サバーハ家
サバーハ家(アラビア語: آل صباح, ラテン文字転写: ʼĀl Ṣubāḥ; 英: Al Sabah family もしくは アラビア語: آل الصباح, ラテン文字転写: ʼĀl al-Ṣubāḥ; 英: Al-Sabah family)は、クウェートの首長(アミール)家。文語アラビア語ではスバーフと発音する男性名(意味は美少年)が由来[1]だが、英語ではSabah、日本語ではサバーハ、サバハと表記するのが一般的。
サバーハ家 آل صباح | |
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クウェート国章 | |
国 | クウェート |
当主称号 | アミール(首長) |
創設 | 1756年 |
家祖 | サバーハ1世 |
現当主 | ミシュアル |
民族 | アラブ人 |
18世紀より現在まで、クウェートの首長を輩出している。なお、日本の報道機関では首長はサバハ首長と表記されることが多い[2]。
歴史
編集サバーハ家は、バーレーンのハリーファ家同様に、アラブのアナザ部族の一支部族ウトゥーブの、1674年ごろにナジュド地方からカタール半島に移住したジャミール部族に属する家系である[3][4]。18世紀前半に、サバーハ家の始祖、アブー・サルマーン・サバーハ・ビン・ジャービル(サバーハ1世, c.1700-1776年)が、従兄弟との関係悪化をきっかけにしてクウェートへ移住し、同地の支配権を得た[3][4]。シャリーフでもなく宗教者でもなかったサバーハ1世がどのような過程で権力を得たのか、はっきりとはわかっていないが、武力を背景にしたものではなくウトゥーブ(バニー・ウトバ、ウトビー)に属する、ジャミール部族ではない他の部族の合意を得たものであったようである[3]。
18世紀に、オスマン帝国との交渉役としてクウェート商人の互選でサバーハ家が選ばれ、首長となった。さらに1871年、第4代の首長アブドゥッラー2世がオスマン帝国からカーイマカム(総督)の称号を与えられ、クウェートは帝国のバスラ州の一部であると認められた。
なお、現在の憲法の規定により、首長及び世子は第7代ムバーラクの直系男子と定められている。ムバーラクは兄のムハンマドを暗殺して首長になったが、ムハンマドの子息は生き延び、現在も子孫が続いているため、ムハンマドの子孫の首長位継承権を否認するための規定である。ムバーラクの子息、第8代ジャービルの子孫・ジャービル家と第9代サーリムの子孫・サーリム家の子孫から、ほぼ交互に首長を輩出しているが、近年、サーリム家の衰えが激しく、ジャービル家に首長・世子・首相など重要ポストのほとんどを押さえられている。
首長の一覧
編集代 | 首長 | 出身家 | 在任期間 | 備考 | ||
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1 | サバーハ1世 | サバーハ家 | 1756年 - 1762年 |
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2 | アブドゥッラー1世 | サバーハ家 | 1762年 - 1814年5月3日 |
初代の子 | ||
3 | ジャービル1世 | サバーハ家 | 1814年 - 1859年 |
2代の子 | ||
4 | サバーハ2世 | サバーハ家 | 1859年 - 1866年11月 |
3代の子 | ||
5 | アブドゥッラー2世 | サバーハ家 | 1866年11月 - 1893年5月 |
4代の長男 | ||
6 | ムハンマド | サバーハ家 | 1893年5月 - 1896年5月17日 |
4代の次男 在位中に暗殺 | ||
7 | ムバーラク | サバーハ家 | 1896年5月18日 - 1915年11月28日 |
19年 + 194日 | 4代の三男 | |
8 | ジャービル2世 | サバーハ家 (ジャービル家) |
1915年11月28日 - 1917年2月5日 |
1年 + 69日 | 7代の子 ジャービル家の祖 | |
9 | サーリム | サバーハ家 (サーリム家) |
1917年2月5日 - 1921年3月29日 |
4年 + 52日 | 7代の子 サーリム家の祖 | |
10 | アフマド | ジャービル家 | 1921年3月29日 - 1950年1月29日 |
28年 + 306日 | 8代の子 | |
11 | アブドゥッラー3世 | サーリム家 | 1950年1月29日 - 1965年11月24日 |
15年 + 299日 | 9代の長男 | |
12 | サバーハ3世 | サーリム家 | 1965年11月24日 - 1977年12月31日 |
12年 + 37日 | 9代の次男 | |
13 | ジャービル3世 | ジャービル家 | 1977年12月31日 - 2006年1月15日 |
28年 + 15日 | 10代の次男 | |
14 | サアド | サーリム家 | 2006年1月15日 - 2006年1月24日 |
9日 | 11代の子 在位中に廃位 | |
15 | サバーハ4世 | ジャービル家 | 2006年1月24日 - 2020年9月29日 |
14年 + 249日 | 10代の三男 | |
16 | ナワーフ | ジャービル家 | 2020年9月30日 - 2023年12月16日 |
3年 + 77日 | 10代の四男 | |
17 | ミシュアル | ジャービル家 | 2023年12月16日 - (現職) |
298日 | 10代の五男 |
主な王族
編集系図
編集ジャービル | マリヤム | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サバーハ1世1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アブドゥッラー1世2 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャービル1世3 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サバーハ2世4 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アブドゥッラー2世5 | ムハンマド6 | ムバーラク7 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(サーリム家) サーリム9 | (ジャービル家) ジャービル2世8 | (ハマド家) ハマド | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アブドゥッラー3世11 | サバーハ3世12 | アフマド10 | ハムード | ムバーラク 初代ワクフ相 | ハーリド | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サアド14 | ムハンマド 3代外相 | ジャービル3世13 | サバーハ4世15 | ナワーフ16 | ミシュアル17 | ファハド 初代OCA会長 | ムハンマド 初代国防相 | アフマド 5・11代内相 | ジャービル 7代首相 | サバーハ 8代首相 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ナーセル 13代国防相 | アフマド 2代OCA会長 | ナーセル 6代首相 | シャラザード | アブドゥラ EPA長官 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アフマド 5代外相 | サバーハ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 下津源太郎『世界帝王系図集』(増補版、近藤出版社、1987年)を基に作成。
出典
編集- ^ “المعاني - معاني الأسماء - صباح”. 2023年3月7日閲覧。
- ^ 「クウェートのサバハ首長が入院」『共同通信』2020年7月19日。2020年7月19日閲覧。
- ^ a b c Sirriyeh, Elizabeth M. (1995). "Ṣabāḥ, Āl". In Bosworth, C. E. [in 英語]; van Donzel, E. [in 英語]; Heinrichs, W. P. [in 英語]; Lecomte, G. [in 英語] (eds.). The Encyclopaedia of Islam, New Edition, Volume VIII: Ned–Sam. Leiden: E. J. Brill. pp. 668–669. ISBN 90-04-09834-8。
- ^ a b Hamad Ibrahim Abdul Rahman Al Tuwaijri (1996年). “Political power and rule in Kuwait”. Glasgow University. 2021年3月5日閲覧。