ジョーイ・ステファノ: Joey Stefano1968年1月1日1994年11月21日)は、アメリカのゲイ・ポルノ映画俳優。

ジョーイ・ステファノ
プロフィール
生年月日 1968年1月1日
没年月日 1994年11月21日
没年齢 26歳(数え27)
公称サイズ[いつ?]
身長 / 体重 178cm cm / kg
単位系換算
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活動
ジャンル モデル俳優ポルノ男優
モデル内容 ゲイビデオ作品
モデル: テンプレート - カテゴリ

キャリア 編集

ニコラス・アンソニー・イアコナ・ジュニアとして生まれたステファノは、ペンシルベニア州チェスターで育った。彼の父、ニコラス・シニアは、組合の画家でステファノが15歳のときに結腸癌で亡くなった[1]。父親の死後、ステファノは薬物を使い始め、最終的には6か月間リハビリに送られた。リハビリの後、彼はモデルになり、自身のポートフォリオを構築しようとした。1989年、ステファノはトニー・デイビスというゲイ・ポルノ俳優と出会い、デイビスはステファノがゲイ・ポルノ業界に参入する手伝いをした[1]

ステファノのキャリアはロサンゼルスへの旅の中で チ・チ・ラルー と出会った事から始まった[1] 。ステファノの外見は公表を博し、彼の「ハングリー・ボトム」(性的には従順だが、口頭で多くを要求する) なペルソナは彼の人気に一役買った[2] 。ステファノのイメージと成功は マドンナの興味を惹きつけ、マドンナは自身が1992年に発売した本『SEX』でステファノをモデルとして起用した。ステファノが成功を収めている間、ステファノの家族は彼がゲイであるともアダルト業界で働いているとも全く思っていなかった。ステファノの姉によると、彼は家族には男性モデルをしているとしか伝えていなかった。彼女はその後ステファノの本当の仕事を知ったが、彼らの母親には伝えなかった[1]

生涯の間、彼は同性愛者であることが知られている著名なエンターテインメント業界の人物との関係に関する噂の対象だった。1990年5月のジェス・ケーグル(エンターテインメント・ウィークリー)とリック・X(マンハッタン・ケーブル・テレビのクローゼット・ケース・ショーのホスト)とのディナーとインタビューで、ステファノはデヴィッド・ゲフィンと一連の「デート」の噂について話し合った。ゲフィンはステファノに薬物を使わないよう嘆願していた人物でもあった [3] [4]。ビデオ・テープによるインタビューがリックXの番組に載った後、 OutWeekMagazineエイズ募金活動でゲフィンが同性愛を明らかにし続けたと発表した[5] [6]

ステファノは1980年代後半から1990年代初頭にかけて、ニューヨークのゲイエティ劇場(男性のバーレスク)で踊った。彼は最も有名なゲイエティダンサー(およびポルノスター)の1人であり、1992年にマドンナの『SEX』に取り上げられたほか、チャールズ・イシャーウッド、ワンダー・ブレッド、エクスタシーによって書かれたGaietyのエロダンサーとしての彼に触れた伝記があった [7]

5年間のキャリアの中で、ステファノは58のゲイ・アダルト映画とマドンナとの2つのミュージック・ビデオに出演した。彼は成功にもかかわらず、収入を貯めようとはせず、収入は薬物とアルコールの乱用の再発に消えていった [1]。一般的な噂に反して、彼は医療専門家(MD)によってHIV+と公式に診断されることはなかった [8]

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1994年11月26日、ステファノの遺体はハリウッドのモーテルの部屋で発見された。後に、彼が偶発的なスピードボールの過剰摂取(彼の場合、コカインモルヒネヘロイン、およびケタミンの混合物)で死亡したことが検死官によって発表された [1]、享年26歳。

彼は、ペンシルベニア州リンウッドのメアリー墓地で、父親のニコラス・A.イアコナシニアの隣に埋葬されている [1]

レガシー 編集

1996年、ステファノの生涯は、チャールズ・イシャーウッドの著書「ワンダーブレッドとエクスタシー:ジョーイステファノの生と死」に記録された [1]

彼の人生は、オーストラリアの劇作家バリー・ロウによる一人芝居の『オム・ファターレ:ジョーイ・ステファノの速い人生と遅い死』の主題にもなった [9]

チャド・ダーネル監督は、ステファノの生涯を題材にした映画に取り組んできた。この映画は2010年から制作されており、暫定的にX-Ratedというタイトルが付けられている [1]

ステファノの2番目の伝記、「ジョーイ・ステファノ:人生、愛、情熱の王子のレガシー」は英国の有名人の伝記作家デビッドブレットによって2015年に出版されました。ISBN 978-1-326-19515-1

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関連項目 編集

参考文献 編集

  1. ^ a b c d e f g h i Baker (2013年6月11日). “The Tragic Story of Local Porn Star Joey Stefano”. phillymag.com. 2022年4月23日閲覧。
  2. ^ Thomas, Joe A (2002), “Porn Stars”, glbtq.com 
  3. ^ Musto (2011年3月22日). “David Geffen Wants Nothing to Do With Joey Stefano Movie”. villagevoice.com.[リンク切れ]
  4. ^ Joey Stefano at Florent, seen on The Closet Case Show Manhattan Cable Public Access [May, 1990]”. rickx.com. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月2日閲覧。
  5. ^ Haggerty, George, ed (2005). Encyclopedia of Lesbian and Gay Histories and Cultures. Garland Science. p. 1009. ISBN 1-135-57871-0 
  6. ^ Gross, Larry (1993). Contested Closets: The Politics and Ethics of Outing. U of Minnesota Press. p. 138. ISBN 0-816-62179-9. https://archive.org/details/contestedclosets00gros/page/138 
  7. ^ Isherwood, Charles (1996), Wonder Bread and Ecstasy: The Life and Death of Joey Stefano, Alyson Publishing, ISBN 1-55583-383-7 
  8. ^ Bret, David (2015). Joey Stefano: The Life, Loves & Legacy of the Prince of Passion. Lulu Press, Inc.. ISBN 978-1-326-21319-0. https://www.google.com/books/edition/Joey_Stefano_The_Life_Loves_Legacy_of_th/vUVcCAAAQBAJ?hl=en&gbpv=1&bsq=HIV 2020年5月20日閲覧。 
  9. ^ Zink (1999年11月29日). “Drama Of Gay Porn Star A Grim, Salacious Downer”. sun-sentinel.com.[リンク切れ]
  10. ^ XRCO Hall of Fame”. X-Rated Critics Organization. 2014年10月3日閲覧。
  11. ^ Adult Video News Award Winners - 1994”. RAME (1995年7月18日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月3日閲覧。
  12. ^ Adult Video News Award Winners - 1996”. RAME (1997年5月20日). 2014年10月3日閲覧。

外部リンク 編集