アーチ

下に開口部を設ける機能と支持体としての機能を備えた、典型的には曲線的な部分

アーチ: arch)とは、下に開口部を設ける機能と支持体としての機能を備えた、典型的には曲線的な部分のこと[1]。別の言い方をすると、中央部が上方向に凸な曲線形状をした構造であり、の機能との機能を兼ね備えたものである。

あるいはそのアーチに形状が似た構造物のこと[1]。(こちらは形状が似ているというだけでのことであり、ただの比喩。)

概要 編集

 
ポン・デュ・ガール

アーチは建築史を語る上で非常に重要な要素である。世界的に見ると古代から19世紀までの建築物の多くは石造(いしづくり)、すなわち組積造であり[注釈 1] アーチは古代エジプトバビロニアギリシャアッシリアなどで古くから使われていたが、その多くは地下の構造物であり、地上において大きく発展させたのは古代ローマであろう。古代ローマ人はアーチを利用し、たとえばポン・デュ・ガールユゼスの湧き水を50km離れたニームにまで運ぶ水道(水路)をガルドン川を越えて通すための水路橋)も建造し、またコロッセオではオーダーと組み合わせることで、装飾的な外壁を生み出した。

アーチは下に開口部(空間)を生み出すので、たとえば、下に川の水を通さなければならないを造る際に使われ[注釈 2]また建物の壁の中に開口部を造る場合(たとえば建物の出入口や窓部)、門を造る場合、等々に使われる。

アーチ形状の構造物内では、鉛直方向の荷重の大部分の力は圧縮力であり、その力は両端の支点まで伝えられる。[注釈 3] アーチは、石材や焼成煉瓦など、圧縮に強い建築材料で組むことができる。

アーチは2次元内に収まるものであるが、これを3次元に展開したものがヴォールトドームである[2]。ヴォールトはアーチに属する平面に垂直な直線上を移動させた際の軌跡が描く立体であり、ドームはアーチの対称軸周りにアーチを回転させた際の軌跡が描く立体である。いずれも大きな空間を、組積造にて実現するには欠かせない技術である。

なお、を組む場合もアーチで組む場合がある。

組積造りアーチの建造法 編集

 
アーチ

アーチの基本である組積造のアーチを建造するには、まずは、「支保工」を組む。支保工とは、アーチが完成した時にアーチの下の「開口部」になる予定の場所に材木類(木材と板材など)で組むものであり、大まかな形状は典型的には「板かまぼこ」をスライスしたものである(その上の曲面を作るように下で材木や板材を組む)。その支保工に沿うようにして楔形(扇形の尖った側をカットしたような形状)の部材を弧の下のほう(脇のほう)から順に積んでゆく。(組積造のアーチは建造中は下から(木製の)「支保工」で支えつつ建設しなければならない。なぜなら組積造アーチの力学的効果はその形状が完成してはじめて得られるからである。)

そして最後にアーチ中央部の一番高い位置に楔状の石を上から打ち込む(木槌などで打ってたたきこむ)ことによって、ようやくアーチ構造が完成し、力学的にそれ自体で自立するようになり、アーチの上に物を積んでもそれを支えることができるようになる。最後に打ち込むこの石をキーストーン(楔石、要石)という。[注釈 4]

アーチの弧の部分が完成したら、その脇から上にかけて、石材やレンガを、今度は通常どおり水平方向に並べるように積んでゆけばよい。上から荷重をかけることで、かえってアーチは安定し強固なものとなる。

アーチがある程度安定したら、その下にある「支保工」はさっさとバラしてしまってよい。たとえアーチのさらに上部で何らかの建築作業が続いている状態でも支保工は取り除いてしまってよい。すでにアーチ自体が荷重を支える状態になっているからである。アーチが多数ある構造物を建造する場合は、ひとつの支保工を解体して、それを「数個先」のアーチを建造するための支保工を組むのに使う、ということを行う。つまり同一の現場で支保工の部材の「使い回し」をする。つまり、同一の建造物で多数のアーチを造る場合でも全個数分の支保工の木材までは用意しなくても良いのである。古代ローマ人もこのようなやり方で、支保工の部材を少量で済ませつつ多数のアーチを含む構造物を建造した。

身近な例では素人が自宅の庭にDIYで「ピザ窯」を組む場合もアーチで組む方法があり、市販のピザ窯づくりの解説書などでも組み方が解説されている。やはり材木類(現代の場合、角材と薄いベニヤ板)で「かまぼこ状」の仮の支持体を作り、その上に耐火煉瓦を、弧を描くように脇から積んでゆき(必要に応じて耐火モルタルも使い、アーチの上に石や土などを盛り、窯の表面も仕上げ)、完成したら窯の中の木製の支持体を壊し取り除く、木製の支持体は窯が完成したら取り除くということをあらかじめ考えて、バラす手順も考えて組むべきだ、などと解説されている。[注釈 5]

歴史 編集

アーチはメソポタミアウラルトゥペルシアハラッパー古代エジプトバビロン古代ギリシアアッシリアといった文明で知られていたが、それほど多用されることはなく、側面からの推す力の問題がほとんどない排水路などの地下構造物にほぼ限定されていた。アーチを使った最古の都市の門は、青銅器時代中ごろのもので、イスラエルのアシュケロンで8フィートの幅のものが見つかっている。

古代ローマ人エトルリア人からアーチを学び、それを洗練させ、初めて地上の建造物でアーチを多用するようになった。

「アーチ、アーチ型屋根やドームの利点を最大限利用した、ヨーロッパ初、いやおそらく世界初の建築者は、ローマ人である」[3]

ローマ帝国では、ローマ橋ローマ水道、門などのアーチ構造が建設された。また、軍事的記念碑として凱旋門が作られるようになった。さらにホールや寺院など広い部屋の天井に、ドーム構造の一種でもあるヴォールトが紀元前1世紀ごろから使われ始めた。

ローマのアーチは半円形アーチで、半円の形をしており、奇数個のアーチ用の石(迫石)で構成されている。奇数個の石になるのは、アーチの頂上に要石が1つ必要だったからである。ローマのアーチは建設が容易だが、強度は最強というわけではない。側面が外側にふくらむ傾向があり、それを相殺するために石積みの重量が逆方向にかかるよう余分に石が必要になる。ローマ人は水道、宮殿、円形競技場などの建築物に、この半円形のアーチを多用した。

ヨーロッパでは、半円アーチに続いてゴシックアーチまたは尖頭アーチ(最上部が「とがった」アーチ)が生まれた。これらは中心に向かってより大きな力がかかるようになっており、したがって半円アーチよりも強い。半円アーチを少しつぶした形の楕円アーチ楕円の弧に似た形状のもので、サンタ・トリニタ橋イタリア語版などに見られる。ゴシック建築の体系を賞賛していたスペインの建築家アントニ・ガウディは、自然法則に見られる形状を建築に導入することに熱心で、そのひとつがカテナリーを上下逆にしたアーチ「カテナリーアーチ」である。彼は「建築学的松葉杖」と呼ぶ飛梁を嫌いカテナリーアーチを使用した。カテナリーアーチは、今日では力学的に安定であることがわかっている(直感的には、懸垂状態において部材の引っ張り力のみでバランスが取れている形状なのだから、それを逆にしたものは圧縮力のみでバランスが取れる、と理解できる)。今日では、カテナリに似た、放物線その他の曲線が使われることもある。

馬蹄形アーチは半円アーチに基づいているが、両側が一旦広がってから窄んでいる。この形状のアーチとしては、紀元1世紀のインドで岩に彫ったものが知られているが、くみ上げられた馬蹄形アーチとしては、3世紀から4世紀のアクスム王国(現在のエチオピアからエリトリア)のものとシリアのものが知られている[4]。スペインの西ゴート様式の建築、イスラーム建築ムデハル様式の建築で使われ、ダマスカスモスクムーア風建築に見られる。馬蹄形アーチは強度よりも装飾性を重視したものである。

メソアメリカの文明では、様々な擬似アーチ(迫り出しアーチ)が使われていた。例えばチョルーラの大ピラミッドの内部通路など、マヤ文明でよく使われていた。ペルーではインカ帝国の建築物に台形アーチがよく使われていた。

アーチを利用したアーチ橋と呼ばれる。なおアーチ橋の架橋技術は、古代メソポタミア地方で発祥した技術、つまりメソポタミア文明の技術が、世界に伝播して西洋東洋それぞれ独自に発展したとする研究が発表されている[5]。それがはるばる日本にまで伝来し、日本でも琉球王国では15世紀から、日本本土では江戸時代初期から建設が始まり、那覇市天女橋長崎市眼鏡橋岩国市錦帯橋熊本県山都町通潤橋なども造られたわけで、石造やレンガ造のアーチ橋は現存しているものも多い。


種類 編集

半円形アーチゴシックアーチ尖頭アーチ)、楕円アーチ馬蹄形アーチについてはついては上の#歴史の節で解説した。

なお、開口部が開口しておらず壁になっている(通り抜けできない)アーチもあり、これは特にブラインド・アーチと呼ばれる[6]

アーチ構造を用いた橋はアーチ橋という。4種類ほどのタイプに下位分類されており、基本は石材やレンガでアーチを組みその上に道を通すタイプであるが、19世紀や20世紀に材が使われるようになってからは、鋼材で作ったアーチを上方に設置しその下に道を吊るような構造の橋も出現した。

上部をアーチ形に築いた門は拱門(きょうもん、英語: archway)、常緑樹の葉で包んだ弓形の門は緑門(りょくもん、英語: green arch[7]と呼ばれる。

アーチ構造を利用したダムはアーチダムという。これは横方向からの水圧に耐えるためにアーチ構造を使う。

擬似アーチ 編集

擬似アーチとは、図のようにアーチ部分の石を水平に少しずらしながら空間を得る構造である。持送りアーチまたは迫り出しアーチとも呼ばれる。ただし力学的にはアーチと異なる。

クメール様式で知られるアンコール遺跡に残る遺跡でも数多く見ることができる。

編集

建造物のアーチに形状が似ているもの。基本的に比喩である。

は、弧の全体が綺麗に見える場合は形がアーチに似ているので「rainbow arch レインボーアーチ」などと言うことがある。

屋外イベント類(マラソン大会や橋梁の開通式など)に用いられる、空気を入れて膨らませるビニール製の、弧の形をしたフニャフニャしたものは、アーチのような形をしているので「エアアーチ」という。

ギャラリー 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 日本列島という場所はテクトニック・プレートが集まる場所で、例外的に地震が多い場所だったので、組積造が向かず、木造軸組構法を採用することが一般化した。だが日本のような地震の多い状況は、世界的に見るとかなり特殊で、例外的である。日本の状況を「一般的」などと見なすことは、到底できない。
  2. ^ 開口部が必要でなく、単純に通路の高さを等しくしたいだけならば、単純に低い土地を埋めてしまえばよい。だが、川の場合は川の水は流れるようにしておきつつ、その上方を人が通れるようにしなければならない。
  3. ^ これは、大部分が曲げモーメントせん断力として力が伝わる直線形状の梁と対照的である。
  4. ^ なお組積造ではないアーチにおいても、これをモチーフとした装飾を見ることができる。
  5. ^ ピザ窯の場合、木製の支持体について「(もし面倒なら)窯が完成したら、窯の中で木材を焼いて炭にしてから取り除いても良い」と解説しているものも一部にある。なお木製の支持体を焼いてしまって取り除く、というのは、窯という、もともと内部で火を使うための構造物で耐火煉瓦を使っている場合にしか使えないテクニックである。通常の建造物で木製の支保工を焼いたら、アーチを構成する建築材料が傷んでしまい、崩壊が始まってしまう。

出典 編集

  1. ^ a b Merriam Webster, definition of arch.
  2. ^ 「図説 人類の歴史 別巻 古代の科学と技術 世界を創った70の大発明」p70 ブライアン・M・フェイガン編 西秋良宏監訳 朝倉書店 2012年5月30日初版第1刷
  3. ^ Robertson, D.S.: Greek and Roman Architecture, 2nd edn., Cambridge 1943, p.231
  4. ^ Stuart Munro-Hay, Aksum: A Civilization of Late Antiquity. Edinburgh: University Press. 1991. ISBN 0-7486-0106-6, p.111.
  5. ^ 武部健一 2015, p. 9、武部「アーチは東漸したか」『第九回日本土木史研究発表会論文集』より孫引き。
  6. ^ 辻本敬子/ダーリング常田益代 2003, p. 44
  7. ^ 上田 1941, p. 2.

参考文献 編集

  • Roth, Leland M (1993). Understanding Architecture: Its Elements History and Meaning. Oxford, UK: Westview Press. ISBN 0-06-430158-3  pp. 27–8
  • 辻本敬子/ダーリング常田益代『ロマネスクの教会堂』2003年。ISBN 4-309-76027-9 
  • 上田万年, 松井簡治『大日本国語辞典』冨山房、1941年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/18706202020年4月2日閲覧 

関連項目 編集

外部リンク 編集