ジャネット八田

日本の元女優

ジャネット 八田(ジャネット はった、1953年7月21日[1] - )は、日本の元ファッションモデル[1]、元女優。本名(日本名)、田淵 有加。京都府京都市生まれ[1]

ジャネット 八田
本名 田淵 有加
別名義 八田 有加(旧芸名)
生年月日 (1953-07-21) 1953年7月21日(70歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国·バージニア州 日本の旗 日本京都府京都市[1]
職業女優
活動期間 1972年 - 1981年
配偶者 田淵幸一(1981年 - )
著名な家族 田淵裕章(長男)
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身長167cm。B89cm、W63cm、H92cm(1975年12月)[2]

旧姓ジャネット八田[1]。旧姓及び旧芸名は八田 有加(はった ゆか)。夫は元プロ野球選手田淵幸一。実の息子はフジテレビアナウンサー田淵裕章

略歴 編集

1980年刊行の『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)358–359頁に書かれた生い立ちと、『東京タイムズ』1975年1月27日付の本人インタビューでは、生い立ちの内容が大きく異なっている。

  • 『日本映画俳優全集・女優編』では、貿易商をしていたポーランド系アメリカ人の父と[1]、日本人の母の間にひとり娘としてアメリカ・バージニア州で生まれる[3]。3歳の時に日本へ戻る。1972年に高校を卒業後、日本航空の客室乗務員として勤務を始めるが、勤務3か月後に資生堂専属モデルとしてスカウトされ、ジャネット八田の芸名でモデルデビュー、と書かれている[3]
  • 東京タイムズ』1975年1月27日付の本人インタビューは、父はポーランド人、母は日本人で[1]京都市で生まれる[1]。海外居住歴はなく[1]、京都で育ち[1]京都聖母学院中学校~高等学校を卒業後[1]、1972年の秋に上京し[1]青山通りをショッピングしていたところをスカウトされ[1]ファッションモデルとなる[1]TBS『ミッドナイト・リサイタル』の司会に抜擢され[1]、続いて『11PM』カバーガール[1]NETの『破れ傘刀舟 悪人狩り』で連続テレビドラマに初レギュラー出演し、顔と名前が売れた、と書かれている[1]
  • 『11PM』では、ジャネット八田がゲストの各界著名人にキスをしてどんな反応をするか、というコーナーがあった。その類稀なる優雅で美麗な容貌から一躍売れっ子となる。その後は芸能界でテレビの時代劇や映画などに出演。一時期、芸名を本名(日本名)の八田有加に改めたこともある。
  • 1981年に当時西武ライオンズの選手だった田淵幸一と結婚し、芸能界から引退。その後サクラカラー(現コニカミノルタ)、ゼリア新薬工業のCMに夫婦で出演した。

出演 編集

映画 編集

テレビドラマ 編集

その他 編集

CM 編集

  • ヘイグウィスキー[2]
  • トレフル(ワコール)
  • ママローヤル(ライオン)※田淵夫人「八田有加」で出演
  • サクラカラー(小西六) ※夫婦で出演
  • ビタヘルサンB(ゼリア新薬工業)※夫婦で出演

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “出番です! 大活躍の混血タレント ジャネット八田 滑らかな日本語『適職』ですと自分で占う”. 東京タイムズ (東京タイムズ社): p. 5. (1975年1月27日)  ※八田本人のインタビューを含む記事。
  2. ^ a b 「〈情報スポット〉 CM★STAR 妖しい色気を漂わすジャネット八田(八田本人のインタビューを含む記事)」『週刊読売』1975年12月27日号、読売新聞社、32頁。 
  3. ^ a b 日本映画俳優全集・女優編、キネマ旬報社、1980年、358–359頁