トリポリ (レバノン)
トリポリ (Tripoli) は、東地中海沿岸に広がるレバノンの第二の都市であり、北レバノン県の県都でもある。アラビア語ではタラーブルス (طرابلس ṭarābulus) という。
トリポリ طرابلس ![]() | |
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![]() 市街地東部 | |
位置 | |
![]() トリポリはレバノン最北部の地中海岸に位置する | |
座標 : 北緯34度26分 東経35度51分 / 北緯34.433度 東経35.850度 | |
行政 | |
国 | ![]() |
県 | 北レバノン県 |
市 | トリポリ |
地理 | |
面積 | |
市域 | 27.3 km2 |
人口 | |
人口 | (現在) |
市域 | 731,251人 |
その他 | |
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) |
夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) |
公式ウェブサイト : www.tripoli-city.org |
歴史編集
古くから東地中海有数の富裕な港として栄え、十字軍による破壊以前は「ダール・アル=イルム (دار العلم)」(知識の館)という大図書館を有していた。第1回十字軍の際に陥落し、十字軍国家のトリポリ伯領となり、1289年マムルーク朝に滅ぼされ破壊されるまで数度にわたる十字軍の上陸・補給拠点として、またイタリア商人らによる通商の場として利用された。
レバノン内戦時、トリポリは、ベイルートより南の都市とは違って、大規模な破壊には至っておらず、1103年フランク王国のレイモンド伯(レイモン・ド・サン・ジル)が建てた十字軍の要塞、セント・ジル要塞(1289年再建)をはじめ、数々の遺跡が残っている。
「バラマンド我等の女宰修道院」も参照
2012年、前年から隣国で発生していたシリア内戦が、宗教対立の形でトリポリへ伝播。同年8月20日から市内各所で発生したイスラム教アラウィー派(アサド政権寄り)とスンニ派(反政府勢力寄り)の衝突では、14人以上の死亡、100人以上の負傷者を出した[1]。
2020年、レバノンがデフォルト状態に陥ると、通貨の急落と物価の高騰により市民生活が困窮。市内で行われるデモが激化し、銀行の支店が暴徒の襲撃を受けて略奪、放火される出来事もあった[2]。
交通編集
- 鉄道
市内にはかつてタウルス急行の発着駅にもなっていたトリポリ駅があったが、内戦の影響を受けて、1975年に廃駅となっている。
出典編集
- ^ シリア情勢、レバノンへ飛び火 宗派間対立で死者もAFPBB.NEWS 2012年08月25日
- ^ “レバノン経済危機悪化、ドル市場投入の発表にもデモ収まらず”. AFP (2020年6月13日). 2020年7月3日閲覧。
外部リンク編集
- トリポリ市ホームページ (英語)