ダニエル・カヒキナ・アカカ (英語: Daniel Kahikina Akaka, 中国名:李碩1924年9月11日 - 2018年4月6日) はアメリカ政治家。ハワイ州選出の連邦下院議員(通算7期)、連邦上院議員(通算4期)を歴任した。所属政党は民主党。初のハワイ先住民系、かつ唯一の中国系アメリカ人上院議員であった。

ダニエル・カヒキナ・アカカ
Daniel Kahikina Akaka
生年月日 (1924-09-11) 1924年9月11日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ハワイ州ホノルル
没年月日 2018年4月6日(2018-04-06)(93歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ハワイ州ホノルル
出身校 ハワイ大学マノア校
前職 アメリカ陸軍(1945-1947)
教育者教員
所属政党 民主党
配偶者 マリー・ミルドレッド・チョン
サイン
公式サイト 公式サイト

選挙区 ハワイ州第1部
当選回数 4回
在任期間 1990年5月16日 - 2013年1月3日

選挙区 ハワイ州第2選挙区
当選回数 7回
在任期間 1977年1月3日 - 1990年5月16日

在任期間 2007年1月4日 - 2011年1月3日

在任期間 2011年1月4日 - 2013年1月3日
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経歴

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ダニエル・K・アカカ

アメリカ準州のハワイ(現在のハワイ州)のホノルルで生まれた。ハワイ大学に進学するが第二次世界大戦の間はアメリカ陸軍工兵隊に所属しサイパンテニアンで従軍した。ハワイ大学から教育学士(1952年)と教育学修士(1966年)を取得した。

1990年4月に死去したスパーク・マツナガの補欠として上院議員に任命され、1990年5月16日に就任した。同年の11月には正式に上院議員として就任し。1994年に一般投票の70パーセント以上を獲得して改選され、2000年、2006年にも再選。2012年の選挙には出馬せず、2013年1月3日をもって上院議員を退任した。

退任の直前の2012年12月に長年共同でハワイ州選出の上院議員を務めた同年齢のダニエル・イノウエが逝去し、期せずしてほぼ同時に退任することとなった。また、2人が相次いで上院を去ったため、現在の上院議員の中で第二次世界大戦に従軍したのは、ニュージャージー州選出のフランク・ローテンバーグ議員ただ1人となった。同議員は2014年に予定されている改選選挙への不出馬・引退を表明しているため、2015年1月3日を以って第二次世界大戦を戦った世代は連邦上院から去ることになる。

2017年11月から体調を崩し入院していたが、2018年4月6日に多臓器不全のため死去、93歳[1]

家族

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マリー・ミルドレッドと結婚して、5人の子供、14人のおよび1人のひ孫がいる。

参照

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  1. ^ “Sen. Akaka, who 'embodied aloha' despite personal trials, dies at 93” (英語). Hawaii News Now. (2018年4月7日). http://www.hawaiinewsnow.com/story/37897099/former-us-sen-daniel-akaka-dies-at-93 2018年4月7日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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アメリカ合衆国下院
先代
パッツイー・ミンク
  ハワイ州第2選挙区
選出議員

第2代:1977年1月3日 - 1990年5月16日
次代
パッツイー・ミンク
アメリカ合衆国上院
先代
スパーク・マツナガ
  ハワイ州第1部
選出議員

第3代:1990年5月16日 - 2013年1月3日
同職:ダニエル・イノウエ, ブライアン・シャッツ
次代
メイジー・ヒロノ
公職
先代
ラリー・クレイグ
R-アイダホ州
上院退役軍人問題委員会委員長
2007年2011年
次代
パティ・ミュラー
D-ワシントン州
先代
バイロン・ドーガン
D-ノースダコタ州
上院インディアン委員会委員長
2011年2013年
次代
マリア・キャントウェル
D-ワシントン州