リーズ公爵英語: Duke of Leeds)は、かつて存在したイングランド貴族公爵位。

リーズ公爵

紋章記述

Arms:Quarterly: 1st and 4th, per quarter Ermine and Azure over all a Cross Or (Osborne); 2nd, Gules an Eagle with two heads displayed between three Fleurs de lis Argent (Godolphin); 3rd, Sable a Lion rampant Argent on a Canton of the last a Cross Gules (Churchill) Crests:1st: An Heraldic Tiger passant Or tufted and maned Sable (Osborne); 2nd: A Dolphin embowed Sable (Godolphin) Supporters:Dexter: A Griffin Or; Sinister: An Heraldic Tiger Argent, each gorged with a Ducal Coronet Azure
創設時期1694年5月4日
創設者ウィリアム3世 / メアリー2世
貴族イングランド貴族
初代初代公トマス・オズボーン
最終保有者12代公ダーシー・オズボーン英語版
付随称号カーマーゼン侯爵
ダンビー伯爵
オズボーン子爵
ラティマー子爵
オズボーン男爵
コンヤーズ男爵(1784-1859)
ネイスのダーシー男爵(同上)
ゴドルフィン男爵(1859-1963)
現況廃絶
断絶時期1964年3月20日
モットーPax in Bello(Peace in war)

初代カーマーゼン侯爵トマス・オズボーン1694年に叙されたのに始まり、以降12代にわたって継承されたが、1964年に継承者が絶えて廃絶した。

歴史

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リーズ公爵オズボーン家の紋章
 
初代リーズ公爵トマス・オズボーンの肖像画

オズボーン家で最初に称号を受けたのは、エドワード・オズボーン(1596-1647) である。彼はイングランド議会庶民院議員を務め、1620年7月13日準男爵位を与えられた[1]

その息子である第2代準男爵トマス・オズボーン (1637-1742) が一気に公爵まで昇進した人物である。彼も庶民院議員として政界入りし、1673年にチャールズ2世の重用により大蔵卿に任命され、1678年に議会から弾劾されて失脚するまで国政を主導した。議会内に与党勢力「宮廷派」を形成することに努めた人物として知られる。名誉革命にも尽力したため、革命後の国王ウィリアム3世からも信任された[2][3]。その間、爵位を次々と与えられ、1673年2月2日にはスコットランド貴族爵位「パース州におけるダンブレーンのオズボーン子爵 (Viscount Osburne, of Dunblane in the County of Perth) 」、1673年8月15日にはイングランド貴族爵位「ヨーク州におけるダンビーのラティマー子爵 (Viscount Latimer, of Danby in the County of York) 」と「ヨーク州におけるキヴァートンのオズボーン男爵 (Baron Osborne, of Kiveton in the County of York)」、1674年6月27日には「ダンビー伯爵 (Earl of Danby) 」、1689年4月9日には「カーマーゼン侯爵 (Marquess of Carmarthen) 」、そして1694年3月20日に「リーズ公爵 (Duke of Leeds) 」に叙せられた[4]。初代公の死後、これらの爵位は初代公の男系男子によって継承されていく。

5代公フランシス (1700-1799) は第一次小ピット内閣において外務大臣(在職1783年-1791年)を務めたことで知られる[5]

5代公の最初の妻であるアメリア・ダーシーは、議会召集令状英語版によるイングランド貴族爵位(男子がない場合に他に同じ親の女子 / 女系がなければ女子 / 女系相続可能)である「ネイスのダーシー女男爵 (Baroness Darcy de Knayth) 」と「コンヤーズ女男爵 (Baroness Conyers) 」を継承していた。そのため、5代公とアメリアの間の子である6代公ジョージ (1755-1838) は、母の死後にこの2つの男爵位を継承した。

さらに6代公の死後にはその長男である7代公フランシス・ダーシー=オズボーン (1798-1859) に継承されているが、7代公には子供がなく、7代公の死後、リーズ公爵位は5代公の次男初代ゴドルフィン男爵フランシス英語版 (1777-1850) の長男・第2代男爵ジョージ・ゴドルフィン・オズボーン (1802-1872) に継承され、一方ダーシー男爵位とコンヤーズ男爵位は6代公の娘の子であるサックヴィル・レーン=フォックスに継承された。したがって8代公以降の当主はダーシー男爵位とコンヤーズ男爵位を持たず、代わりに連合王国貴族爵位「ゴドルフィン男爵 (Baron Godolphin) 」を所持している[6][7]

その後、11代公まで8代公の直系で相続されたが、11代公ジョン (1901-1963) には娘しかなかった。そのため彼の死後には初代ゴドルフィン男爵フランシスの三男シドニー・ゴドルフィン・オズボーン英語版(1808-1889) の孫であるダーシー・オズボーン英語版(1884-1964) が12代リーズ公爵位を継承した。しかし彼も襲爵から1年たらずで子供無く死去した。他に継承資格者はなかったので、12代公の死をもってリーズ公爵位とすべての付随爵位が廃絶となった[4]

一覧

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オズボーン準男爵 (1620年)

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リーズ公 (1694年)

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出典

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  1. ^ George Edward Cokayne Complete Baronetage, Vol. 1 1900
  2. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 186.
  3. ^ 今井宏(編) 1990, p. 246.
  4. ^ a b Heraldic Media Limited. "Leeds, Duke of (E, 1694 - 1964)". Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage (英語). 2015年11月25日閲覧
  5. ^ 坂井秀夫 1982, p. 71-112.
  6. ^ Heraldic Media Limited. "Darcy de Knayth, Baron (E, 1332)". Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage (英語). 2015年11月25日閲覧
  7. ^ Heraldic Media Limited. "Conyers, Baron (E, 1509)". Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage (英語). 2015年11月25日閲覧

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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