ダニエル・デイ=ルイス

イギリスの俳優

サー・ダニエル・マイケル・ブレイク・デイ=ルイス(Sir Daniel Michael Blake Day-Lewis, 1957年4月29日 - )は、イギリス出身の俳優。2019年現在、アカデミー主演男優賞を3回受賞している唯一の俳優である。

ダニエル・デイ=ルイス
Sir Daniel Day-Lewis
Sir Daniel Day-Lewis
2013年
本名 Daniel Michael Blake Day-Lewis
生年月日 (1957-04-29) 1957年4月29日(67歳)
出生地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
国籍 イギリスの旗 イギリス
アイルランドの旗 アイルランド[1]
身長 187 cm
活動期間 1970年 - 2017年
配偶者 レベッカ・ミラー(1996年 - )
著名な家族 祖父:マイケル・バルコン
父:セシル・デイ=ルイス
姉:タマシン・デイ=ルイス
主な作品
バウンティ/愛と反乱の航海』(1984年)
マイ・ビューティフル・ランドレット』(1985年)
眺めのいい部屋』(1986年)
存在の耐えられない軽さ』(1988年)
マイ・レフトフット』(1989年)
ラスト・オブ・モヒカン』(1992年)
エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』(1993年)
父の祈りを』(1993年)
クルーシブル』(1996年)
ボクサー』(1997年)
ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002年)
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)
NINE』(2009年)
リンカーン』(2012年)
ファントム・スレッド』(2017年)
 
受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1989年マイ・レフトフット
2007年ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
2012年リンカーン
ベルリン国際映画祭
功労賞
2005年
全米映画批評家協会賞
主演男優賞
1989年マイ・レフトフット
2007年ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
2012年リンカーン
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演男優賞
1989年マイ・レフトフット
2002年ギャング・オブ・ニューヨーク
2007年ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
2012年リンカーン
助演男優賞
1986年マイ・ビューティフル・ランドレット』『眺めのいい部屋
ロサンゼルス映画批評家協会賞
主演男優賞
1989年マイ・レフトフット
2002年ギャング・オブ・ニューヨーク
2007年ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
放送映画批評家協会賞
主演男優賞
2002年ギャング・オブ・ニューヨーク
2007年ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
2012年リンカーン
英国アカデミー賞
主演男優賞
1989年『マイ・レフトフット
2002年『ギャング・オブ・ニューヨーク
2007年ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
2012年リンカーン
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
2007年ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
2012年リンカーン
全米映画俳優組合賞
主演男優賞
2002年ギャング・オブ・ニューヨーク
2007年ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
2012年リンカーン
その他の賞
トロント映画批評家協会賞
主演男優賞
2017年ファントム・スレッド
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来歴

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生い立ち

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ロンドンで生まれ、グリニッジで育つ。父親は桂冠詩人セシル・デイ=ルイス(ニコラス・ブレイクの名前でミステリ作家としても知られる)。母親はバルト三国からの出自を持つユダヤ系の女優ジル・バルコンJill Balcon)である。母方の祖父は映画プロデューサーで、イーリング・スタジオの代表だったマイケル・バルコン英語版[2][3]。姉のタマシン・デイ=ルイス英語版ドキュメンタリー映画の監督[4]

キャリア

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オールド・ヴィク演劇学校(Bristol Old Vic Theatre School)で演技を学び、1971年に『日曜日は別れの時』で映画デビューしたが、しばらくはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどの舞台で活動していた。1982年に再び映画界に戻り、『マイ・ビューティフル・ランドレット』(1985年)・『眺めのいい部屋』(1986年)に連続出演し、この2作品で注目され、ニューヨーク映画批評家協会賞 助演男優賞を受賞。『存在の耐えられない軽さ』(1988年)でアメリカ映画に進出。1989年公開の『マイ・レフトフット』でアカデミー主演男優賞を受賞。

1991年の『羊たちの沈黙』でアンソニー・ホプキンスが演じたハンニバル・レクター役の最終候補の3人に挙がっていたという(候補は彼とホプキンスとデレク・ジャコビだった)[5]

一時期、俳優業を休業して靴屋になるためにイタリアで修行していたが[6]マーティン・スコセッシ監督に説得され、2002年公開の『ギャング・オブ・ニューヨーク』で俳優復帰。この作品でアカデミー主演男優賞にノミネートされた。

2007年公開の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』では第80回アカデミー賞主演男優賞を始めとする多数の映画賞を受賞した。

2012年公開の『リンカーン』で、第85回アカデミー賞主演男優賞を受賞、史上初となる3度目の同賞受賞者となった[7][8]。アカデミー賞受賞後、『リンカーン』での演技をきわめたことに困難を感じ、俳優業から休業することを発表した[9]

2014年6月、演劇への貢献を讃えられエリザベス2世よりナイトの称号(KBE)を与えられた[10]

2015年9月、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジから文学の名誉博士号を授与された[11]

2017年に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のポール・トーマス・アンダーソン監督と再び組み、『ファントム・スレッド』に主演。アカデミー主演男優賞にノミネート。本作を最後に引退すると報じられていた。また、この作品では架空のファッションデザイナーを演じたが、実生活でも今後はファッションデザイナーとしての活動を始めるつもりだという[12]

以降は俳優業から身を引き、表舞台に出ることはほとんどなくなった。ジム・シェリダンやマーティン・スコセッシがオファーしても拒否し続けていたという。

しかし2024年10月、息子であるローナン・デイ=ルイスの映画監督デビュー作品「Anemone(原題)」で俳優復帰を発表。製作はフォーカス・フィーチャーズプランBが担当する。

演技

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2012年4月の英Total Film誌よる「映画史に残る演技ベスト200(The 200 Greatest Movie Performances of All Time)」では『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』での演技で『カッコーの巣の上で』のジャック・ニコルソン、『レイジング・ブル』のロバート・デ・ニーロに次ぐ3位にランクインした[13]。2007年の第80回アカデミー賞では『フィクサー』で同じく主演男優賞にノミネートされていたジョージ・クルーニーは結果発表前に「自分が主演男優賞を受賞? ダニエルがいるから無理だよ」と答えたという。

出演作の数はキャリア47年間で21本と寡作であり、出演作品を選ぶことで知られているが、『マイ・レフトフット』の成功以降オファーが途切れたことはなく、ピーター・ジャクソンは数回に渡って『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルン役を打診していたが、全てオファーを断ったという。2002年の『ギャング・オブ・ニューヨーク』では本来主役だったはずのレオナルド・ディカプリオを抑えてアカデミー主演男優賞にノミネートされた。ディカプリオも彼を尊敬しており、主演がデイ=ルイスになることが当然だと語っている[14]

一方で、デイ=ルイス自身は「私に役者としての復活の気持ちを与えてくれた俳優」としてヒース・レジャーを挙げている。2007年の全米映画俳優組合賞(SAG賞)受賞のスピーチでは『チョコレート』と『ブロークバック・マウンテン』での彼の演技を称賛している。

徹底した役作りを行うことでも知られており、そのスタンスはロバート・デ・ニーロと比較されることも多い。

私生活

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1993年にアイルランド市民権を取得[1]

過去にジュリエット・ビノシュジュリア・ロバーツウィノナ・ライダーなどとの交際歴がある。6年間交際した女優のイザベル・アジャーニとの間に一児(ガブリエル・カネ・デイ=ルイス:Gabriel-Kane Day-Lewis:俳優)をもうけるが、結婚はしなかった[16]。1996年に作家アーサー・ミラーの娘レベッカ・ミラーRebecca Miller)と結婚し、ローナン(1998年 - )とカシュエル(2002年 - )という2人の息子がいる。2005年には彼女の監督作品に出演[17]し、2009年には同じく彼女の監督作『50歳の恋愛白書』に俳優ではなく大工作業スタッフとして参加した。

1998年、イタリア・フィレンツェのハンドメイド靴職人ステファノ・ベーメル(Stefano Bemer)のサン・フレディアーノの工房で靴作りを教わっていた。ローマの工房に近いマンションに妻のレベッカ・ミラーと1歳の息子と住み始め、10ヶ月間 靴の製作を行った。後にマーティン・スコセッシがフィレンツェまで訪れ、『ギャング・オブ・ニューヨーク』の出演依頼をするまで続いた。映画界に復帰する彼にベーメルが贈ったものは工房の合鍵だったという。ベーメルは2012年7月28日に48歳で他界した。

2010年7月15日、ブリストルのオールド・ヴィク演劇学校(Bristol Old Vic Theatre School)で演技を学んだことを受けて、ブリストル大学から名誉博士号を授与されている。

現在はアメリカとアイルランドで暮らしている[4]。アイルランド・ウィックロー県の自宅は山岳地帯にあり、そこでは普段 靴作りと木工作業に没頭している。そのため、彼の息子のローナンは、9歳頃まで彼を俳優とは知らず大工だと思っていたという[18]

ミルウォールFCのサポーター。

2014年11月14日、バッキンガム宮殿での騎士叙任の儀式でウィリアム王子よりナイト爵が授けられた[19]

息子のローナンは画家として活動しており、2024年10月2日には香港で初の国際個展を開催。更に映画監督としての活動を始めることも決まっており、デビュー作品にはダニエルも出演予定。

主な出演作品

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公開年 邦題
原題
役名 備考
1971 日曜日は別れの時
Sunday Bloody Sunday
若き日のヴァンダル クレジット表記なし
1982 ガンジー
Gandhi
コーリン
1984 バウンティ/愛と反乱の航海
The Bounty
ジョン・フライヤー
1985 マイ・ビューティフル・ランドレット
My Beautiful Laundrette
ジョニー
1986 眺めのいい部屋
A Room with a View
セシル・ヴァイス
風の中の恋人たち
Nanou
マックス
1988 存在の耐えられない軽さ
The Unbearable Lightness of Being
トーマス
イングリッシュマンinニューヨーク
Stars and Bars
ヘンダーソン・ドーレス
1989 エバースマイル、ニュージャージー
Eversmile, New Jersey
ファーガス・オコネル医師
マイ・レフトフット
My Left Foot: The Story of Christy Brown
クリスティ・ブラウン
1992 ラスト・オブ・モヒカン
The Last of the Mohicans
ホークアイ(ナサニエル・ポー)
1993 エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事
The Age of Innocence
ニューランド・アーチャー
父の祈りを
In The Name of The Father
ジェリー・コンロン
1996 クルーシブル
The Crucible
ジョン・プロクター
1997 ボクサー
The Boxer
ダニー・フリン
2002 ギャング・オブ・ニューヨーク
Gangs of New York
ビル・“ザ・ブッチャー”・カッティング
2005 The Ballad of Jack and Rose ジャック・スラヴァン レベッカ・ミラー監督作品
2007 ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
There Will Be Blood
ダニエル・プレインビュー
2009 NINE
Nine
グイド・コンティーニ
2012 リンカーン
Lincoln
エイブラハム・リンカーン
2017 ファントム・スレッド
Phantom Thread
レイノルズ・ウッドコック
TBA
Anemone
ローナン・デイ=ルイス監督作品

受賞歴

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部門 作品 結果
全米映画批評家協会賞 1986年 助演男優賞 眺めのいい部屋
マイ・ビューティフル・ランドレット
ノミネート
1989年 主演男優賞 マイ・レフトフット 受賞
1993年 父の祈りを ノミネート
2007年 ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 受賞
2012年 リンカーン 受賞
2017年 ファントム・スレッド ノミネート
ニューヨーク映画批評家協会賞 1986年 助演男優賞 『眺めのいい部屋』
『マイ・ビューティフル・ランドレット』
ノミネート
1989年 主演男優賞 『マイ・レフトフット』 受賞
1993年 『父の祈りを』 ノミネート
1996年 クルーシブル ノミネート
2002年 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 1986年 助演男優賞 『眺めのいい部屋』
『マイ・ビューティフル・ランドレット』
受賞
ボストン映画批評家協会賞 1988年 主演男優賞 存在の耐えられない軽さ 受賞
1989年 『マイ・レフトフット』 受賞
1993年 『父の祈りを』 受賞
2002年 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 ノミネート
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 ノミネート
2012年 『リンカーン』 受賞
アカデミー賞 1989年 主演男優賞 『マイ・レフトフット』 受賞
1993年 『父の祈りを』 ノミネート
2002年 ギャング・オブ・ニューヨーク ノミネート
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
2017年 『ファントム・スレッド』 ノミネート
ゴールデングローブ賞 1989年 主演男優賞(ドラマ部門) 『マイ・レフトフット』 ノミネート
1993年 『父の祈りを』 ノミネート
1997年 ボクサー ノミネート
2002年 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 ノミネート
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2009年 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門) NINE ノミネート
2012年 主演男優賞(ドラマ部門) 『リンカーン』 受賞
2017年 『ファントム・スレッド』 受賞
英国アカデミー賞 1989年 主演男優賞 『マイ・レフトフット』 受賞
1992年 ラスト・オブ・モヒカン ノミネート
1993年 『父の祈りを』 ノミネート
2002年 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
2017年 『ファントム・スレッド』 ノミネート
ヨーロッパ映画賞 1989年 男優賞 『マイ・レフトフット』 ノミネート
モントリオール世界映画祭 1989年 男優賞 『マイ・レフトフット』 受賞
ロサンゼルス映画批評家協会賞 1989年 主演男優賞 『マイ・レフトフット』 受賞
2002年 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
シカゴ映画批評家協会賞 1989年 主演男優賞 『マイ・レフトフット』 ノミネート
1993年 エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事 ノミネート
2002年 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
2017年 『ファントム・スレッド』 ノミネート
ロンドン映画批評家協会賞 1989年 年間俳優賞 『マイ・レフトフット』 受賞
1992年 英国男優賞 『ラスト・オブ・モヒカン』 受賞
2007年 主演男優賞 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 ノミネート
2017年 『ファントム・スレッド』 ノミネート
全米映画俳優組合賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
クリティクス・チョイス・アワード 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
2017年 『ファントム・スレッド』 ノミネート
オンライン映画批評家協会賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
ニューヨーク映画批評家オンライン賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
フロリダ映画批評家協会賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
カンザスシティ映画批評家協会賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
サンディエゴ映画批評家協会賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
ラスベガス映画批評家協会賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
フェニックス映画批評家協会賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 ノミネート
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
ダラス・フォートワース映画批評家協会賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 ノミネート
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
2017年 『ファントム・スレッド』 ノミネート
ユタ映画批評家協会賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 受賞
2007年 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 次点
ワシントンD.C.映画批評家協会賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 ノミネート
2012年 『リンカーン』 受賞
2017年 『ファントム・スレッド』 ノミネート
トロント映画批評家協会賞 2002年 主演男優賞 『ギャング・オブ・ニューヨーク』 ノミネート
2012年 『リンカーン』 ノミネート
2017年 『ファントム・スレッド』 受賞
ダブリン映画批評家協会賞 2007年 主演男優賞 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 4位
2017年 『ファントム・スレッド』 3位
セントルイス映画批評家協会賞 2007年 主演男優賞 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞
2017年 『ファントム・スレッド』 ノミネート
ヒューストン映画批評家協会賞 2007年 主演男優賞 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 受賞
2012年 『リンカーン』 受賞

脚注

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  1. ^ a b "Daniel Day-Lewis.". RottenTomatoes.com, Accessed 12 October 2008
  2. ^ Day-Lewis gets Oscar nod for new film, Kent News, 2007-12-17. Archived 2008年2月1日, at the Wayback Machine.
  3. ^ Chicago Sun-Times 2007-12-3
  4. ^ a b Segal, David. "Daniel Day-Lewis, Behaving Totally In Character". The Washington Post, 31 March 2005
  5. ^ デレク・ジャコビ自伝「As Luck Would Have It」(2013年9月12日 刊行)
  6. ^ New York Times Biography. New York Times. Retrieved 27 February, 2006.
  7. ^ 「リンカーン」のD・デイ・ルイス、史上初3度目の主演男優賞 ロイター 2013年2月25日付記事
  8. ^ “史上初!ダニエル・デイ=ルイスが3度目の主演男優賞獲得!【第85回アカデミー賞】”. シネマトゥデイ. (2013年2月25日). https://www.cinematoday.jp/news/N0050527 2013年3月8日閲覧。 
  9. ^ "Daniel Day-Lewis wants break from acting". NDTV. Retrieved 3 February 2014
  10. ^ “Queen's Honours: Day-Lewis receives knighthood”. BBC. (13 June 2014). http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-27813303 14 June 2014閲覧。 
  11. ^ オスカー俳優ダニエル・デイ=ルイスに名誉博士号”. シネマトゥデイ (2015年9月12日). 2015年9月14日閲覧。
  12. ^ 俳優引退ダニエル・デイ=ルイス、今後はファッションデザイナー目指す - シネマトゥデイ
  13. ^ “英誌選出「映画史に残る演技ベスト200」”. 映画.com. (2012年4月2日). https://eiga.com/news/20120402/10/ 2013年4月13日閲覧。 
  14. ^ “『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』が公開へ。オスカーを獲得した主演の驚く経歴とは?”. (2008年4月24日). http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20080424/1009856/?ST=life&P=1 2013年4月13日閲覧。 
  15. ^ The interview: Daniel Day-Lewis | Film | The Observer:
  16. ^ Gritten, David (22 February 2013). “Daniel Day-Lewis: the greatest screen actor ever?”. The Telegraph. http://www.telegraph.co.uk/culture/film/oscars/9886193/Daniel-Day-Lewis-the-greatest-screen-actor-ever.html 25 February 2013閲覧。 
  17. ^ Internet Movie Database
  18. ^ AOLエンタテインメント 2008年2月27日
  19. ^ “ダニエル・デイ=ルイス ウィリアム王子からナイト爵を授けられる”. シネマトゥデイ. (2014年11月17日). https://www.cinematoday.jp/news/N0068228 2014年11月18日閲覧。 

参考文献

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  • アダム・ネイマン『ポール・トーマス・アンダーソン ザ・マスターワークス』井原慶一郎訳、2021年10月、DU BOOKS

外部リンク

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