ルキウス・ユリウス・カエサル (紀元前90年の執政官)

ルキウス・ユリウス・カエサルラテン語: Lucius Julius Caesar紀元前135年頃 - 紀元前87年)は共和政ローマ期の政治家軍人である。父は同名のルキウス・ユリウス・カエサルであり、弟としてガイウス・ユリウス・カエサル・ストラボ・ウォピスクス(Gaius Julius Caesar Strabo Vopiscus)がいたことが知られている。

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ルキウス・ユリウス・カエサル
L. Julius L. f. Sex. n. Caesar
出生 紀元前135年
死没 紀元前87年
出身階級 パトリキ
氏族 ユリウス氏族カエサル家
官職 法務官紀元前95年または93年
前法務官紀元前94年または92年
執政官紀元前90年
監察官紀元前89年
指揮した戦争 同盟市戦争
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経歴編集

ルキウスの前半生ははっきりしない。初めて歴史上に名が挙がるのは、紀元前100年ポプラレス(民衆派)の護民官ルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌスの失脚に関与したことであった。紀元前94年プラエトルへ選出されたが、クァエストルアエディリスの就任歴は無かったようである。プラエトルの任期後はマケドニア属州総督として赴任した。

紀元前91年に勃発した同盟市戦争がローマを覆う中で、紀元前90年にルキウスは執政官へ選出され、サムニウム人を撃破した。また、その年に同盟市戦争へ加担していない同盟市に対してローマ市民権を付与する内容の法案(「ユリウス法」(Lex Julia))を可決した。法律の成立により同盟市戦争は下火になり、紀元前88年に戦争は完全に終結した。また、ルキウスが後にケンソルとなって、新たにローマ市民となった市民の選挙区の制定を行うことも決められた。

しかし、紀元前87年ガイウス・マリウスの党派がイタリア本国へ軍事侵攻してローマを占領すると、オプティマテス(閥族派)に属すると見なされたルキウスと弟カエサル・ウォピスクスは市街戦を展開した末、マリウス派によって殺害された。2人の首級は元老院の演壇上に晒されたとティトゥス・リウィウスは伝えている。

ルキウスには同名のルキウス・カエサルユリアの2人の子供が知られている。なお、後に終身独裁官となったガイウス・ユリウス・カエサルはルキウスの甥に当る。

関連項目編集

公職
先代:
セクストゥス・ユリウス・カエサル
ルキウス・マルキウス・ピリップス
執政官
同僚:プブリウス・ルティリウス・ルプス
紀元前90年
次代:
グナエウス・ポンペイウス・ストラボ
ルキウス・ポルキウス・カト
公職
先代:
グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス
ルキウス・リキニウス・クラッスス(途中辞任)
紀元前92年
監察官
同僚:プブリウス・リキニウス・クラッスス
紀元前89年
次代:
ルキウス・マルキウス・ピリップス
マルクス・ペルペルナ
紀元前86年 ''LXVI