ニコライ・マクシュータ

ニコライ・キリロヴィチ・マクシュータロシア語: Николай Кириллович Максюта、ラテン文字表記の例:Nikolai Kirillovich Maksyuta1947年5月26日 - 2020年11月1日)は、ロシア政治家1997年から2010年までヴォルゴグラード州知事

ニコライ・マクシュータ
Николай Кириллович Максюта
ニコライ・マクシュータ(2009年撮影)
生年月日 (1947-05-26) 1947年5月26日
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ウクライナ共和国キロヴォグラード州
没年月日 (2020-11-01) 2020年11月1日(73歳没)
死没地 ロシアの旗 ロシア モスクワ
出身校 ニコライ造船大学
前職 造船技師、ヴォルゴグラード州知事、上院議員
サイン

当選回数 3回
在任期間 1997年1月6日 - 2010年1月12日
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生涯 編集

ウクライナ共和国キロヴォグラード州出身。父、キリル・ダニイロヴィチは、独ソ戦に従軍している。ニコライ造船大学(現在のウクライナマカロフ提督記念国立造船大学)で学び、機械技術部門で優秀な成績を修めた。1971年ヴォルゴグラード造船所勤務。1980年代には造船所所長となった。

1995年10月、ヴォルゴグラード市議会議員に当選する。1996年12月29日ヴォルゴグラード州知事選挙に立候補して50.96パーセントを得票して当選した。知事当選後は、ロシア連邦議会上院連邦会議代議員にもなり、予算・財政委員会に所属した。2000年12月24日ヴォルゴグラード州知事に再選される。一方、上院議員は辞している。2004年大祖国戦争戦勝60周年記念式典では、モスクワおよびモスクワ州サンクトペテルブルクの代表とともに実行委員会に名を連ねた。2004年12月、ヴォルゴグラード州知事に三選された。2005年から2006年まで、ロシア連邦国家評議会幹部会員。

2020年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に感染し、モスクワ近郊の病院に入院していたが、11月1日に死去。73歳没。夫人のアンドレエヴナも別に入院していたが10月8日に死去しており、その臨終に立ち会うことができなかった[1]

脚注 編集

先代
イワン・シャブニン
ヴォルゴグラード州知事
2005年 - 2010年
次代
アナトリー・ブロフコ