グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前96年の執政官)

グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスラテン語: Gnaeus Domitius Ahenobarbus、  ? - 紀元前88年)は、共和政ローマの政治家、軍人。紀元前2世紀から頭角を現し始めたプレブスドミティウス氏族アヘノバルブス家出身。父は同名のグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス


グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス
Cn. Domitius Cn. f. Cn. n. Ahenobarbus
ナルボンヌ近郊で発見されたマイルストーン。アヘノバルブスの名が刻まれている
出生 不明
死没 紀元前89年
出身階級 プレブス
一族 アヘノバルブス家
氏族 ドミティウス氏族
官職 ナルボ入植三人委員?紀元前118年
貨幣鋳造三人委員紀元前108年-107年)
護民官紀元前104年
最高神祇官紀元前103年-89年頃)
法務官紀元前99年頃)
執政官紀元前96年
監察官紀元前92年
後継者 ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前54年の執政官)
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経歴

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紀元前108年からクィントゥス・カトゥルス、マルクス・ユニウス・シラヌスと共に貨幣鋳造三人委員に就任[1]

紀元前104年護民官に選出される。同僚はルキウス・マルキウス・ピリップスらであった。アヘノバルブスはキンブリ・テウトニ戦争を不法に開始したとしてマルクス・ユニウス・シラヌスを告発したが、有罪には出来なかった。また、この年死去した父の後を継いで神祇官になれなかったことに腹を立て、父の同僚神祇官であるマルクス・アエミリウス・スカウルスを儀式の不備で告発したが、これも無罪となった[2]。更に彼は、その神聖さから神官職は民衆の選挙に依らず選出されていたものを、許容されるギリギリの線として全35トリブスの半数に満たない17トリブスによる選挙によって選出されるようにする法案を提出した[3]

紀元前103年には恐らく自身の定めた法によって神祇官に選出され[4]、同時に最高神祇官に選出される[5]紀元前99年にはプラエトルに選出された[6]

紀元前96年執政官に選出される。同僚はガイウス・カッシウス・ロンギヌスであった[7]スエトニウスによれば、アヘノバルブスはガリア人アッロプロゲス族アルウェルニ族を征服し、象にまたがってガリア属州を行進したという[8]

紀元前92年、弁論家として名の通ったルキウス・リキニウス・クラッススとともにケンソルに選出された。彼等は多弁でもって公共道徳を汚すとしてラテン語修辞学の教育を抑制したと言う。ただ彼らの仲は悪く、アヘノバルブスはクラッススの贅沢好きを攻撃するなど口論が絶えなかった。マルクス・アエミリウス・スカウルスがプリンケプス・セナトゥスに再指名された[9]

紀元前89年頃に没した。ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前54年の執政官)は彼の子と思われる。

出典

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  1. ^ Broughton Vol.2, p.439.
  2. ^ Broughton Vol.1, pp.559-560.
  3. ^ キケロ『農地法について』2.16-18
  4. ^ Broughton Vol.1, p.565.
  5. ^ リウィウス『ペリオカエ』67
  6. ^ Broughton Vol.2, p.1.
  7. ^ Broughton Vol.2, p.9.
  8. ^ スエトニウス『ローマ皇帝伝』ネロ、2
  9. ^ Broughton Vol.2, p.17.

参考文献

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  • T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association 
  • T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association 

関連項目

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公職
先代
グナエウス・コルネリウス・レントゥルス
プブリウス・リキニウス・クラッスス
執政官
同僚:ガイウス・カッシウス・ロンギヌス
紀元前96年
次代
ルキウス・リキニウス・クラッスス
クィントゥス・ムキウス・スカエウォラ
公職
先代
ルキウス・ウァレリウス・フラックス
マルクス・アントニウス・オラトル
紀元前97年 LXV
監察官
同僚:ルキウス・リキニウス・クラッスス
紀元前92年
次代
プブリウス・リキニウス・クラッスス
ルキウス・ユリウス・カエサル
紀元前89年
宗教の称号
先代
ルキウス・カエキリウス・メテッルス・ダルマティクス
ローマ最高神祇官
紀元前103年 – 紀元前89年
次代
クィントゥス・ムキウス・スカエウォラ