ジョン・カリパリ

ジョン・ヴィンセント・カリパリJohn Vincent Calipari, 1959年2月10日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ムーンタウンシップ英語版出身のバスケットボール指導者。NCAAケンタッキー大学でヘッドコーチを務めている。2015年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。

ジョン・カリパリ
John Calipari
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2014年のカリパリ
ケンタッキー・ワイルドキャッツ HC
役職 ヘッドコーチ
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1959-02-10) 1959年2月10日(64歳)
出身地 ペンシルベニア州の旗ペンシルベニア州ムーンタウンシップ英語版
ポジション PG
経歴
コーチ時代:
1982-1985カンザス大学 (AC)
1985-1988ピッツバーグ大学 (AC)
1988-1996マサチューセッツ大学
1996-1999ニュージャージー・ネッツ
1999-2000フィラデルフィア・76ers (AC)
2000-2009メンフィス大学
2009-ケンタッキー大学
受賞歴
  • NCAAチャンピオン : 2012
  • 3×ネイスミス年間最優秀コーチ賞 : 1996, 2008, 2015
  • AP通信年間最優秀コーチ賞 : 2015
  • 3×NABC年間最優秀コーチ賞 : 1996, 2009, 2015
  • SEC年間最優秀コーチ賞 : 2010, 2012, 2015, 2020
獲得メダル
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国ヘッドコーチ
アメリカ選手権
銅メダル - 3位 2011 アルゼンチン
セントロ・バスケット
金メダル - 1位 2012 プエルトリコ
マーチャンドカップ
銅メダル - 3位 2011 プエルトリコ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ヘッドコーチ
U-19 ワールドカップ
銅メダル - 3位 2017 エジプト

来歴編集

カンザス大学編集

大学卒業後の1982年に現役を引退し、ラリー・ブラウンがヘッドコーチを務めていたカンザス大学のアシスタントコーチに就任した[1]

ピッツバーグ大学編集

1985年にはピッツバーグ大学のアシスタントコーチに就任した。

マサチューセッツ大学編集

1988年にマサチューセッツ大学のヘッドコーチに就任した。1996年に退任するまで、3度の年間最優秀コーチ賞を受賞した。

ニュージャージー・ネッツ編集

1996年にNBAニュージャージー・ネッツのヘッドコーチに就任した。

1年目の1996-97シーズンは26勝56敗と低迷した。苛立ちからかシーズン中の取材で記者に対して暴言を吐き、NBAから2万5000ドルの罰金処分を科せられた[2]。オフに行われたドラフトではトレードでキース・ヴァン・ホーンを獲得するなど補強に動いた。

2年目の1997-98シーズンは43勝39敗と持ち直し、長年低迷していたチームをカンファレンス8位でプレーオフ進出に導いた。プレーオフでは1回戦でマイケル・ジョーダン擁するカンファレンス1位のシカゴ・ブルズと対戦し、3連敗で敗退した。

3年目の1998-99シーズンシーズンはロックアウトにより短縮シーズンとなった。チームは前年の躍進もありダークホースとして期待されていたが、開幕戦でエースのサム・キャセールが負傷し、3勝15敗と低調なスタートとなってしまった。キャセールをミルウォーキー・バックスに放出し、代わりにミネソタ・ティンバーウルブズとのトレードでステフォン・マーブリーを獲得したが状況は好転せず、3勝17敗となった時点で解任された。

フィラデルフィア・76ers編集

ネッツから解任された直後、カンザス大学時代の恩師であるブラウンがヘッドコーチを務めていたフィラデルフィア・76ersのアシスタントコーチに就任した。

1999-2000シーズンオフに退団した。

メンフィス大学編集

 
2007年のカリパリ

2000年にメンフィス大学英語版のヘッドコーチに就任した。

2002年から2018年までの間に自身がヘッドコーチを務めたチームで1年間プレーし、NBAドラフトにアーリーエントリーした選手は全員が1巡目で指名されている[3]

2007-08シーズンにはデリック・ローズらを擁し、NCAAトーナメントで準優勝した。

ケンタッキー大学編集

2008-09シーズンオフにメンフィス大学からの8年3165万ドルの延長オファーを断り、8年3465万ドルでケンタッキー大学のヘッドコーチに就任した[3]

2011-12シーズンにはアンソニー・デイビスマイケル・キッド=ギルクリストのツインタワーを擁し、チームでは14年ぶり、自身としては初となるNCAAトーナメント優勝を果たした[4]

2019年4月にケンタッキー大学と生涯契約を結んだ[5]

脚注編集

  1. ^ Tait, Matt (2012年4月2日). “John Calipari talks about KU days” (英語). KUsports.com. 2021年10月30日閲覧。
  2. ^ Roberts, Selena (1997年3月27日). “Stern Fines Calipari $25,000 for Insulting Reporter” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1997/03/27/sports/stern-fines-calipari-25000-for-insulting-reporter.html 2021年10月30日閲覧。 
  3. ^ a b Marcum, Jason (2018年6月21日). “Amazing John Calipari streak in the NBA Draft ends” (英語). A Sea Of Blue. 2021年10月30日閲覧。
  4. ^ 2012 Men's Basketball National Champions” (英語). University of Kentucky Athletics. 2021年10月30日閲覧。
  5. ^ Abdeldaiem, Alaa. “John Calipari, Kentucky agree to lifetime contract” (英語). Sports Illustrated. 2021年10月30日閲覧。

外部リンク編集