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オレーター・シェーファー

オレーター・シェーファー(George W. "Orator" Shaffer 、1851年10月??日 - 1922年1月21日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身のプロ野球選手外野手)。右投げ左打ち。

オレーター・シェーファー
Orator Shaffer
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州フィラデルフィア
生年月日 1851年10月??日
没年月日 (1922-01-21) 1922年1月21日(70歳没)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
165 lb =約74.8 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
初出場 1874年5月23日
最終出場 1890年9月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

"Orator"(弁士の意)はニックネーム。ナショナルリーグ初期の1879年に、外野手のシーズン補殺数の最多記録を作った。この記録は現在も破られていない。

目次

経歴編集

1874年に、当時のプロ野球リーグナショナル・アソシエーションに参加、ナショナル・アソシエーション解散後1年ブランクを置いて、1877年にルイビルの外野手となる。

シェーファーは外野でライトを守ることがほとんどだったが、この年の外野の守備記録は、60試合で刺殺121、補殺はリーグ最多の21を数えた。ボールが飛ばず長打が少なかった当時において、シェーファーは現在の外野手の守備位置よりはるかに前で守り、一塁や二塁で走者を刺す「ライトゴロ」を多く稼いでいた。シカゴ・ホワイトストッキングス(現カブス)でプレーした1879年には72試合で50の補殺を記録、この数は現在でも外野手補殺数のシーズン最多記録である。これを含め、シェーファーが外野手補殺数でリーグ最多を記録したシーズンは4度にもなる。

打つ方では1年限りの球団だったインディアナポリスで、チーム最高の打率.338、また1884年にユニオン・アソシエーションに参加した際、リーグ最多の40本の二塁打を放ち、打率.360を残したことがある。1887年から1889年までメジャーリーグの試合に出ていないが、復帰した1890年にはおよそ100試合で外野をこなし、補殺17と6つの併殺を取っている。1890年を最後に選手を退き、1922年にフィラデルフィアで亡くなった。

詳細情報編集

打撃成績編集

※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。

試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 得点 打点 盗塁 三振 四球 死球 犠打 打率 出塁率 長打率
871 3552 1000 164 53 11 601 317* 34* 194* 226* 5* - .282 .326 .367

獲得タイトル・記録編集

  • リーグ最多二塁打:1884年(ユニオン・アソシエーションでの記録)
  • シーズン補殺数(外野手):50(1879年、歴代1位)
  • 補殺数(外野手)リーグ最多:1877年、1879年、1880年、1883年

関連項目編集

外部リンク編集