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概要編集

越中国信濃国を東西方向に結ぶ急峻な古道上に位置する。立山方面からは、立山カルデラを経てザラ峠に至り、やや南下して五色ヶ原を経て平ノ渡場(現黒部湖)、針ノ木峠大町方面へ至るルートが一般的であったが、1973年に立山温泉が廃湯してカルデラ内の立ち入りが規制されると峠の西側は完全に廃道となった。峠からカルデラ方面にかけて長年踏み固められた踏み跡が残るが利用することはできない[1]。このため、現在は立山から薬師岳方面へ至る南北方面に連なる縦走路(登山道)の一部となっている。

歴史編集

  • 1584年 - 戦国武将佐々成政が厳冬の北アルプスを踏破する「さらさら越え」を敢行。その際のルートとして推測されている[2]
  • 1684年 - 前田利常が芦峅寺村の三左衛門にザラ峠越えを含む信濃までの調査を命じる。後日、芦峅寺村からザラ峠を越えて針ノ木峠までの距離を8里21町20間として報告している[3]
  • 江戸時代 - 加賀藩による奥山廻りが行われる。また、正保国絵図の系統とみられる「越中四郡絵図」(小矢部市所蔵)に「さらさら越」として峠が描かれる。
  • 1880年 - ザラ峠を通過する立山新道が開通[4]

脚注編集

  1. ^ 山と高原地図36 剱・立山 昭文社2010年版
  2. ^ 会報平成14年1月号新春特別企画「佐々成政と富山」立山博物館ホームページ 2017年2月19日閲覧
  3. ^ 「新・黒部川物語」黒部奥山と加賀藩の奥山廻 p100 菅野寛二 2015年発行
  4. ^ 「大山町史」第6章 交通・通信の発達 p544 大山町史編纂委員会編 1964年発行