メインメニューを開く

シアー・ハート・アタック

クイーンのスタジオ盤

シアー・ハート・アタック」 (Sheer Heart Attack) は、イギリスロックバンドクイーンの3枚目のアルバムである。

シアー・ハート・アタック
クイーンスタジオ・アルバム
リリース
録音 1974年7月 - 9月
Trident, Wessex,
Rockfield and Air Studios.
ジャンル ハードロック
グラムロック
時間
レーベル イギリスの旗EMI
アメリカ合衆国の旗エレクトラ・レコード
キャピトル・レコード(再発売)
ハリウッド・レコード(再々発)
日本の旗ワーナー・パイオニアエレクトラ(オリジナル盤)
東芝EMIユニバーサルミュージック(リイシュー盤)
プロデュース クイーン
ロイ・トーマス・ベイカー
専門評論家によるレビュー
クイーン アルバム 年表
クイーン II
(1974年)
シアー・ハート・アタック
(1974年)
オペラ座の夜
1975年
『シアー・ハート・アタック』収録のシングル
  1. キラー・クイーン/フリック・オブ・ザ・リスト
    リリース: 1974年10月11日
  2. ナウ・アイム・ヒア/谷間のゆり
    リリース: 1975年1月17日
  3. 「谷間のゆり/炎のロックン・ロール
    リリース: 1975年4月
テンプレートを表示

解説編集

クイーンは自分たちの世界を本国イギリス、日本についで、大国アメリカへと広げていった。本アルバムは、彼らの音楽が初めてアメリカで受け入れられたと言ってよい1枚である。ジョン・ディーコンの作った曲が収録され始めたのもこのアルバムからである。

本作のレコーディングは、1974年7月から9月にかけて行なわれ、初期2作と異なり、本作はトライデント・スタジオのほか、AIRロックフィールド・スタジオ、ウェセックス・サウンド・スタジオの4つのスタジオで作業が行なわれた[1]。このセッションの直前、バンドは1974年4月よりモット・ザ・フールの前座として初の北米ツアーに参加していた。しかし、ギターブライアン・メイがツアー前に受けた予防接種で消毒不十分な注射針が使用されたことにより肝炎を患い[2]、ツアーは途中で中止となりメイは入院[3]。メイの復帰後に、アルバムのレコーディングが続行されたものの、メイが十二指腸潰瘍を患ってしまった。これにより、メイの回復までの間、メイのギターソロを入れる余地を残す方でレコーディングを続け、復帰後にギター・パートとボーカル・パートが追加することで完成させた[2][4]

アルバムタイトルは、日本語で「突発的な心臓発作」という意味だが、隠語で「暗殺者ナイフ」あるいは「心臓を一突き」という意味があり、デジタル・リマスター版CD (EMI:TOCP-8273) の日本語解説ではこちらの意味とされている。

また、このアルバムの同名曲であるロジャー・テイラー作の「シアー・ハート・アタック」は本アルバムには収録されておらず、3年後に発売されたオリジナルアルバム『世界に捧ぐ』にアウトトラックとして収録された。

収録曲編集

特記を除き、リード・ボーカルはフレディ・マーキュリーが担当。

アナログA面
#タイトル作詞・作曲リード・ボーカル時間
1.「ブライトン・ロック」(Brighton Rock)ブライアン・メイブライアン・メイ
フレディ・マーキュリー
2.キラー・クイーン(Killer Queen)フレディ・マーキュリー 
3.「テニメント・ファンスター」(Tenement Funster)ロジャー・テイラーロジャー・テイラー
4.フリック・オブ・ザ・リスト(Flick Of The Wrist)マーキュリー 
5.谷間のゆり(Lily Of The Valley)マーキュリーメイ
6.ナウ・アイム・ヒア(Now I'm Here)メイ 
合計時間:
アナログB面
#タイトル作詞・作曲リード・ボーカル時間
1.「神々の業」(In The Lap Of The Gods)マーキュリー 
2.ストーン・コールド・クレイジー(Stone Cold Crazy)マーキュリー
メイ
テイラー
ジョン・ディーコン
 
3.「ディア・フレンズ」(Dear Friends)メイ 
4.「ミスファイアー」(Misfire)ディーコン 
5.「リロイ・ブラウン」(Bring Back That Leroy Brown)マーキュリー 
6.「シー・メイクス・ミー」(She Makes Me (Stormtrooper in Stilettoes))メイメイ
7.神々の業(リヴィジテッド)(In The Lap Of The Gods Revisited)マーキュリー 
合計時間:

パーソネル編集

チャート最高順位編集

脚注編集