チェルヴェーテリ

コムーネ
チェルヴェテリから転送)

チェルヴェーテリイタリア語: Cerveteri)は、イタリア共和国ラツィオ州ローマ県にある都市で、その周辺地域を含む基礎自治体コムーネ)。人口は、約3万8000人である。

チェルヴェーテリ
Cerveteri
チェルヴェーテリの風景
Piazza Risorgimento
行政
イタリアの旗 イタリア
ラツィオ州の旗 ラツィオ
県/大都市 ローマ
CAP(郵便番号) 00052
市外局番 06
ISTATコード 058029
識別コード C522
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
地震分類 zona 3B (sismicità bassa)
気候分類 zona D, 1450 GG
公式サイト リンク
人口
人口 38,083 [1](2019-01-01)
人口密度 283.3 人/km2
文化
住民の呼称 cerveterani (方言:cervetrani)
守護聖人 大天使聖ミケーレ
(San Michele Arcangelo)
祝祭日 5月8日
地理
座標 北緯42度00分 東経12度06分 / 北緯42.000度 東経12.100度 / 42.000; 12.100座標: 北緯42度00分 東経12度06分 / 北緯42.000度 東経12.100度 / 42.000; 12.100
標高 81 (0 - 482) [2] m
面積 134.43 [3] km2
チェルヴェーテリの位置(イタリア内)
チェルヴェーテリ
チェルヴェーテリの位置
ローマ県におけるコムーネの領域
ローマ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
テンプレートを表示

古代にエトルリア人が築いた都市で、ローマ人からはカエレ英語版Caere)の名で呼ばれた。エトルリア人が遺した墓地遺跡(ネクロポリス)は、世界遺産「チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群」の構成資産として登録されている。

名称 編集

日本語文献では「チェルベテリ」[4][5][6]、「チェルヴェテリ」[7]とも表記される。

この都市をエトルリア人は Cisra と呼び、ギリシャ人は Άγυλλα / Agylla と呼んだ。ローマ人はカエレ(Caere)の名で呼んだ。

現在の「チェルヴェーテリ」の名は、「旧カエレ」を意味する Caere Vetus から来ている[8]。13世紀にこの都市の住民が新たに「新カエレ」Caere Novum (現在のチェーリ)を建設したため、区別するためにそう呼ばれた。

地理 編集

位置・広がり 編集

ローマ県北西部のコムーネ。チヴィタヴェッキアから東南東へ27km、ローマから西北西へ35kmの距離にある[9]。市域はティレニア海に面する。

隣接コムーネ 編集

隣接するコムーネは以下の通り。

歴史 編集

 
古代ローマと周辺の都市

共和政ローマ時代 編集

アウルス・ゲッリウスストラボンによれば、紀元前390年頃のガリア人によるローマ劫掠の際、ウェスタの処女や女神ウェスタの炎などをカエレ人が守った見返りとして、投票権のない最初のムニキピウムとされたという[10]

ティトゥス・リウィウスによれば、紀元前358年カッシウス条約が復活したことをきっかけにローマとエトルリアは戦争状態となり、カエレはエトルリア側についたが、紀元前353年に100年の和平が成立した[11]。この前353年にカエレに投票権のない市民権が付与されローマに併合されたとする説もあるものの、根拠が薄いという指摘があり、後にカエレが自らローマに領土の半分を割譲してその支配下に入ったとするカッシウス・ディオの記述から、紀元前274年前後にローマの支配下に入ったとも考えられ、その場合、カエレは投票権のない市民権を付与された最初のムニキペスではないことになる[12]

紀元前90年頃の同盟市戦争の結果、その後にローマの支配下に入った自治市に対しては四人官が派遣されたが、カエレは帝政期においても独自の独裁官が市の自治を担っていた[13]

行政 編集

分離集落 編集

チェルヴェーテリには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Ceri(チェーリ), Due Casette, Furbara, Borgo San Martino, Sasso, Valcanneto, Casetta Mattei, Cerqueto, Quartaccio, Cerenova, Campo di Mare, I Terzi, San Paolo, Gricciano, Pian della Carlotta, Zambra.

文化・観光 編集

チェルヴェーリ近郊にあるバンディタッチャのネクロポリスは、地中海における最も壮大なネクロポリスの一つである。

交通 編集

マリーナ・ディ・チェルヴェーテリ駅(チェレノーヴァにある)から地域鉄道網に接続していて、ローマからチヴィタヴェッキアピサグロッセートに向かう列車が行き交う。

姉妹都市 編集

脚注 編集

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2019 by sex and marital status” (英語). 2019年10月6日閲覧。
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Roma(dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2014年2月7日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale(Kmq) - Roma(dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2014年2月7日閲覧。
  4. ^ チェルベテリ”. 世界大百科事典 第2版(コトバンク. 2014年2月6日閲覧。
  5. ^ チェルベテリ”. デジタル大辞泉コトバンク. 2014年2月6日閲覧。
  6. ^ “伊俳優のG・ジェンマ氏が事故死 マカロニ・ウエスタンで人気”. 共同通信社. 47NEWS. (2013年10月2日). https://web.archive.org/web/20131004213655/http://www.47news.jp/CN/201310/CN2013100201000995.html 2014年2月6日閲覧。 
  7. ^ チェルヴェテリとタルキニアのエトルリア古代都市群”. 世界遺産詳解(コトバンク. 2014年2月6日閲覧。
  8. ^ 池上英洋『美しきイタリア 22の物語』光文社、2017年、211頁。ISBN 978-4-334-04303-2 
  9. ^ 地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2015年9月17日閲覧。
  10. ^ 毛利, p. 93.
  11. ^ 毛利, pp. 96–98.
  12. ^ 毛利, pp. 98–102.
  13. ^ 毛利, p. 95.

参考文献 編集

  • 毛利晶『一つの市民権と二つの祖国 ローマ共和政下イタリアの市民たち』京都大学学術出版会、2022年。ISBN 9784814003761 

関連項目 編集

外部リンク 編集