ディスタントミュージック

アメリカ合衆国で生産された競走馬、種牡馬

ディスタントミュージック (Distant Music) はアメリカ合衆国で生産された競走馬種牡馬

ディスタントミュージック
欧字表記 Distant Music
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1997年2月3日
Distant View
Musicanti
母の父 Nijinsky II
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ケンタッキー州
生産者 ジュドモントファーム
馬主 ハーリド・ビン・アブドゥッラー
調教師 バリー・ヒルズ(イギリス)
競走成績
生涯成績 14戦5勝(総合)
12戦4勝(イギリス)
1戦0勝(アメリカ)
1戦1勝(アイルランド)
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経歴 編集

競走馬時代 編集

1999年(2歳) 編集

6月にバリー・ヒルズの息子のマイケル・ヒルズが騎乗して競走馬デビュー戦を迎え、デビュー戦で初勝利を挙げた。以降しばらくマイケル・ヒルズが主戦騎手として騎乗することになる。9月には重賞競走初挑戦となったシャンペンステークスを制しデビュー2戦目で重賞競走初勝利を挙げた。さらに10月にはG1競走初挑戦となったデューハーストステークスも制し、デビュー戦以来無敗でG1競走初勝利を挙げた[1]。そしてレース後は休養に入った。

2000年(3歳) 編集

休養を終えて、4月に復帰戦となったグリーナムステークス (G2) に出走したが、2着となりデビュー戦以来の連勝が止まり、続く2000ギニーは8着という結果に終わった。秋は休養を挟み9月にホワイトローズパークステークス (G2) を制し、10月のチャンピオンステークスカラニシに敗れて3着だった。その後はアメリカ合衆国へ遠征し、鞍上にコーリー・ナカタニを迎えてブリーダーズカップ・マイルに出走したがウォーチャントに敗れて10着という結果に終わり、帰国後は休養に入った。

2001年(4歳) 編集

休養を終えて古馬となっての初戦は4月に新たにリチャード・ヒューズを鞍上に迎えてアールオブセフトンステークス (G3) に出走したが4着だった。以降ヒューズが主戦騎手を務める事になった。その後休養を挟み、8月にアイルランドへ遠征し、アイリッシュインターナショナルステークス (G2) を制した。しかしその後は8月のサセックスステークスインターナショナルステークスは共に5着、2年連続出走となった9月のホワイトローズパークステークス (G2) は6着という結果に終わった。そして10月の2年連続出走となったチャンピオンステークスでは約1年ぶりにマイケル・ヒルズが騎乗して出走したが6着という結果に終わり、この年限りで競走馬を引退した。

種牡馬時代 編集

5歳となった2002年よりアイルランドにあるモリスタウンラティンスタッドで種牡馬入りし、2007年からはイギリスにあるヘッジホルムスタッドで繋養されている。

日本には、2008年現在競走馬としての産駒は導入されていない。

血統表 編集

ディスタントミュージック血統ミスタープロスペクター系 / Northern Dancer 3×5=15.63%、Native Dancer 4×5=9.38% (血統表の出典)

Distant View
1991 栗毛
父の父
Mr. Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
父の母
Seven Springs
1982 栗毛
Irish River Riverman
Irish Star
La Trinite Lyphard
Promessa

Musicanti
1991 鹿毛
Nijinsky II
1967 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
母の母
Populi
1975 鹿毛
Star Envoy Pia Star
Spy Demon
Sister Shannon Etonian
Idaliza F-No.4-f

血統背景 編集

脚注 編集

  1. ^ ヒルズ父子にとっては、共に1996年インコマンドで制して以来3年ぶり2度目の同競走制覇となった。

外部リンク 編集