ジェリー・ローリングス
ジェリー・ジョン・ローリングス(英語: Jerry John Rawlings, 1947年6月22日 - 2020年11月12日)は、ガーナの軍人、政治家。同国第4代(第四共和政初代)大統領。同国第8・10代国家元首。アクラ出身。
ジェリー・ローリングス Jerry Rawlings | |
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任期 | 1993年1月7日 – 2001年1月7日 |
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副大統領 | カウ・ンケンセン・アルカー(1993年1月7日 - 1997年1月7日) ジョン・アッタ・ミルズ(1997年1月7日 - 2001年1月7日) |
任期 | 1994年 – 1996年7月27日 |
事務局長 | エドゥアール・バンジャマン |
任期 | 1981年12月31日 – 1993年1月7日 |
任期 | 1979年6月4日 – 1979年9月24日 |
出生 | 1947年6月22日![]() ![]() |
死去 | 2020年11月12日(73歳没)![]() |
政党 | (無所属→) 国民民主会議 |
受賞 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
出身校 | アキモタ大学 |
配偶者 | ナナ・コナドゥ・アギェマン (1977年 - 2020年) |
子女 | 4人(1男3女) |
宗教 | キリスト教カトリック[1] |
来歴
編集ガーナ空軍大尉だった1979年に軍事クーデターでフレッド・アクフォ軍事政権を打倒し、軍事革命評議会(AFRC)議長に就任[2]。第8代国家元首となったもののすぐに民政移管をおこない、ヒラ・リマン大統領に政権を移譲する。しかし、リマン政権は機能不全を起こし、経済の停滞が続いたため、1981年に2度目のクーデターを起こし、今度は長期軍事政権を布いた。
ローリングスは、当初社会主義を志向したものの、やがて1983年以降構造調整を実施し、ガーナ経済は年率5%程度の安定成長を遂げるようになり、これによって政情も安定した。
1992年、民主化を実施し、複数政党制を導入。大統領選挙では政情の安定及び経済発展を評価され、第4共和政の初代大統領に就任[3]。1996年の選挙でも大勝するも、憲法の三選禁止の規定により、2000年の大統領選挙には出馬しなかった。
2020年11月12日に首都アクラの病院で73歳で死去[4]。
政権運営と政治姿勢
編集ローリングスは大統領に在任中『民衆がエリートに押しつぶされたなら、軍隊は民衆に自由を与えるべきだ』と述べていた。彼の政治的立場は、軍部出身でありながらエリートや階級構造、政府高官らの汚職や腐敗を批判するポピュリズム、大衆迎合的な物であったとされる。また、白い服を着用し、大柄な体格、顎髭、サングラス姿で住民と話し合うその様は「よく響く太い声でクマのような大男」とさえ呼ばれ、その親しみやすさから現在でもガーナの現代史に深い影響を与えている。ローリングスのそういった姿勢は、ブルキナファソの革命家トーマス・サンカラ、ギニアの暫定大統領であるママディ・ドゥンブヤにも影響を与えた。
在任中にはクワメ・エンクルマが推進した反帝国主義的な外交政策を行い、かつ反米的な物であった。内政面でも、当初は左派的な政策を実施したが、1983年以降は構造調整やIMFからの借款で経済を建て直した。
脚注
編集- ^ Magdalene Kahiu (2020年11月12日). “Ghana’s Longest Serving President, Known for Calling Church Leadership to “speak up” Dies”. ACI Africa. 2025年6月15日閲覧。
- ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年 ISBN 4-7947-0523-9 239ページ
- ^ 高根務『ガーナ 混乱と希望の国』p.121, アジア経済研究所、2003年11月7日 ISBN 978-4258051045
- ^ “Jerry Rawlings: Ghana's ex-president dies aged 73”. BBC News. BBC. (2020年11月12日) 2020年11月13日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- ジェリー・ローリングス公式 - ウェイバックマシン(2018年11月4日アーカイブ分)
公職 | ||
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先代 自身 (暫定国家防衛評議会議長) |
ガーナ共和国大統領 第4代:1993年1月7日 – 2001年1月7日 |
次代 ジョン・アジェクム・クフォー |
先代 ヒラ・リマン (大統領) |
ガーナ共和国暫定国家防衛評議会議長 初代:1981年12月31日 – 1993年1月7日 |
第四共和政移行 |
先代 フレッド・アクフォ (最高軍事評議会議長) |
ガーナ共和国軍事革命評議会議長 初代:1979年6月4日 – 1979年9月24日 |
次代 ヒラ・リマン (大統領) |
軍職 | ||
先代 ジョセフ・ヌノー=メンサ |
ガーナ共和国国防参謀総長 第21代:1982年11月28日 – 1983年8月25日 |
次代 アーノルド・クエイノー |
外交職 | ||
先代 ニセフォール・ソグロ ベナン |
西アフリカ諸国経済共同体議長 第16代:1994年 – 1996年7月27日 |
次代 サニ・アバチャ ナイジェリア |