セルジュ・ムーメンターラー
スイスのサッカー選手・審判員
セルジュ・ムーメンターラー(英語: Serge Muhmenthaler、1953年5月20日 - )は、スイス連邦の元サッカー選手であり、サッカー審判を務めた人物である。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Serge Muhmenthaler | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スイス | |||||
生年月日 | 1953年5月20日(71歳) | |||||
出身地 | スイス・ゾロトゥルン州グレンヒェン | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴・人物
編集- スイス連邦のゾロトゥルン州グレンヒェン出身。
- ユース時代に地元のクラブチームであるFCグレンヒェンに入り、スイスチャレンジリーグでフォワードとしてプレーし、1970-71シーズンにチームをトップリーグであるナツィォナール・リーガA昇格へ導き、またゾロトゥルン州で開催されるクラブチームカップのユーレンカップでは1971年度決勝でFCバーゼルを下す立役者となった[1]。
- 1972年にBSCヤングボーイズ、1975年にFCバーゼルへ移籍してプレーしたが、膝を故障した影響もあり20代前半で引退を余儀なくされた[2]。
- 現役引退後は審判員に転向した。
- 1980年よりスイスプロリーグ(ナツィォナール・リーガA)の審判員となり[3]、スイスサッカー協会所属として1989年より国際サッカー連盟(FIFA)公認審判員となった[3]。
- 国際審判員としての彼は、75試合で主審を務めた[3]。自身が担当した試合の中にはUEFAカップ 1995-96 決勝のバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)対FCジロンダン・ボルドー(フランス)第1戦がある[4]。
- また1993年10月の1994 FIFAワールドカップ・アジア予選の最終予選大会(カタール・ドーハ)では、国際サッカー連盟からの指示によりアジアサッカー連盟(AFC)ではなく欧州サッカー連盟(UEFA)所属の審判員が全試合を担当することになり、ムーメンターラーも10月28日の日本 対 イラク戦(ドーハの悲劇)の主審を務めた[5][6]。
脚注
編集- ^ Coupe Horlogere - Uhren Cup (Switzerland) Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ Muller, Lukas (2009). “Rotblau: Serge Muhmenthaler ? vom Goalgetter zum FIFA-Schiedsrichter” (German). Rotblau (FC Basel Marketing AG). ISSN 1660-0878.
- ^ a b c DER FUSSBALL IST PROFESSIONELLER GEWORDEN FC BASEL 15.12.2007
- ^ UEFAカップ1995-96 transfermarkt.
- ^ SAUDIS, S. KOREANS GAIN Washington Post October 29, 1993
- ^ What’s Changed And What Hasn’t Since I Covered Soccer In Qatar 30 Years Ago Defector. Oct 17, 2022
外部リンク
編集- Serge Muhmenthaler - World Footbal