ゾフィー・ヘートヴィヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
ゾフィー・ヘートヴィヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル(Sophie Hedwig von Braunschweig-Wolfenbüttel, 1592年6月13日 - 1642年1月13日)は、ナッサウ=ディーツ伯エルンスト・カシミールの妻。ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯ハインリヒ・ユリウスとその2番目の妻でデンマーク・ノルウェー王フレゼリク2世の娘であるエリサベトの間の長女として生まれた。
ゾフィー・ヘートヴィヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル Sophie Hedwig von Braunschweig-Wolfenbüttel | |
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ゾフィー・ヘートヴィヒと3人の息子たち、パウルス・モレールス画 | |
出生 |
1592年6月13日 ヴォルフェンビュッテル |
死去 |
1642年1月13日(49歳没) ネーデルラント連邦共和国、アーネム |
配偶者 | ナッサウ=ディーツ伯エルンスト・カシミール |
子女 |
ヘンドリック・カシミール1世 ウィレム・フレデリック エリーザベト ヤン・エルンスト マウリッツ エリーザベト・フリーゾ |
家名 | ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル家 |
父親 | ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯ハインリヒ・ユリウス |
母親 | エリサベト・ア・ダンマーク |
宗教 | キリスト教プロテスタント→カトリック |
生涯
編集1607年、ナッサウ=ディーツ伯エルンスト・カシミールと結婚した。1633年に夫と死別すると、寡婦領としてディーツ城 (Grafenschloss Diez) を与えられた。ゾフィーは三十年戦争の渦中にあって、ドイツ西部に駐屯する諸国軍の司令官たちと巧みに交渉を行い、ディーツ伯領で兵士が野営したり掠奪したりするのを阻止し、ディーツ伯領の平和を守った。ソフィーの名領主ぶりは領地外でも広く知られており、例えば1633年、スウェーデンの宰相アクセル・オクセンシェルナ伯爵は、自国軍がゾフィーの領地内で戦闘行為を行ったことに関して、彼女に補償をしている。
ゾフィーは戦時下の伯爵領の領民のために尽くし、彼らのために食糧と水の供給源を確保し、また農村の安全を保障した。1635年にペストが流行した際も、ゾフィーは動揺する民心を鎮めた。またゾフィーはプロテスタント信徒の家系に生まれたが、晩年には義弟のナッサウ=ハダマール侯ヨハン・ルートヴィヒ(ヤン・ローデウェイク)と一緒にカトリックに改宗した。
子女
編集- ヘンドリック・カシミール1世(1612年 - 1640年)
- ウィレム・フレデリック(1613年 - 1664年)
- エリーザベト(1614年)
- ヤン・エルンスト(1617年)
- マウリッツ(1619年 - 1628年)
- エリーザベト・フリーゾ(1620年 - 1628年)