カヤン新領土党
カヤン新領土党(カヤンしんりょうどとう、ビルマ語: ကယန်းပြည်သစ်ပါတီ、英語: Kayan New Land Party、 略称: KNLP)は、ミャンマーのカヤン族による政治組織である。軍事部門はカヤン新領土軍(Kayan New Land Army: KNLA)、行政部門はカヤン新領土革命評議会(Kayan New Land Revolutionary Council: KNLRC)である。
カヤン新領土党 | |
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ကယန်းပြည်သစ်ပါတီ ミャンマー内戦に参加 | |
カヤン新領土党党旗 カヤン新領土軍軍旗 | |
活動期間 | 1964年8月8日 | – 現在
活動目的 |
カヤン民族主義 フェデラル連邦制 |
創設者 | シュエエイ(Shwe Aye) |
指導者 |
KNLP議長: タンソーナイン(Than Soe Naing)少将 KNLA司令官: ミャノー准将 KNLRC議長: アイノーター准将 |
本部 | ミャンマーシャン州タウンジー県ぺコン郡区シブ村[1] |
活動地域 |
カレンニー州デモーソー郡区 シャン州ペコン郡区・ピンラウン郡区 ネピドー連邦領 |
兵力 |
200-300(2018年)[2] 1,000(2023年)[3] |
分裂 | カヤン民族守備隊 |
関連勢力 |
関連国 関連勢力
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敵対勢力 |
敵対国 敵対勢力
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戦闘 | ミャンマー内戦 |
ウェブサイト | カヤン新領土党公式Facebookページ |
概要
編集カヤン新領土党は、カヤン族によって1964年に結成された武装組織である[5][6]。1994年の停戦後は支配地域の利権を確保している。
歴史
編集KNLP黎明期
編集前史
編集1962年にクーデターによって成立したネウィン政権はビルマ式社会主義を標榜し、強硬な政策を推し進めた。1963年、ペコン郡区でモーバイダム建設反対委員会が設立された[7]。1964年5月、ネウィン政権は予告なく50チャットと100チャットの廃貨を行った[8]。
武装闘争へ
編集1964年6月4日、ネウィン政権に反発したペコン郡区の村人が軍の前哨基地を襲撃した[9]。最初の武装組織は抗日闘争を指導したボー・ピャン(Bo Pyan)により組織されていたが[10]、元ラングーン大学学生のシュエエイが合流し、同年8月8日にカヤン新領土党が結成された[8][1]。
Lintner(1999)およびSmith(1999)は1964年の武装闘争はネウィン政権の高額紙幣廃貨の後に起きたと記述しているが[8][11]、同年にKNLPが設立されたのはダム反対運動の流れを受けたものであるとする記述も存在している[7][12]。
また、South(2020)はカトリックの宣教師を含む全ての外国人宣教師がミャンマー国内から追放されたことを受けて、信教の自由を求めて武装闘争に踏み切ったのだとしている[6]。
ビルマ共産党との提携・同盟
編集当初はカレンニー民族進歩党と協力関係にあり、1976年にはNDF(National Democratic Front、民族民主戦線)に加入していたが[13]、ビルマ共産党と連携するために1977年にNDFを離脱した[14]。支配地域が国境から遠く、外国からの支援を望めなかったため、1979年にKNLPはビルマ共産党と同盟関係を構築した[15]。また、パオ族左派のシャン州諸民族人民解放機構(Shan State Nationalities People’s Liberation Organisation: SSNPLO)やカレンニー民族進歩党左派の分派であるカレンニー民族人民解放戦線(Karenni Nationalities People’s Liberation Front: KNPLF)と共闘関係にあった[16]。
強力な同盟相手であったビルマ共産党が1989年に崩壊すると、KNLPの内部からも分裂が生じた。1991年、カヤン民族守備隊(Kayan National Guard: KNG)は60人程の兵力を以てKNLPから分裂し、軍事政権と停戦交渉を行った[16][17]。同年6月20日、KNLPはNDFに再加入した[8]。
停戦後
編集1994年7月26日、同盟相手を失ったKNLPは軍事政権と停戦交渉を行い、カヤー州第3特区として支配地域の自治を認められた。また、森林の伐採や鉱山開発などの利権が認められた[16]。しかしながら、KNLPと軍事政権との関係は安定していたわけではなく、ウィキリークスに漏洩した文書において、駐ミャンマー米国大使館は「熱くも冷たくもある関係」と評している[18][19]。
2005年、KNLP支配地域内にミャンマー軍の支援する民兵が誕生し、衝突ののちKNLPは撤退することとなった[4]。
KNLPは停戦後、ミャンマー軍と緊密に連携し、民兵のような立ち位置となっていた[6]。2009年、軍事政権は2008年憲法に基づき、全ての軍事組織はミャンマー軍の統制下に無ければならないとして国境警備隊(Border Guard Force: BGF)や民兵に転換するように圧力をかけた。軍事政権は2009年11月にKNLPがミャンマー軍傘下の民兵になったとしたが、KNLP側はこれを否定している[20]。
当初、KNLPは軍事政権には「交渉相手」とみなされており、国民議会には招待されたが[21]、テインセイン政権期の全国停戦合意や連邦和平会議 - 21世紀パンロンからは除外された[22][6]。KNLPは、2015年11月にワ州連合軍によって開催されたパンサン会議に参加した12の少数民族武装組織の1つであり、政治的な活動を継続している[23]。
2021年クーデター後
編集2021年ミャンマークーデター後、KNLPは抵抗勢力を訓練するなど、密かに協力関係を構築していた[24]。また、KNLPはクーデターに抗議するデモに参加して逮捕された民衆を釈放するよう圧力をかけて、釈放させるなどの行動を見せている[25]。
2021年5月、KNLPと国民防衛隊は、シャン州南部ソウンナンケー村でミャンマー軍と衝突した[26]。The Irrawaddyによると、抵抗勢力に加わってミャンマー郡と衝突したのはKNLPの下士官であり、同年6月にKNLPはKNPLFおよびカレンニー民族平和発展党(2勢力は共に国境警備隊や民兵に転換している)と連名で、カレンニー諸民族防衛隊名義でミャンマー軍との停戦を宣言した[27][注釈 1]。
2022年3月には他の民兵グループと同様にミャンマー軍から武器を供与されるなど、依然としてミャンマー軍との関係は緊密である[28]。しかし、KNLPの基地はミャンマー軍の空爆の標的となった[29][30]。逆に、KNLPが抵抗勢力によるミャンマー軍の陣地への攻撃を妨害したという報告もあった[31]。
政治
編集1998年8月11日、KNLPはカレンニー民族人民解放戦線およびシャン州諸民族解放機構と合同で国民民主連盟を支持し、1990年選挙で選ばれた議員による国会を招集するよう声明を出した[32]。また、声明では軍事政権、国民民主連盟、少数民族組織の三者協議を呼びかけた[32]。
2004年5月、国民会議において新憲法のミャンマー軍の権限を見直し、少数民族の自治権を尊重するよう、他の7少数民族武装組織と合同で声明を出した[33]。
2014年6月、KNLPは憲法改正においてミャンマー軍が事実上の拒否権を有する2008年憲法第436条の改正を訴える国民民主連盟の主張を支持した[34]。また、同年12月、2015年ミャンマー総選挙においてはミャンマー軍の翼賛政党である連邦団結発展党以外ならどの政党でも支持するとした[35]。
フロンティア・ミャンマーによると、KNLPのウィンモー少佐の娘は人民代表院で国民民主連盟から出馬し、当選するなど、KNLPと国民民主連盟の間にはコネクションがあるという[36]。
国民統一政府人権省副大臣のバハンタンはKNLP創始者のシュエエイの子供であり、KNLPでは対外同盟担当を務めた[37]。
分派
編集カヤン民族守備隊
編集1991年、カヤン民族守備隊(Kayan National Guard: KNG)は60人程の兵力を以てKNLPから分派し、軍事政権と停戦交渉を行った[16]。1992年2月27日、ガブリエル・ビャン(Gabriel Byan)率いるこの分派集団は軍事政権と停戦条約を締結し、「カヤー州第1特区」として支配地域の自治を認められた。KNGは国民議会に参加したが、これ以降政治的に活動しておらず、2009年にはミャンマー軍傘下の人民民兵(英語: People’s Militia Force: PMF、ビルマ語: ပြည်သူ့စစ်)となった。1993年にガブリエル・ビャンが殺害されて以来、テイコー(Htay Ko)が指導者となっている[38][39]。
KNGは麻薬取引に深く関与しているとされており、ピキンとファイクンで2,000エーカーの土地でアヘンケシを栽培させて20%の税金を取っている。また、ファイクンにはヘロインの精製所があるとされる[39]。
2021年クーデター後の2022年3月、ミャンマー軍傘下の民兵としてKNDFをはじめとする抵抗勢力と戦闘を行った[28]。しかし、その後は抵抗勢力との戦闘は行っていない。兵力は30-40人程度であるとされる[3]。
教育
編集KNLPは2022年にカヤン民族教育委員会(Kayan National Education Committee: KNEC)を設立した。KNECは145の基礎教育学校を監督しており、1,000人以上の教職員を雇用している。このうち70の学校ではカヤン語教育を、残りの学校ではビルマ語教育を行っている。また、KNECはカヤン地域の13,000人以上の学生に教育を行っており、KNEC系列の学校はカレンニー州暫定執行評議会(カレンニーIEC)からは独立して運営されている[40][41]。
2024年8月6日、KNECは初の高等教育機関であるカレン民族大学を開校した[40]。カヤン民族大学は、2024年10月の開始を予定している。同大学は教育学、農学、健康科学、開発社会学、計算機科学、カヤン文学と言語の6科目を開講する予定であり、将来的には自然科学、経済学、法学、都市管理といった科目を開講するとしている。安全上の理由から、大学の具体的な地点は秘匿されている[42]。
脚注
編集注釈
編集- ^ この3グループ以外のKNDF組織は停戦を否定している。
出典
編集- ^ a b Naw Dway Eh Khu (2021年1月8日). “KNLP calls on the NLD to ensure inclusiveness of all ethnic armed groups in national unity government” (英語). Burma News International 2024年3月3日閲覧。
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- ^ Smith 1999, p. 219.
- ^ KWU 2008, p. 1.
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- ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 23.
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- ^ “ကယန်းပြည်သစ် လုံခြုံရေးဂိတ်အပါအဝင် ခြောက်နေရာ ဗုံးကြဲခံရ” (ビルマ語). RFA. (1 June 2023) 26 May 2024閲覧。
- ^ “ကယန်းပြည်သစ်ကြောင့် ဒေသတွင်းတော်လှန်ရေးအင်အားစုများ စစ်ကောင်စီကို တိုက်ခိုက်ရာမှာ အခက်တွေ့နေ” (ビルマ語). Red News Agency. (17 January 2024) 26 May 2024閲覧。
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- ^ “ဒုတိယဝန်ကြီး” (ビルマ語). NUG Ministry of Human Rights. 2024年7月29日閲覧。
- ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 63.
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- ^ a b “Kayan National University opens” (英語). Kantarawaddy Times (Burma News International). (2024年8月8日)
- ^ “70 Kayan Schools Use Their Mother Tongue in Education” (英語). Kantarawaddy Times (Burma News International). (2024年6月6日)
- ^ “Kayan National University will start courses for students in October” (英語). Network Media Group (Burma News International). (2024年8月26日)
参考文献
編集英語文献
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- Human Rights Watch (2008). Chronology of Burma’s Constitutional Process (PDF) (Report).
- Karenni Development Research Group (2006). Damned by Burma’s generals: The Karenni experience with hydropower development - From Lawpita to Salween (PDF) (Report). Karenni Development Research Group.
- Kayan Women’s Union (2008). Drowning the green ghosts of Kayan Land: Impacts of the upper Paunglaung Dam in Burma (PDF) (Report). Kayan Women’s Union.
- Keenan, Paul (2014). By force of arms : armed ethnic groups in Burma. New Delhi: Vij Books India. ISBN 9789382652304
- Kramer, Tom; Russel, Oliver; Smith, Martin (2018). From War to Peace in Kayah (Karenni) State: A Land at the Crossroads in Myanmar (PDF) (Report). Amsterdam: Transnational Institute.
- Lintner, Bertil (1999). Burma in Revolt: Opium and Insurgency since 1948. Chiang Mai: Silkworm. ISBN 9789747100785
- Smith, Martin (1999). Burma: Insurgency and the Politics of Ethnicity. Dhaka: University Press. ISBN 9781856496605
- South, Ashley (2003). Mon Nationalism and Civil War in Burma. Abingdon: Routledge. ISBN 9780203037478