サン・ビセンテ・デル・ラスペイグ

スペインの都市

サン・ビセンテ・デル・ラスペイグスペイン語 : San Vicente del Raspeig)またはサン・ヴィセン・デル・ラスペッチバレンシア語 : Sant Vicent del Raspeig, IPA: [sam viˈsɛn deɫ rasˈpetʃ])は、スペインバレンシア州アリカンテ県ムニシピ(基礎自治体)。公式名は二言語の名称をスラッシュで連結したSan Vicente del Raspeig/Sant Vicent del Raspeig。

San Vicente del Raspeig/Sant Vicent del Raspeig

Bandera de Sant Vicent del Raspeig.svg   Escut de Sant Vicent del Raspeig (truncat).svg

San Vicente del Raspeig desde el Castillo de Santa Bárbara.JPG
Flag of the Valencian Community (2x3).svg バレンシア州
Escut de la Província d'Alacant.svg アラカント県/アリカンテ県
面積 40.55 km²
標高 109m
人口 56,297 人 (2014年)
人口密度 1,388.34 人/km²
住民呼称 Sanvicentero, -a
言語地域 バレンシア語
自治体首長
(2015年)
ヘスース・ビリャール (PSOE)
守護聖人 ビセンテ・フェレール
San Vicente del Raspeig/Sant Vicent del Raspeigの位置(スペイン内)
San Vicente del Raspeig/Sant Vicent del Raspeig
San Vicente del Raspeig/Sant Vicent del Raspeig
スペイン内サン・ビセンテ・デル・ラスペイグの位置
San Vicente del Raspeig/Sant Vicent del Raspeigの位置(アラカント県内)
San Vicente del Raspeig/Sant Vicent del Raspeig
San Vicente del Raspeig/Sant Vicent del Raspeig
アリカンテ県内サン・ビセンテ・デル・ラスペイグの位置

北緯38度23分47秒 西経0度31分31秒 / 北緯38.39639度 西経0.52528度 / 38.39639; -0.52528座標: 北緯38度23分47秒 西経0度31分31秒 / 北緯38.39639度 西経0.52528度 / 38.39639; -0.52528

地理編集

アリカンテ都市圏を構成する都市であり、アリカンテ県の県都アリカンテから北東に約10キロメートル離れている。アリカンテとサン・ビセンテは都市間が連続して都市化されており、レンフェ(スペイン国鉄)のセルカニアス・ムルシア/アリカンテスペイン語版バレンシア公営鉄道(FGV)のアリカンテ・トラムスペイン語版で相互に往来が容易である。

水源に乏しく、季節によって水が流れるガリ程度しかない。加えて、農地に適するほど肥沃な土壌は村落の近くを除いてわずかである。

乾燥した地中海性気候で、1月の平均気温は摂氏11℃、7月・8月の平均気温は摂氏25℃である。一方降雨量は年間通して不均一に降り、年間340mmを超えない。

樹木の植生に乏しく、穀物や、農場でマツが見られる程度である。イネ科のグラスやローズマリーなど雑草が、非耕地に生い茂っている。

歴史編集

イベリア人ローマ属州ヒスパニア、アラブ占領時代のサン・ビセンテに関する研究記録は何も残っていない。少なくとも17世紀以降、プラ・デ・ラ・オリベラ、エル・ラスペイグの2つの村が確認された。

サン・ビセンテとは、エル・ラスペイグで説教を行ったことのある中世の聖人、聖ビセンテ・フェレールにちなんでいる。その後エル・ラスペイグは礼拝堂を中心に発展していき、サン・ビセンテ・デル・ラスペイグを名乗るようになった。1848年にはアリカンテより分離して独立した自治体となった。1858年、マドリード=アリカンテ間の鉄道が開通しサン・ビセンテにも到達した。これによってアリカンテ港に近くなり、サン・ビセンテで作られた一部の製品に輸出の道が開けた。1873年から1878年にかけて、アリカンテからアゴスト、イビへ向かう道路が開通。1905年にはアリカンテ・トラムスペイン語版が開通し、1924年には電化された。これにより、タイル、セメント、石膏といった建設資材の工場がセン・ビセンテにでき、その後家具工場ができた。19世紀後半から20世紀初頭にかけ、サン・ビセンテはソリア・イ・マータの線状都市理論(Ciudad lineral)による都市化を経験した。

スペイン第二共和政時代からスペイン内戦期、都市はフランス革命暦の第8月にちなみ、フロレアル・デル・ラスペイグ(Floreal del Raspeig)と改名されていた。1960年代以降、バレンシアーナ・デ・セメントスのセメント工場(現在セメックス傘下)や家具工場の好調で人口が大幅に増加した。1979年には州立大学のアリカンテ大学がサン・ビセンテで開校した。1991年、バレンシア語がサン・ビセンテの準公用語と認定され、自治体の公式名にバレンシア語のSant Vicent del Raspeigが併記されて、二言語の名称をスラッシュで連結したSan Vicente del Raspeig/Sant Vicent del Raspeigとなった。

経済編集

サン・ビセンテはあらゆる種類のビジネスを含む業界が存在する一方で、アリカンテ都市圏のベッドタウンでもある。また、学生数約28,000人を擁する州立のアリカンテ大学の本部を抱えている。

かつては農業が経済の大黒柱であったが、現在は住宅地所や工業団地が優先され、穀物畑は背景に押しやられた。唯一パルティダ・ラスペイグにて伝統的な農業が行われている。この地区は農業保護区として大規模農業が実践されており、特にトマトイチジクの農園がある。

交通編集

姉妹都市編集

外部リンク編集