エミール・テオフィール・ムーシェ(Emile Theophile Mouchet、1845年 - 1895年12月3日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したフランス鉱山技師である。

経歴・人物

編集

サン=テティエンヌの鉱山学校卒業。1869年(明治2年)日本政府の招聘により夫人と共に来日した。

工部省が経営する生野銀山に雇われ、1875年(明治8年)7月25日から8月1日までは三池に在住し、同省が経営する三池炭坑にも雇われ、鉱質調査を行った。これによって、同炭坑が所有する勝立坑の開鑿の計画に携わった。1877年(明治10年)には同年帰国した同じ鉱山学校出身のジャン・フランシスク・コワニエの後継者としてその銀山の技師長を務めた。

1880年(明治13年)、任期満了により離日し、カナダに移住した。なお、ムーシェが計画した勝立坑の工事は帰国後の1885年(明治18年)11月13日に開始され、1898年(明治28年)4月1日に操業が開始している(1928年昭和3年)6月16日に閉坑)。

出典

編集

外部リンク

編集