コダグ王国
Kingdom of Coorg
ヴィジャヤナガル王国 1600年 - 1834年 マイソール王国
コダグ王国の位置
コダグ地方の位置
公用語 コダグ語
首都 ハーレーリ、マディケーリ
ラージャ
xxxx年 - xxxx年 ヴィーラ・ラージャ
1820年 - 1834年チッカ・ヴィーラ・ラージェーンドラ
変遷
1600年 成立
1834年イギリスにより併合
通貨ルピー、パゴダ

コダグ王国(コダグおうこく、カンナダ語:ಕೊಡಗು ಅರಸರು、英語:Kingdom of Coorg/Kodagu Kingdom)は、南インドコダグ地方を支配したヒンドゥー王朝1600年 - 1834年)。首都はハーレーリマディケーリハーレーリ王国(Haleri Kingdom ಹಾಲೇರಿ ಅರಸರು)とも呼ばれる。クールグ王国とも呼ばれるがこれは英語読みである。

歴史編集

成立と遷都編集

コダグ地方はパーンディヤ朝西ガンガ朝チョーラ朝ホイサラ朝ヴィジャヤナガル王国といった多くの王朝が同地方を部分的または間接的に支配していた。だが、この地方に独立王朝は長らく現れなかった。

王国の創始者ヴィーラ・ラージャはケラディ・ナーヤカ朝の王家の一族である。彼はコダグ地方に流れて来て、ハーレーリに定住した。その後、ヴィーラ・ラージャはコダヴァ族を使って軍隊を編成し、群雄割拠状態だったコダグ地方を統一して、1600年にハーレーリを首都とするコダグ王国を樹立した。

1681年ムッドゥ・ラージャは首都をハーレーリからマディケーリに遷都した[1]。彼はこの地にマディケーリ城を建設した[2]

最盛期編集

 
コダグ王国の城と王の宿泊所

17世紀前半から18世紀後半にかけて、コダグ王国はドッダ・ヴィーラッパの時代に最盛期を迎えた。

その治世、マイソール王国チッカ・デーヴァ・ラージャの命で侵攻したマイソール軍が、コダグ領ペリヤパトナを攻め落とした[2]。その後、マイソール軍がさらに侵攻してきたが、コダグ軍は奇襲を仕掛け、マイソール軍を大敗させた[3]。マイソール軍は1万5000の犠牲者を出し、生き残った軍勢は逃げた[3]

1724年、マイソール軍がコダグ王国に再び侵攻してきた[3]。ドッダ・ヴィーラッパはゲリラ戦から戦闘方法を変更し、平野部で迎え撃った[3]。その後、彼は矢継ぎ早にペリヤパトナからアルカルグドまでの6つの城塞を奪取した[3]。このときのマイソール王国の損害は600,000パゴダに及んだといわれる[3]

同年8月あるいは9月、マイソール王国の首都シュリーランガパトナから大軍が派遣された[3]。マイソール軍が西部地域に到達したが、コダグ軍はゲリラ戦に戻り、森の中へと後退した[4]。コダグ軍は待ち伏せしてマイソール軍に攻撃をかけ、マイソール軍は混乱状態になり、夜のうちに撤退した[4]

このように、ドッダ・ヴィーラッパの治世はマイソール王国の侵攻を跳ね返すなど、最盛期であった。この王は1736年に78歳で死去した[5]

マイソール王国による征服編集

だが、18世紀後半にマイソール王国が強国化すると、コダグ王国はマイソールのムスリム軍人ハイダル・アリーから侵略を受けるようになる。そして、1765年にコダグ王国はマイソールの軍勢を打ち負かされ、王はマラバールへと逃げた[6]。 このとき、ハイダル・アリーはマディケーリに部隊を置き、コダグ軍の一部を自軍に入れ、シュリーランガパトナへと戻った[7][8]

1770年、ムッドゥ・ラージャ2世が死亡し息子、デーヴァッパ・ラージャが王位を継承した[9]。だが、1773年にコダグ王国で王位をめぐって内紛が発生し、ハイダル・アリーはこの内紛を見て王国に再び侵攻した。これはリンガ・ラージェーンドラ(リンガ・ラージャ)が君主デーヴァッパ・ラージャに対し、甥のアッパージー・ラージャを擁立するため、ハイダル・アリーを招いたことによる[10]

1774年、デーヴァッパ・ラージャはバサヴァパトナへと逃げ[7]、廃位された。ハイダル・アリーはアッパージー・ラージャ2世を王に擁立し、コダグ王国の支配権を握り、年貢を取り立てた[11][10]1775年にアッパージー・ラージャが死ぬと、その叔父リンガ・ラージェーンドラ1世が即位した[12][11][10]

1780年、リンガ・ラージェーンドラ1世が死亡し、息子のドッダ・ヴィーラ・ラージェーンドラが王位を継承した[13]。彼は若かったため、ハイダル・アリーがその庇護者となり、王国は完全にその支配下にあった[14]

1782年6月、ハイダル・アリーはコダヴァ族の反乱が発生したのを見て、マディケーリから王子を人質に取って対抗し[14][15]、コダグ王国を直接統治下に置いた。

同年にハイダル・アリーが第二次マイソール戦争中に死亡したが、息子のティプー・スルターンも王国を支配し、1785年に完全に反乱を鎮圧した。同年10月に彼はシュリーランガパトナを去り、コダグ王国に入った[16][17]。ティプーはマディケーリに入城し、男、女、子供を数千をシュリーランガパトナへと連れ帰り[17]、ヒンドゥー教からイスラーム教に改宗させ、拒むものは殺害、拷問にかけた[18]。そのほかにも多数が連れ去られ、その総数は70,000人から85,000人に上るという[19]

独立と藩王国化編集

1788年12月、コダヴァ族による反乱が再び発生し、ドッダ・ヴィーラ・ラージェーンドラは拘留されていたペリヤパトナから脱走し、コダヴァ族の反乱軍と合流した[20][21]

1789年、ティプー・スルターンは軍勢を派遣したが[22]、マイソール王国が第三次マイソール戦争で手が回らないことも幸いして、1790年にヴィーラ・ラージェーンドラはマイソール王国からマディケーリを奪還することに成功し、コダグ王国は主権を回復した。

そして、同年10月25日にマイソールから王国を守るためにイギリスの保護下に入り、藩王国となった[23]

イギリスによる併合編集

 
リンガ・ラージェーンドラ2世

1809年、ドッダ・ヴィーラ・ラージェンドラが死去すると、その娘のデーヴァンマージーが即位した。

だが、1811年にはドッダ・ヴィーラ・ラージェーンドラの弟リンガ・ラージェーンドラ2世が即位した。リンガ・ラージェーンドラ2世は1812年から1814年にかけてマディケーリの宮殿をヨーロッパ風の漆喰煉瓦造りに改築したばかりか、1820年にオームカーレーシュワル寺院を建造した[1]

1820年、リンガ・ラージェーンドラ2世は死亡し、その息子のチッカ・ヴィーラ・ラージェーンドラが王位を継承した。だが、彼はかなり残忍な性格であり、恐怖で人民を統治し、圧政を敷いた。

1834年4月11日、チッカ・ヴィーラ・ラージェーンドラはイギリスによって廃位され、コダグ藩王国は併合された。彼は年金生活者となり、娘のガウランマと共に英国に渡って客死した。

歴代君主編集

 
チッカ・ヴィーラ・ラージェーンドラ
  • ヴィーラ・ラージャ(Vira Raja)
  • アッパージー・ラージャ1世(Appaji Raja)
  • ムッドゥ・ラージャ1世(Muddu Raja I, 1633年 - 1687年)
  • ドッダ・ヴィーラッパ(Dodda Veerapa, 在位1687-1736年)
  • チッカ・ヴィーラッパ(Chikka Veerappa, 1736年 - 1766年)
  • ムッドゥ・ラージャ2世(Muddu Raja II, 1766年 - 1770年)
  • デーヴァッパ・ラージャ(Devappa Raja II, 1770年 - 1774年)
  • アッパージー・ラージャ2世(Appaji Raja II, 1774年 - 1775年)
  • リンガ・ラージェーンドラ1世(Linga Rajendra I, 1775年 - 1780年)リンガ・ラージャ1世(Linga Raja I)とも
  • ドッダ・ヴィーラ・ラージェーンドラ(Dodda Vira Rajendra, 1780年 - 1809年)ドッダ・ヴィーラ・ラージャ(Dodda Vira Raja年)とも
  • デーヴァンマージー(Devammaji 1809年 - 1811年)
  • リンガ・ラージェーンドラ2世(Linga Rajendara II, 1811年 - 1820年)リンガ・ラージャ2世(Linga Raja II)とも
  • チッカ・ヴィーラ・ラージェーンドラ(Chikka Vira Rajendra, 1820年 - 1834年)チッカ・ヴィーラ・ラージャ(Chikka Vira Raja)とも

脚注編集

  1. ^ a b 辛島・坂田『世界歴史の旅 南インド』、p.172
  2. ^ a b Subrahmanyam 1989, p. 99, Rice 1878, p. 105
  3. ^ a b c d e f g Subrahmanyam 1989, p. 99, Rice 1878, p. 106
  4. ^ a b Subrahmanyam 1989, pp. 218–219
  5. ^ Rice 1878, p. 107
  6. ^ Punganuri, Ram Chandra Rao (1849). Memoirs of Hyder and Tippoo: Rulers of Seringapatam, Written in the Mahratta language (Google e-book). p. 13. http://books.google.co.in/books?hl=en&lr=&id=_7QIAAAAQAAJ&oi=fnd&pg=PA1&dq=Captivity+of+Coorgs+at+Seringapatam&ots=b6aSgTHJ3v&sig=hQkjL_ntm8DnazuCF5mWytZ1kYI&redir_esc=y#v=snippet&q=Captivity%20of%20Coorgs%20at%20Seringapatam&f=false 2014年2月11日閲覧。 
  7. ^ a b Punganuri, Ram Chandra Rao (1849). Memoirs of Hyder and Tippoo: Rulers of Seringapatam, Written in the Mahratta language (Google e-book). p. 22. http://books.google.co.in/books?hl=en&lr=&id=_7QIAAAAQAAJ&oi=fnd&pg=PA1&dq=Captivity+of+Coorgs+at+Seringapatam&ots=b6aSgTHJ3v&sig=hQkjL_ntm8DnazuCF5mWytZ1kYI&redir_esc=y#v=snippet&q=Captivity%20of%20Coorgs%20at%20Seringapatam&f=false 2014年2月11日閲覧。 
  8. ^ Wilks, Mark (1817). Historical Sketches of the South of India, in an Attempt to Trace the History of Mysoor. Longman, Hurst, Rees, and Orme,. p. 158. http://books.google.co.in/books?id=MEvQL8wHHngC&pg=PA283&dq=kirkpatrick+coorgs&hl=en&sa=X&ei=pZb7UuGWMYePrQfazYFo&ved=0CEEQ6AEwBA#v=onepage&q=coorgs&f=false 2014年2月12日閲覧。 
  9. ^ Mysore and Coorg, a gazetteer, p.110
  10. ^ a b c Hasan, Mohibbul (1 Dec 2005). History of Tipu Sultan. Aakar Books. p. 77. http://books.google.co.in/books?id=hkbJ6xA1_jEC&pg=PA417&dq=%22Captivity+of+Coorgs+at+Seringapatam%22&hl=en&sa=X&ei=tCT7Uo72CcOHrQexqoCwCA&redir_esc=y#v=onepage&q=Coorgs&f=false 2014年2月12日閲覧。 
  11. ^ a b Punganuri, Ram Chandra Rao (1849). Memoirs of Hyder and Tippoo: Rulers of Seringapatam, Written in the Mahratta language (Google e-book). p. 23. http://books.google.co.in/books?hl=en&lr=&id=_7QIAAAAQAAJ&oi=fnd&pg=PA1&dq=Captivity+of+Coorgs+at+Seringapatam&ots=b6aSgTHJ3v&sig=hQkjL_ntm8DnazuCF5mWytZ1kYI&redir_esc=y#v=snippet&q=Captivity%20of%20Coorgs%20at%20Seringapatam&f=false 2014年2月11日閲覧。 
  12. ^ Mysore and Coorg, a gazetteer, p.110
  13. ^ Hasan, Mohibbul (1 Dec 2005). History of Tipu Sultan. Aakar Books. p. 77,78. http://books.google.co.in/books?id=hkbJ6xA1_jEC&pg=PA417&dq=%22Captivity+of+Coorgs+at+Seringapatam%22&hl=en&sa=X&ei=tCT7Uo72CcOHrQexqoCwCA&redir_esc=y#v=onepage&q=Coorgs&f=false 2014年2月12日閲覧。 
  14. ^ a b Hasan, Mohibbul (1 Dec 2005). History of Tipu Sultan. Aakar Books. p. 78. http://books.google.co.in/books?id=hkbJ6xA1_jEC&pg=PA417&dq=%22Captivity+of+Coorgs+at+Seringapatam%22&hl=en&sa=X&ei=tCT7Uo72CcOHrQexqoCwCA&redir_esc=y#v=onepage&q=Coorgs&f=false 2014年2月12日閲覧。 
  15. ^ Moegling, H (1855). Coorg Memoirs: An Account of Coorg and of the Coorg Mission. p. 94. http://books.google.co.in/books?id=k5ABAAAAQAAJ&printsec=frontcover&dq=moegling+coorg&hl=en&sa=X&ei=z4T6Uv_8K8WekAWsvYC4DQ&ved=0CDsQ6AEwAQ#v=snippet&q=5%2C000&f=false 2014年2月11日閲覧。 
  16. ^ Hasan, Mohibbul (1 Dec 2005). History of Tipu Sultan. Aakar Books. p. 79. http://books.google.co.in/books?id=hkbJ6xA1_jEC&pg=PA417&dq=%22Captivity+of+Coorgs+at+Seringapatam%22&hl=en&sa=X&ei=tCT7Uo72CcOHrQexqoCwCA&redir_esc=y#v=onepage&q=Coorgs&f=false 2014年2月12日閲覧。 
  17. ^ a b Moegling, H (1855). Coorg Memoirs: An Account of Coorg and of the Coorg Mission. p. 96. http://books.google.co.in/books?id=k5ABAAAAQAAJ&printsec=frontcover&dq=moegling+coorg&hl=en&sa=X&ei=z4T6Uv_8K8WekAWsvYC4DQ&ved=0CDsQ6AEwAQ#v=snippet&q=5%2C000&f=false 2014年2月11日閲覧。 
  18. ^ Cariappa 1981, p. 48
  19. ^ Prabhu 1999, p. 223
  20. ^ Moegling, H (1855). Coorg Memoirs: An Account of Coorg and of the Coorg Mission. p. 97. http://books.google.co.in/books?id=k5ABAAAAQAAJ&printsec=frontcover&dq=moegling+coorg&hl=en&sa=X&ei=z4T6Uv_8K8WekAWsvYC4DQ&ved=0CDsQ6AEwAQ#v=snippet&q=5%2C000&f=false 2014年2月11日閲覧。 
  21. ^ Ramaswamy 2007, p. 379
  22. ^ Moegling, H (1855). Coorg Memoirs: An Account of Coorg and of the Coorg Mission. p. 98. http://books.google.co.in/books?id=k5ABAAAAQAAJ&printsec=frontcover&dq=moegling+coorg&hl=en&sa=X&ei=z4T6Uv_8K8WekAWsvYC4DQ&ved=0CDsQ6AEwAQ#v=snippet&q=5%2C000&f=false 2014年2月11日閲覧。 
  23. ^ [ http://www.coorg.com/history/ History]

参考文献編集

  • 辛島昇; 坂田貞二 『世界歴史の旅 南インド』 山川出版社、1999年。 
  • Rice, Lewis (1878), “History of Coorg”, Mysore and Coorg, A Gazetteer compiled for the Government, Volume 3, Coorg, Bangalore: Mysore Government Press. p. 427, http://books.google.com/books?id=6ZwIAAAAQAAJ&printsec=titlepage&source=gbs_summary_r&cad=0 
  • Rice, Lewis (1897a), “History of Mysore”, Mysore: A Gazetteer Compiled for the Government, Volume I, Mysore In General, Westminster: Archibald Constable and Company. pp. xix, 834, http://books.google.com/books?id=kbQLAAAAIAAJ&printsec=toc&source=gbs_summary_r&cad=0#PPR3,M1 
  • Rice, Lewis (1897b), “History of Districts”, Mysore: A Gazetteer Compiled for the Government, Volume II, Mysore, By Districts, Westminster: Archibald Constable and Company. pp. xii, 581, http://books.google.com/books?id=FR1CAAAAIAAJ&printsec=titlepage&source=gbs_summary_r&cad=0 
  • Rice, Lewis (1908), “History of Mysore and Coorg”, Imperial Gazetteer of India, Provincial Series: Mysore and Coorg, Calcutta: Superintendent of Government Printing. pp. xvii, 365, one map., http://books.google.com/books?id=lgO2AAAAIAAJ&printsec=titlepage&source=gbs_summary_r&cad=0 
  • Bhat, N. Shyam (1998). South Kanara, 1799–1860: A Study in Colonial Administration and Regional Response. Mittal Publications .
  • Bowring, L. B. (2002). Haidar Ali and Tipu Sultan.. Genesis .
  • Cariappa, Ponnamma (1981). The Coorgs and their origins. The University of Michigan. p. 419 .
  • Hassan, Mohibbul (2005). History of Tipu Sultan. Aakar books .
  • Moegling, H. (1855). Coorg Memoirs .
  • Prabhu, Alan Machado (1999). Sarasvati's Children: A History of the Mangalorean Christians. I.J.A. Publications. ISBN 978-81-86778-25-8 .
  • Punganuri, Ram Chandra Rao (1849). Memoirs of Hyder and Tippoo: Rulers of Seringapatam, Written in the Mahratta language .
  • Ramaswamy, Harish (2007). Karnataka government and politics. Concept Publishing Company. ISBN 978-81-8069-397-7 .
  • Sen, Surendranath (1930). Studies in Indian history. University of Calcutta .
  • Mysore and Coorg: A Gazetteer Compiled for the Government of India By Benjamin Lewis Rice Published by Mysore Government Press, 1876

関連項目編集