クリスティアーナ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク

クリスティアーナ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルクドイツ語:Christiana von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg, 1634年9月22日 - 1701年5月20日)は、ザクセン=メルゼブルク公クリスティアン1世の妃。

クリスティアーナ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク
Christiana von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg

出生 (1634-09-22) 1634年9月22日
 デンマークコペンハーゲン
死去 (1701-05-20) 1701年5月20日(66歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン=メルゼブルク公領、デーリッチュ
配偶者 ザクセン=メルゼブルク公クリスティアン1世
子女 本文参照
家名 古グリュックスブルク家
父親 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公フィリップ
母親 ゾフィー・ヘートヴィヒ・フォン・ザクセン=ラウエンブルク
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生涯 編集

クリスティアーナはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公フィリップとゾフィー・ヘートヴィヒ・フォン・ザクセン=ラウエンブルクの第9子としてコペンハーゲンで生まれた[1]。デンマーク=ノルウェー王太子未亡人であったマグダレーナ・ジビュレ・フォン・ザクセンによりその居城ニュヒェーピング城で育てられた[1]

1650年11月19日にドレスデン城において、ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世の三男であるザクセン=メルゼブルク公クリスティアン1世と16歳で結婚した。このときクリスティアーナの姉ゾフィー・ヘートヴィヒはクリスティアン1世の弟ザクセン=ツァイツ公モーリッツと結婚した[2]。結婚の祝典はトーナメントや花火など4週間続いた[3]

1691年に夫クリスティアン1世が死去した後、クリスティアーナはザンガーハウゼン城より1688年に寡婦財産として受け取ったデーリッチュ城に移った[4]。デーリッチュ城は、クリスティアーナが住むために改装が行われていたが、1692年5月31日にクリスティアーナが移ってきたときにはまだ改装が終わっていなかった。クリスティアーナはデーリッチュ城にフランス式庭園を造らせた。

クリスティアーナは1701年にデーリッチュ城で死去した。

子女 編集

クリスティアン1世との間に11子が生まれた。

脚注 編集

  1. ^ a b Essegern 2007, p. 383.
  2. ^ Essegern 2007, p. 325.
  3. ^ Deppe 2006, p. 14.
  4. ^ Essegern 2007, p. 416.

参考文献 編集

  • Essegern, Ute (2007). Fürstinnen am kursächsischen Hof. Lebenskonzepte und Lebensläufe zwischen Familie, Hof und Politik in der ersten Hälfte des 17. Jahrhunderts. Schriften zur sächsischen Geschichte und Volkskunde. vol. 19. Leipzig: Leipziger Universitätsverlag. pp. 383–385. ISBN 978-3-86583-074-6  (Abstract online)
  • Deppe, Uta (2006). Die Festkultur am Dresdner Hofe Johann Georgs II. von Sachsen (1660–1679). Bau + Kunst. Schleswig-Holsteinische Schriften zur Kunstgeschichte. vol. 13. Kiel: Ludwig. p. 14. ISBN 3-933598-94-X. https://books.google.com/books?id=Q7G6zF8Hoi8C&pg=PA14