成される。12月、浦和の寺院・玉蔵院の境内で「玉蔵院ロック・フェスティヴァル」を開催。URCが初めて開催したライブ・イベント。ブルース・クリエイションや、ザ・サンニン(四人囃子の前身バンド)などが出演した。

1973年9月、「田島ヶ原野外コンサート」を開催。URC最大のイベントとして、1978年まで開催。1983年、「田島ヶ原野外コンサート」の再開を企画するも、台風により中止[1]

1985年、「田島ヶ原野外コンサート」再開。

1986年、「田島ヶ原野外コンサート」再開第2回目を開催。P-MODEL町田町蔵が出演。

1987年、事務所を閉鎖。

2018年、URCのイベントでの録音をまとめた22枚組CDボックス・セット『ウラワ・ロックンロール・センターの軌跡』(FJSP337/357)発売。

脚注 編集

  1. ^ a b c 保科好弘. “ユニークな行動原理によって状況切り開いた企画グループ”. CDボックス『ウラワ・ロックンロール・センターの軌跡』ライナーノーツ: 15-17. 
  2. ^ a b c 峯岸智行 (2009). “70年代初頭の口ック・ミュージックの受容一一ウラワ・ロックンロール・センターを事例として一一”. 日本アジア研究 (6): 141-156. 
  3. ^ a b chronology 1967-1971 | ウラワ・ロックンロール・センター”. urawarocks.net. 2022年4月23日閲覧。

外部リンク 編集