オレグ・ロボフ

ロシアの政治家(1937-2018)

オレグ・イワノヴィチ・ロボフロシア語: Оле́г Ива́нович Ло́бовOleg Ivanovich Lobov1937年9月7日 - 2018年9月6日[1])はソビエト連邦および、ロシア政治家ロシア共和国第一副首相であったが、1991年8月クーデター後、ロシア共和国首相であったイワン・シラーエフが新設されたソ連国民経済管理委員会委員長に転じたため、短期間首相代行を務めた。その後、ロシア連邦安全保障会議書記に転出した。

オレグ・ロボフ
Олег Иванович Лобов
生年月日 (1937-09-07) 1937年9月7日
出生地 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国旗 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国キエフ
没年月日 (2018-09-06) 2018年9月6日(81歳没)
死没地 ロシアの旗 ロシアモスクワ
前職 ロシア共和国副首相
所属政党 (ソビエト連邦共産党→)
ロシア連邦共産党

在任期間 1991年9月26日 - 1991年11月6日
大統領 ボリス・エリツィン

在任期間 1993年 - 1996年
大統領 ボリス・エリツィン
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オウム真理教とのつながり

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1992年にロボフはロシア・日本大学構想の実現のために来日。この時オウム真理教教祖の麻原彰晃が1000万ドルの資金援助を申し出、それ以降ロボフはオウム真理教に便宜を図る様になる[2]。オウムのラジオ放送枠の獲得や特殊部隊施設を使った軍事訓練ヘリコプターなどの軍事物資の輸入にあたっては、ロボフの意向が働いたと言われ、地下鉄サリン事件などの捜査でも諸外国の情報機関などからクローズアップされた。

脚注

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参考文献

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外部リンク

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先代
イワン・シラーエフ
ロシア共和国首相(代行)
1991年
次代
ボリス・エリツィン
先代
エフゲニー・シャポシニコフ
ロシア連邦安全保障会議書記
1993年 - 1996年
次代
アレクサンドル・レベジ