クイーンズボロ橋
クイーンズボロ橋(英語: Queensboro Bridge)は、1909年に完成した、ニューヨーク市、イースト川に架かる片持ち梁橋である。正式名称はエド・コッチ・クイーンズボロ橋(Ed Koch Queensboro Bridge)。橋のマンハッタン側が59丁目と60丁目の間に位置するため、59丁目橋(59th Street Bridge) とも呼ばれている。
クイーンズボロ橋 | |
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2012年 | |
基本情報 | |
国 | アメリカ合衆国 |
所在地 | ニューヨーク市 (マンハッタン - クイーンズ) |
交差物件 | イースト川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | NY 25 |
管理者 | ニューヨーク市交通局(NYCDOT) |
開通 | 1909年3月30日 |
座標 | 北緯40度45分25秒 西経73度57分16秒 / 北緯40.75694度 西経73.95444度座標: 北緯40度45分25秒 西経73度57分16秒 / 北緯40.75694度 西経73.95444度 |
構造諸元 | |
形式 | 2層片持ち梁橋 |
全長 | 1,135 m |
幅 | 30 m |
桁下高 | 40 m |
最大支間長 |
360 m (西支間) 300 m (東支間) 192 m (中央支間) |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
クイーンズボロ橋 | |
所在地 | ニューヨーク市ニューヨーク郡59丁目 |
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座標 | 北緯40度45分25秒 西経73度57分17秒 / 北緯40.7569度 西経73.9547度 |
建設 | 1909年 |
建築様式 | 他、下路片持ち梁トラス |
NRHP登録番号 | 78001879[1] |
NRHP指定日 | 1978年12月20日 |
橋は、クイーンズ区のロングアイランド・シティ地区から、ルーズベルト島を通ってマンハッタンと結んでいる。橋はニューヨーク州道25号線となっており、州道であるのは橋の西から4つ目のスパンまでである(ニューヨーク州道25号線は、橋が西端となっており、以前はNY 24とNY 25Aが走っていた)。橋の北側には、横に独立したルーズベルト島トラムウェイが走っている。2008年の日平均交通量は176,306台[2]。
2010年12月、市は、橋がクイーンズボロ橋から、前市長エド・コッチに敬意を示して、エド・コッチ・クイーンズボロ橋に改名することを発表した[3]。改名の決定は、クイーンズの住民や財界人には喜ばれず、多くの地元住民が古い名称を使って橋を呼んでいる[4][5]。
歴史
編集マンハッタンにロングアイランド・シティを繋ぐ橋の重要な計画は、1838年から始まり、1867年には、民間企業による投資が初めて試みられた[要出典]。この努力は結実することはなく、この会社は1890年代に破産した[要出典]。成功した計画は、市の新しい橋部のもと、1903年から始まり、ウィリアムズバーグ橋を設計したレファート・L・ブックとヘンリー・ホルンボステルが協力して、1902年に橋委員会の新しい地位に就いたグスタヴ・リンデンタールが指揮した。
建設はすぐに開始されたが、暴風の中、労働不足により不完全だったスパンが崩壊(ダイナマイトで爆破することが試みられた)し、橋が完成するまでには1909年までかかった。橋が一般に開業したのは、1909年3月30日であり[6]、約1800万$と50人のコストがかかった。セレモニーが行われたグランド・オープンは、1909年6月12日に行われた[7]。橋は、初期のルーズベルト・アイランドという名称より、ブラックウィルズ・アイランド橋として知られていた[8]。1930年から1955年にかけて、現在はルーズベルト島として知られるウェルフェア島に、自動車や歩行者を輸送する乗り物エレベーターがあった。これは、1970年に取り壊された[9]。
クイーンズボロ橋は、ダブル片持ち梁橋で、ルーズベルト島の両側の海峡を越える、2つの片持ち梁スパンを持っている。橋はスパンをつり下げてはおらず、各側からの片持ち梁は、スパンの中間点まで達する[10]。下記は、5つのスパンと出入り口の長さを示している。
- マンハッタンへのルーズベルト島スパン(片持ち梁):360m
- ルーズベルト島スパン:190m
- ルーズベルト島へのクイーンズ・スパン(片持ち梁):300m
- サイド・スパン:143 - 140m
- 出入り口全体:1,135m
- 出入り口を含む全体:2,270m
1917年、ケベック橋ができるまで、マンハッタンとルーズベルト島の間にあったスパンは、北アメリカで最長の片持ち梁スパンであった[11]。
橋は、2層になっている。最初は、上層は歩行者を収容して、2本の高架鉄道の線路(クイーンズボロ・プラザ高架駅への2番街高架線と接続した)があり、下層は4車線の自動車道、現在の「アウター・ロードウェイ」、歩行者用のトロリーレーン2車線があった。トロリーは橋の途中で停車し、クイーンズとマンハッタンの乗客を繋いでおり、ルーズベルト島へエレベーターまたは階段で下りることができた[12]。橋で運営されたトロリーは、1957年4月7日まで運行していた[13]。鉄道は、2番街高架線と同様に、1930年代後半から1940年代前半にかけて撤去された。トロリー・レーンと橋の中間駅(階段)も、1950年代に撤去され、橋の自動車用の車線の11車線となった。
料金は、自動車が橋を通過する場合には、課されていない。
現在
編集橋は数年間、老朽化していたが、1987年からエド・コッチ・クイーンズボロ橋の修復が始まり、3億$以上のコストをかけて、未だ進行中である。
橋の上層には、自動車用の4車線があり、橋の片持ち梁トラス構造やニューヨークのスカイラインの素晴らしい眺めを見ることができる。下層には、自動車用の4車線を含む乗り物用の5車線と南側の自動車用のアウター・レーンがある。北側アウター・ロードウェイは、2000年9月に永久の歩行者/自転車道として変換された[14]。
橋へのマンハッタン入口は、現在は、橋の下のフード・エンポリウム・ブリッジ・マーケット及びレストラン・グアスタビーノスの上品な天井となっているグアスタビーノ・タイルで支えられている。もとは、このオープンエアの散歩道はブリッジマーケットとして知られており、ホルンボステルの橋を市に快く受け入れてもらうための試みの1つでもあった[15]。
2009年3月、ニューヨーク市橋百年委員会は、橋の開通から百周年を記念したイベントのスポンサーとなった[16]。橋は、この百周年の年に、米国土木学会によって、歴史的国家土木建造物に指定された[11]。
エド・コッチ・クイーンズボロ橋は、ニューヨークシティマラソンの最初のマンハッタン入り地点、及び5区自転車ツアーのマンハッタンの出口地点となっている。
公共交通機関
編集鉄道路線
2本の都市交通の線路に加え、橋にはさらに、4本の路面電車の線路があった。次のクイーンズへの路線は橋の上で運営されていた:
- クイーンズボロ橋ローカル、1909年-1957年(市で最後の路面電車)
- アストリア線、1910年–1939年
- ステインウェイ線、1910年–1939年
- カレッジ・ポイント線、1910年–1925年
- コロナ線、1910年–1922年
- クイーンズ・ブルバード線、1913年–1937年
1910年から1919年にかけての3番街線の42丁目クロスタウン線であるワン・マンハッタン線も橋の上で運営されていた。
バス
橋では、Q32の路線バスがMTAニューヨーク・シティ・トランジットによって、Q60とQ101ローカルがMTAバスによって運営されている。橋にはさらに、20の急行バスも東行きのみ運営されている(これらバス路線は、西行きに、クイーンズ=ミッドタウン・トンネルを使用している。これらは、MTAバスのQM1、QM2、QM3、QM4、QM5、QM6、QM7、QM8、QM10、QM12、QM15、QM16、QM17、QM18、QM20、QM21、QM24及びニューヨーク・シティ・トランジットのX63、X64、X68である。路線別の橋を通るバス路線の平日の平均利用者数は、Q32:12,217、Q60:14,427、Q101:3,416、QM1:592、QM2:1,894、QM3:129、QM4:800、QM5:2,014、QM6:1,040、QM7:757、QM8:566、QM10:356、QM12:499、QM15:1,259、QM16:382、QM17:402、QM18:235、QM20:1,104、QM21:377、QM24:1,210、X63:714、X64:396、X68:588である[17][18]。
文化
編集文学
- F・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』では、ジェイ・ギャツビーとニック・キャラウェイが、ロングアイランドからマンハッタンへ行く途中に、橋を渡っている。「この町は、クイーンズボロ橋から見られる」「いつも世界の神秘と美の全てを最初に見ている」とニックは言っている[8]。
- E・B・ホワイトの小説『シャーロットのおくりもの』では、シャーロットがウィルバーに、彼女が夜、蜘蛛の巣を張っている間、橋が完成まで8年かかったことを伝えている。
音楽
- サイモン&ガーファンクルの歌「59番街橋の歌 (フィーリン・グルーヴィー)」では、曲名として橋が使用されている[8]。
- ジャックス・マネキンのアルバム『ディア・ジャック』の歌「ダイアン、ザ・スカイスクレーパー」でも引用される。
- クイーンズブリッジの住民であったMCシャンは、彼の歌「ザ・ブリッジ」で、ラップにより橋について触れている。
映画
- 1932年、パラマウント・ピクチャーズのライトコメディ映画『ノー・マン・オブ・ハー・オウン』(主演はクラーク・ゲーブルとキャロル・ロンバード)では、ロンバードの演じる人物がホテルの窓から、イースト川とクイーンズボロ橋を見て、現在はルーズベルト島として知られるブラックウィルズ島を指す。
- 1936年のスクリューボール・コメディ『襤褸と宝石』では、「忘れられた人」が住む市のゴミ捨て場として数回登場する。
- ウディ・アレンの1979年の映画『マンハッタン』では、アレンとダイアン・キートンのキャラクターが、夜明けに橋の前のベンチで暖まる。これは映画のポスターとなった。
- 1981年の映画『ニューヨーク1997』では、背景として橋が登場する。
- 1985年の映画『トルク182!』のクライマックスでは、クイーンズボロ橋周辺の場所が映る。
- 2002年の映画『スパイダーマン』では、背景として橋が登場する。
- 2003年のどたばたコメディ映画『N.Y.式ハッピー・セラピー』では、デイブ・バズニック(アダム・サンドラーが演じる)とドクター・バディ・ライデル(ジャック・ニコルソンが演じる)が、『アイ・フィール・プリティ』を歌うために、橋の中間で車を停める。
- 2012年の映画『ダークナイト ライジング』でも橋が利用される。
テレビ
- テレビシリーズ『アーチャー・バンカーズ・プレイス』、『ザ・キング・オブ・クイーンズ』、『タクシー、アルファスでうつされた。
- 『ザ・キング・オブ・クイーンズ』のオープニングテーマでは、「...今夜のクイーンズボロ橋の交通はここにある」と引用される。
- 『ザ・シンプソンズ』のエピソード『ユー・オンリー・ムーブ・トウィス』では、ハンク・スコーピオが、ごまかしをしていないことを証明するために橋を破壊する。
出典
編集Notes
- ^ National Park Service (9 July 2010). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service.
{{cite web}}
: Cite webテンプレートでは|access-date=
引数が必須です。 (説明) - ^ “New York City Bridge Traffic Volumes 2008” (PDF). New York City Department of Transportation. p. 63 (2010年3月). 2010年7月10日閲覧。
- ^ Bultman, Matthew; Fanelli, James (2010年12月9日). “Just call 59th Street Bridge the Ed Koch”. Daily News (New York) 2010年12月9日閲覧。
- ^ Lisberg, Adam (2011年2月28日). “Queensboro Bridge should not be renamed after former Mayor Ed Koch, 70% of Queens biz leaders say”. Daily News (New York) 2018年12月23日閲覧。
- ^ Hernandez, Javier C. (2011年3月23日). “Council Votes to Rename Queensboro Bridge for Koch”. New York Times (New York) 2011年3月23日閲覧。
- ^ “Queensboro Bridge Opens to Traffic”. The New York Times: p. 2. (1909年3月31日) 2010年2月20日閲覧。
- ^ “300,000 See Queens Linked to Old City”. The New York Times: p. 1. (1909年6月13日) 2010年2月20日閲覧。
- ^ a b c Barron, James (2009年3月29日). “To Fans, Queensboro Bridge Is a Steel Swan, Not an ‘Ugly Duckling’”. The New York Times: p. A22 2009年3月29日閲覧。
- ^ “Transportation”. Roosevelt Island Operating Corporation. 2010年7月10日閲覧。
- ^ “Project Page:2000 Biennial Bridge Inspection of the Queensboro Bridge over the East River”. HAKS Corporation. 2008年6月15日閲覧。
- ^ a b “Queensboro Bridge”. ASCE Metropolitan Section. 2010年2月20日閲覧。
- ^ “Roosevelt Island Tramway”. New York Correction History Society. 2010年2月20日閲覧。
- ^ Phillips, McCandlish (1957年4月7日). “City's Last Trolley at End of Line; Buses Will Replace 49-Year Route on Queensboro Span”. The New York Times: p. 1 2008年8月17日閲覧。
- ^ “Queensboro Bridge Rehabilitation Program”. New York City Department of Transportation. 2010年3月13日閲覧。
- ^ Dunlap, David W. (1999年3月7日). “Bridgemarket Emerging, After 22 Years”. The New York Times 2010年2月20日閲覧。
- ^ “Queensboro Bridge Centennial Celebration Events and Exhibits”. NYC Bridge Centennial Commission. 2010年2月20日閲覧。
- ^ “Average Weekday NYC Transit Bus Ridership”. MTA New York City Transit (2012年). 2012年7月4日閲覧。
- ^ “Average Weekday MTA Bus Ridership”. MTA Bus Company (2012年). 2012年7月4日閲覧。
Bibliography
- Abandoned Stations: Queensborough Bridge Railway terminal
- Greater Astoria Historical Society and Roosevelt Island Historical Society (2008). The Queensboro Bridge. USA: Arcadia Publishing. ISBN 0-7385-5488-X
外部リンク
編集- NYC.gov
- NYCroads.com
- "Queensboro Bridge" on Transportation Alternatives
- Dave's Electric Railroads Thirty-three historic photographs of the Queensborough Bridge Railway trolley cars
- Queensboro Bridge - Structurae