ジョセフ・デビッド・ビティエロJoseph David "Joe" Vitiello , 1970年4月11日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

ジョー・ビティエロ
Joe Vitiello
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 マサチューセッツ州ケンブリッジ
生年月日 (1970-04-11) 1970年4月11日(54歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手指名打者
プロ入り 1991年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB / 1995年4月29日
NPB / 2001年3月24日
最終出場 MLB / 2003年9月28日
NPB / 2001年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

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1991年MLBドラフト1巡目で、カンザスシティ・ロイヤルズに入団。1995年4月29日、メジャーデビュー。2000年サンディエゴ・パドレスに移籍。

2001年イチロー移籍後の打線強化のため四番候補の期待をかけられ[1]オリックス・ブルーウェーブに入団した。キャンプ序盤から好調な打撃で「20本塁打80打点ぐらい期待できる」と仰木彬監督に評価されていた[2]が、両ひざに古傷を抱えオープン戦の時期から故障がちだった[3]。同年は開幕戦を含む100試合以上に指名打者としてスタメンで出場した。選球眼が良く[4]最終的にチーム2位の22本塁打、83打点をマークしたものの、ジョージ・アリアスとの契約延長(後に決裂し阪神タイガースへ移籍)とフェルナンド・セギノールの獲得を目指すチーム方針から同年オフに戦力外となった[5]。なお、打席に立つときのテーマ曲はWWEレイヴェンの入場曲だった。

2002年はAAA級インターナショナルリーグモントリオール・エクスポズ傘下オタワ・リンクスでプレーし、2003年はエクスポズで3年ぶりにMLBに復帰した。2004年はAAA級インターナショナルリーグのデトロイト・タイガース傘下トレド・マッドヘンズに所属し、同年限りで現役を引退した。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1995 KC 53 142 130 13 33 4 0 7 58 21 0 0 0 0 8 4 0 25 4 .254 .297 .446 .743
1996 85 301 257 29 62 15 1 8 103 40 2 0 0 3 38 3 2 69 12 .241 .340 .401 .741
1997 51 146 130 11 31 6 0 5 52 18 0 0 0 0 14 2 1 37 2 .238 .317 .400 .717
1998 3 8 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .143 .250 .143 .393
1999 13 45 41 4 6 1 0 1 10 4 0 0 0 0 2 2 0 9 2 .146 .186 .244 .430
2000 SD 39 63 52 7 13 3 0 2 22 8 0 0 0 1 10 0 0 9 1 .250 .365 .423 .788
2001 オリックス 126 462 407 52 112 21 0 22 199 83 0 0 0 5 36 2 14 125 8 .275 .351 .489 .840
2003 MON 38 86 76 12 26 6 0 3 41 13 0 0 0 1 7 2 0 14 1 .342 .393 .539 .932
MLB:7年 282 791 693 76 172 35 1 26 287 104 2 0 0 5 80 13 3 165 22 .248 .327 .414 .741
NPB:1年 126 462 407 52 112 21 0 22 199 83 0 0 0 5 36 2 14 125 8 .275 .351 .489 .840

記録

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NPB

背番号

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  • 44 (1995年 - 1996年)
  • 32 (1997年 - 1998年)
  • 27 (1998年)
  • 31 (1999年)
  • 24 (2000年)
  • 23 (2001年)
  • 32 (2003年)

脚注

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  1. ^ 読売新聞、2001年1月27日付朝刊、P.31
  2. ^ 読売新聞、2001年2月3日付朝刊、P.25
  3. ^ 読売新聞、2001年3月21日付朝刊、P.23
  4. ^ 読売新聞、2001年5月16日付朝刊、P.25
  5. ^ 読売新聞、2001年11月14日付朝刊、P.27

関連項目

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外部リンク

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