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地理編集

エソンヌ県北西部に位置し、コミューン全体がパリ都市圏に含まれる。かつてのウルポワ地方(fr)に属する。

コミューン内をイヴェット川が東西に横切る。

交通編集

  • 道路 - コミューン面積の約6割が都市化されているにもかかわらず、ジフ=シュル=イヴェットにはオートルートのような主要道が通じていないままである。パリ-ランブイエ間を走る県道306号線が最大の道路である。
  • 鉄道 - RER B線の駅が2つある

由来編集

ジフとはガリア語で農場を意味するædificiaから派生したとする、議論の余地のある語源を持つ。川の名イヴェットとは、水を意味するawaと、ちっぽけなを意味するicosからきている。1932年、コミューン名にイヴェットの名が付け加えられた。

歴史編集

ムーロン谷には新石器時代から人が定住していたと、住居跡から証明されている。また、紀元前6世紀頃のケルト人の村跡もある。ローマ帝国による征服後、この定住地はルテティア-アウトリクム(現在のシャルトル)間を走るローマ街道の途上にあった。

7世紀からジフで建設された教会が完成したのは9世紀であった。12世紀には、ベネディクト会の尼僧たちが運営した10ヘクタールにおよぶヴァル・ド・ジフ修道院の存在に触れられている。百年戦争時代、修道院と荘園は破壊された。17世紀、ジャンセニズムに共鳴した修道院は廃れることになり、荘園は分割された。パリのブルジョワがベルヴィル城を建てた。

1791年1月、革命政府によって修道院は廃止され、ヴェルサイユのブルジョワに売却された。修道院建物は建設用資材として転売された。

19世紀のジフは、谷でイチゴを、平野で穀物を栽培する農村のままであった。1867年8月、ソー線が開通しジフに駅ができた。

第二次世界大戦の勝利後、1946年にフランス国立科学研究センターの施設フィトトロンが、1947年にフランス原子力庁の施設ができた[2]フェルナン・レジェは古いギャンゲットであるグロ・ティユールを購入しアトリエに変え、移住した。同じ時期、ウィンザー公爵夫妻もムーラン・デュ・テュイルリーに暮らしていた。

1960年代から1970年代にかけ、ジフ=シュル=イヴェットは人口増を経験した。自治体が、大規模集合住宅建設に着手したためである。

1972年、旧フェルナン・レジェ邸にて、ヘンリー・キッシンジャーレ・ドゥク・トが外交交渉を行った(のちパリ協定が結ばれる)[3].。1976年、ムーロン地区にグラン・ゼコールの1つエコール・シュペリウール・デレクトリシテ(fr:École supérieure d'électricité)が開校した。

姉妹都市編集

脚注編集