サーシャ・ゲゲチコリ

アレクセイ・“サーシャ”・アレクサンドロヴィチ・ゲゲチコリロシア語: Алексей (Саша) Александрович Гегечкори1887年12月5日 - 1928年6月7日)、民族名アレクシ(アレクサンドレ)・“サーシャ”・アレクサンドレス・ゼ・ゲゲチコリグルジア語: ალექსი (ალექსანდრე / საშა) ალექსანდრეს ძე გეგეჭკორი)は、グルジア人のボリシェヴィキ。

アレクセイ・アレクサンドロヴィチ・ゲゲチコリ
Алексей Александрович Гегечкори
ალექსი ალექსანდრეს ძე გეგეჭკორი
生年月日 (1887-12-05) 1887年12月5日
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国クタイス県ロシア語版セナキ郡ナオガレジ
没年月日 (1928-06-07) 1928年6月7日(40歳没)
死没地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
Flag of the Transcaucasian SFSR (1925-1936).svg ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国
Флаг Грузинской ССР (1940-1952).svg グルジア社会主義ソビエト共和国トビリシ郡ロシア語版トビリシ
所属政党 ボリシェヴィキ
称号 赤旗勲章
親族 エヴゲニ・ゲゲチコリロシア語版(従兄)
ラヴレンチー・ベリヤ(義甥)

Флаг Грузинской ССР (1940-1952).svg 内務人民委員
在任期間 1922年 - 1923年

Флаг Грузинской ССР (1940-1952).svg 農業人民委員
在任期間 1924年 - ?

Флаг Грузинской ССР (1940-1952).svg 人民委員会議副議長
在任期間 1922年 - ?

Флаг Грузинской ССР (1940-1952).svg チフリス革命委員会議長
在任期間 1921年6月10日 - 12月24日
テンプレートを表示

生涯編集

1887年12月5日(ユリウス暦11月23日)、ロシア帝国クタイス県ロシア語版ナオガレジで貴族の家に生まれた[1]。後にソ連内相ラヴレンチー・ベリヤの妻となるニーナは姪[2]。ニーナの伯従父はグルジア民主共和国外相を務めたエヴゲニロシア語版[3]

1902年から革命運動に関わり、1908年ボリシェヴィキに入党[1]チフリスバクーミングレリアグルジア語版チェリャビンスクロストフ・ナ・ドヌで党細胞を組織し、繰り返し弾圧された[1]二月革命後はクタイスでボリシェヴィキ局の創設に参加し、翌1918年には党西グルジア参謀長としてメンシェヴィキ政権に対する暴動を指揮した[1]。同年秋にはテレク州での白軍との闘いで重傷を負い、赤旗勲章を授与された[1]

1921年6月10日から12月14日までチフリス革命委員会議長[4]、同年から翌1922年までグルジア革命委メンバー、同年から翌1923年までグルジア社会主義ソビエト共和国内務人民委員、1922年から人民委員会議副議長、1924年から農業人民委員を務めた[1]。農業人民委員時代、ゲゲチコリはトビリシのホテルに同僚や友人らを集めてパーティーを開いたが、この時、泥酔したゲゲチコリは銃を乱射して1人を殺害する事件を起こしている(このパーティーでは女子職員や少年らがレイプされたとも言われる)[5]。しかし、この事件はゲゲチコリの義甥でグルジア共和国GPU長官のベリヤによってもみ消された[5]

その後、ゲゲチコリはグルジア共産党英語版中央委、全グルジア中央執行委、ソビエト連邦中央執行委のメンバーも務め[6]第11回ロシア語版第15回ロシア語版の連邦党大会にも出席したが[1]1928年6月7日、戦争の後遺症を苦にしてトビリシで自殺した[7](公金横領[8]、あるいは党の倫理規定違反に問われ自殺に追い込まれたとも言われる[9])。

グルジアの都市マルトヴィリグルジア語版およびマルトヴィリ地区グルジア語版は、ゲゲチコリを記念して1936年から1991年まで「ゲゲチコリ」および「ゲゲチコリ地区」と呼ばれた[1][10]

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h Гегечкори // Газлифт — Гоголево. — М. : Советская энциклопедия, 1971. — (Большая советская энциклопедия : [в 30 т.] / гл. ред. А. М. Прохоров ; 1969—1978, т. 6).
  2. ^ “Нина Берия: самая красивая из кремлевских жен”. Рамблер. (2018年1月15日). https://news.rambler.ru/other/38890810-nina-beriya-samaya-krasivaya-iz-kremlevskih-zhen/?updated 2018年4月14日閲覧。 
  3. ^ Прудникова Е. А. (2005). "Нина". Берия. Преступления, которых не было (5000 экз ed.). СПб.: Нева. ISBN 5-7654-4028-2
  4. ^ პავლიაშვილი, ვანო. “დედაქალაქის „მმართველობითი ანატომია“”. მთავარი. https://www.versia.ge/index.php/2013-07-31-11-22-32/item/4591-%25E1%2583%2593%25E1%2583%2594%25E1%2583%2593%25E1%2583%2590%25E1%2583%25A5%25E1%2583%2590%25E1%2583%259A%25E1%2583%2590%25E1%2583%25A5%25E1%2583%2598%25E1%2583%25A1-%25E2%2580%259E%25E1%2583%259B%25E1%2583%259B%25E1%2583%2590%25E1%2583%25A0%25E1%2583%2597%25E1%2583%2595%25E1%2583%2594%25E1%2583%259A%25E1%2583%259D%25E1%2583%2591%25E1%2583%2598%25E1%2583%2597%25E1%2583%2598-%25E1%2583%2590%25E1%2583%259C%25E1%2583%2590%25E1%2583%25A2%25E1%2583%259D%25E1%2583%259B%25E1%2583%2598%25E1%2583%2590%25E2%2580%259C&xid=17259,15700023,15700124,15700149,15700168,15700173,15700186,15700201&usg=ALkJrhgM7L8ixDGyk-lKnXA6flzRxTf8Ww 2018年4月14日閲覧。 
  5. ^ a b ウィトリン (1978) 148-149頁
  6. ^ საშა გეგეჭკორი”. საქართველოს პარლამენტის ეროვნული ბიბლიოთეკა英語版. 2018年4月14日閲覧。
  7. ^ Уточкина В. “Алексей Гегечкори”. Peoples.ru. 2018年4月14日閲覧。
  8. ^ ウィトリン (1978) 166頁
  9. ^ "Бериевская "оттепель"" (газета) (6) (АиФ Долгожитель ed.). М. 19 марта 2003. Cite journalテンプレートでは|journal=引数は必須です。 (説明); |year=|date=の日付が不正です。 (説明)
  10. ^ МАРТВИЛИ // М. : Большая Российская энциклопедия, 2000. — (Большой энциклопедический словарь / гл. ред. А. М. Прохоров).

参考文献編集

  • タデシュ・ウィトリン『ベリヤ - 革命の粛清者』大沢正訳、早川書房〈ハヤカワ・ノンフィクション〉、1978年(原著1972年)。
公職
先代:
シリヴェストル・トドリヤ
  チフリス革命委員会議長
1921年6月10日 - 12月14日
次代:
レヴァン・ゴゴベリゼ