シナトルケスSinatrucesペルシア語:سیناتروک、在位:紀元前76年/75年 - 紀元前70年/69年)は、アルサケス朝パルティア王国の王。サナトルケスSanatruces)と表記されることもある。

シナトルケス
سیناتروک
シナトルケスのコイン
在位 紀元前76年/75年 - 紀元前70年/69年
戴冠式 紀元前76年/75年

死去 紀元前70年/69年
子女 フラーテス3世
家名 アルサケス家
王朝 アルサケス朝
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生涯

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紀元前76年または75年の記録で、バビロニア出土の粘土板にアルシャカンという名の王と、彼の姉妹で妻であったイスブバルザという王妃の名が現れる。この王名はこの年には確実に王位についていたシナトルケスと思われる。シナトルケスはパルティアを統治するためにサカラウカエ族の手から呼び戻された時、80歳の老人であった。彼は遊牧民に支持されていたが、おそらくアルサケス家の関係者であり、それゆに紛争時代に終止符を打つために召還されたのである。紀元前72年または71年の冬、ポントスミトリダテス6世がシナトルケスにローマ人と戦うための援助を依頼したが、シナトルケスは自分が老齢のため断った。彼は紀元前70年あるいは69年に没し、息子のフラーテス3世が後を継いだ。[1]

脚注

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  1. ^ デベボイス 1993,p45

参考資料

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先代
オロデス1世
パルティア王国の君主
前76年/75年 - 前70年/69年
次代
フラーテス3世