ジキル&ハイド (映画)
『ジキル&ハイド』(原題: Mary Reilly)は、1996年に公開されたアメリカ映画。
ジキル&ハイド | |
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Mary Reilly | |
監督 | スティーヴン・フリアーズ |
脚本 | クリストファー・ハンプトン |
製作 |
ネッド・タネン ナンシー・グレアム・タネン ノーマ・ヘイマン |
製作総指揮 | リン・プレシェット |
音楽 | ジョージ・フェントン |
撮影 | フィリップ・ルースロ |
編集 | レスリー・ウォーカー |
製作会社 | パインウッド・スタジオ |
配給 |
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公開 |
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上映時間 | 108分 |
製作国 |
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言語 | 英語 |
製作費 | $47,000,000 |
興行収入 | $12,379,402[1] |
この作品はロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』を基にした、ヴァレリー・マーティンの小説『メアリー・ライリー/ジーキル&ハイドの恋』が、原作である。
監督はスティーヴン・フリアーズ、脚本はクリストファー・ハンプトンがそれぞれ担当した。なお、出演者のうちグレン・クローズとジョン・マルコビッチの2名は、アカデミー賞にノミネートされた1988年の作品『危険な関係』でフリアーズとハンプトンとともに仕事をしたことがある。
あらすじ編集
ヘンリー・ジキル博士のメイドの一人であるメアリーは、過去に飲んだくれの父親に虐待されたこともあってか、自分の仕事に満足し、温厚で心やさしい博士とのひそやかな友情も育てつつあった。
しかし、ジキル博士の“助手”であるエドワード・ハイドに出会ってから、彼女の博士に対する態度は変わりつつあった。 当初メアリーはハイドに反発していたが、彼の美貌と情熱的な人となりに感心していた。
エドワード・ハイドは、博士に部屋を貸していたミセス・ファラデーや偶然彼と出会ったダンヴァーズ・カルー卿を殺害し、メアリーはカルー卿の殺害を目撃してしまった。
危険だと思ったメアリーは博士の元から出ようとするが、ハイドに追いかけられる。ハイドがある薬を飲んだ瞬間、ジキル博士の姿になった。
主要キャスト編集
役名 | 俳優 | 日本語吹替 |
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メアリー・ライリー | ジュリア・ロバーツ | 勝生真沙子 |
ヘンリー・”ハリー”・ジキル博士/エドワード・ハイド | ジョン・マルコビッチ | 津嘉山正種 |
ブラッドショー | マイケル・シーン | 高木渉 |
執事プール | ジョージ・コール | 阪脩 |
ケント夫人 | キャシー・スタッフ | 藤夏子 |
アニー | ブロナー・ギャラガー | 喜田あゆみ |
ファラデー夫人 | グレン・クローズ | 宮寺智子 |
メアリーの父 | マイケル・ガンボン | 青森伸 |
ダンヴァース・カリュー卿 | キアラン・ハインズ | 金尾哲夫 |
製作編集
1989年、プロデューサーの ジョン・ピーターズとピーター・グーバーは『メアリー・ライリー/ジーキル&ハイドの恋』の版権を手に入れ、ワーナー・ブラザースに ロマン・ポランスキーが監督する形で制作しないかと提案した[2] 。 グーバーは1989年末にソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントの最高責任者になった際、この小説の映画化企画をソニーの子会社であるトライスター・ピクチャーズにうつした[3]。このとき、 ティム・バートン監督、デニーズ・ディ・ノヴィ製作のもと1991年公開予定と、企画の内容が変更された[3]。 クリストファー・ハンプトンはその映画の脚本を書く契約を結び、彼による手直しを受け入れたバートンは、この映画の監督を務める契約を1993年1月に結んだ[2]。 ディ・ノヴィは、『エド・ウッド』の製作を終えた後の1994年1月にこの映画の撮影を開始するつもりだった[4]。 ところが、グーバーが『エド・ウッド』の内容を変更するようバートンに迫ったため、これに怒ったバートンが1993年5月に『ジキル&ハイド』の監督を降板した。バートンの代理として、スティーヴン・フリアーズが監督を務め、解雇されたディ・ノヴィの後継はネッド・タネンになった。
なお、当初トライスターの予定ではジキル博士役を ダニエル・デイ=ルイスが務めることになっていた[3]。
評価編集
制作の遅れや主演俳優のトラブルなど、この映画の評判は公開前から悪く、公開後になってもよくはならなかった。また、主演の2人がミスキャストだったという評価もあった。かくして、予算4700万ドルに対し北米興行収入成績は560万ドルという結果に終わり[5][1]、後にメアリー役のジュリア・ロバーツはゴールデンラズベリー賞最低主演女優賞にノミネートされ、フリアーズも最低監督賞にノミネートされた[6]。
脚注編集
- ^ a b “Mary Reilly (1996)” (英語). Box Office Mojo. 2010年10月13日閲覧。
- ^ a b Claudia Eller (1993年1月11日). “Fox mulls playing 'Pat' hand; TriStar woos Woo”. Variety 2010年10月30日閲覧。
- ^ a b c Claudia Eller (1993年5月3日). “Burton's off 'Reilly'”. Variety 2010年10月30日閲覧。
- ^ Staff (1993年2月4日). “TriStar Pictures slate for 1993”. Variety 2010年10月30日閲覧。
- ^ Mary Reilly (1996) - Box office / business
- ^ “1996 RAZZIE® Nominees & "Winners"”. 2011年7月6日閲覧。
外部リンク編集
- ジキル&ハイド - Movie Walker
- ジキル&ハイド - allcinema
- ジキル&ハイド - KINENOTE
- Mary Reilly - オールムービー(英語)
- Mary Reilly - インターネット・ムービー・データベース(英語)