ノート:文公 (晋)

最新のコメント:14 年前 | トピック:PATMAN氏が無期限ブロックされました | 投稿者:Tiyoringo

移動 編集

姫重耳から移動させました。らりた 2004年8月29日 (日) 14:38 (UTC)返信

参考文献について 編集

ひょっとして小説そのままではないでしょうか? 参考文献を示す必要があると思いますが?--Takeshi14 2008年6月27日 (金) 16:21 (UTC)返信

とりあえず「晋世家」と付き合わせながらチェックし、妙なセリフや人物の間違いがありました。私が書いたものでした・・・、恥かしい・・・。他に変なところがあったら指摘お願いします。--らりた 2008年7月4日 (金) 14:20 (UTC)返信
ご対応いただき有難うございます。会話部分は人物を際立たせる大きな効果がありますが、できれば出典と原文を脚注なさったほうが、より検証性が高まるように思います。--Takeshi14 2008年7月30日 (水) 03:40 (UTC)返信
すべて「晋世家」からなので、いちいち脚注化する必要も無いと思いますけど。--らりた 2008年7月30日 (水) 11:53 (UTC)返信

陳舜臣『中国の歴史』の引用の是非について 編集

陳氏は小説家です。陳氏の『中国の歴史』は非常に質の高い書籍であると思いますし、私の愛読書でもありますが、それを根拠にしてウィキペディアの記事を書くのは良いこととは思えません。『史記』の記述に対して疑義を呈したとしてそれはあくまで氏の「個人的感想」に留まるものであり、学説として発表されたものではありません。査読されていないものを根拠として事実関係の認定に使うべきではありません。219.66.73.91 2010年1月26日 (火) 12:17 (UTC)返信

「良い事とは思えない」というのはあなたの主観。またウィキペディアの参考文献は学会に発表されたものではなく、一般に流布されているかどうかに基づく。異論があるなら、より精度の高い別の出典を示すべし。--PATMAN 2010年1月27日 (水) 11:53 (UTC)返信
  •   コメント 編集合戦が継続的に行われていることに気がつきましたのでコメントいたします。まず編集合戦を継続することはやめていただきたいと思います。記事が全保護されるだけですので。陳氏の解釈はここでは取り上げるべきではないと思います。同様の疑問を持つ研究者が多く存在し(多数派でなくとも)陳氏もそれに同意見であるといった場合でようやく記載すべきかどうか議論が行われるべきものと思います。ご自身の加筆が否定されて冷静さを失われているかもしれませんがPATMANさんの主張は山岡荘八による徳川家康についての解釈、天地人 (NHK大河ドラマ)による直江兼続の解釈でも同様の主張がまかり通ることになります。陳氏の小説記事を作成してそこでは文公 (晋)の話はできすぎではとコメントした。ぐらいならばあると思いますが。話ができすぎるとして作為を疑っている。についてもそこでなされているコメントでどのくらいの疑いを感じて書かれたのかはっきりとするものではないでしょう。史記ではこう書かれているが春秋では違うように書かれている、または後世の歴史書でこの記述について否定的に書かれているというケースとは異なる扱いをするべきと思います。--Tiyoringo 2010年1月27日 (水) 12:43 (UTC)返信
だったらまず、IPアドレスの人が、理由を全く示さない取り消しを行った段階において、問題を指摘するべきでは? 今さらになってのこのやってきて問題があると言われても困りますな。下手をすると、あなたはIPアドレスの人と同一人物かと、疑わざるを得ない。
そして、現状で問題なのは、当記事が、史記の記述を全く無批判に引き写していた事です。果たして史記は、「陳舜臣氏の著作と比べて正確性が上回る」ものなのでしょうか? 答えを言うと「否」です。ですからまず、その問題点について指摘したまでの事です。そういう意味において、新舜臣氏の著作について削るなら、変わりに別の出典をもってきて欲しいと、そう言っているのです。そして、そういう事であればTiyoringo氏に是非お願いしたい。あと他の記事においても、史記の記述をまるまる引き写しているものが見られますので、どんどん編集をやって頂きたい。お願いしましたよ。--PATMAN 2010年1月27日 (水) 22:27 (UTC)返信
荒らしとみなすとはずいぶんな物言いですね。学説ではないものを無制限に載せていったらどういうことになるのか。「小説家」の言葉をどんどん載せていけば百科事典として体裁をなさないものになるのは目に見えています。それを理解してくださいといっているのです。例えば井沢元彦の『逆説の日本史』を元に日本史記事を書くような行為です。
「より精度の高い別の出典を示すべし」などと言うよりはあなたが「陳氏の言葉を載せる意義がある」ことを示すべきと思いますよ。
陳氏は深い知識と確かな識見を持った方ですし、陳氏に限っては掲載しても良いかとも思いますが、それをすると他の「小説家」のファンの方から異論百出になるでしょうね。219.66.73.91 2010年1月27日 (水) 12:49 (UTC)返信
とりあえず私はこの記事にしばらくは、少なくとも一ヶ月は手を出しません。219.66.73.91 2010年1月27日 (水) 12:50 (UTC)返信

まず最初に。PATMAN氏に対して厳重なる抗議をさせていただきたい。一に「これ以上やったら荒しとみなす」などといきなり私を荒らしと決め付けたこと。二に「あなたはIPアドレスの人と同一人物かと、疑わざるを得ない。」などと何ら根拠無く人を成りすましを行う卑怯な人物と決め付けたこと。三に「一方的に宣言して去っていったのですが」などと言い逃げと決め付けたこと。

PATMAN氏の加筆は百科事典としての質を満たすものではありません。故に差し戻ししました。その行為自体は今においても何ら間違った行為ではないと確信します。但し、説明の無いままに差し戻ししたことは説明の努力を怠ったといわれても仕方ありません。その点に関しては謝罪いたします。申し訳ありませんでした。

たかだか3日明けただけでどうして「一方的に宣言して去っていった」ことになるのでしょうか?この数日、仕事で体力・精神力共に使い果たしてパソコンの電源を入れることすら億劫な状態だっただけのことです。それを「一方的に宣言して去っていったのですが」などと卑怯な言い逃げ人間と決め付けるられるのは心外です。そもそも「一ヶ月は手を出しません」というのは「編集合戦を止めてください」といわれたので「じゃあ編集合戦は止めます」というだけのことです。それを指して「一方的に宣言して去っていった」などとはあまりにも酷い。

で本題に入ります。「果たして史記は、『陳舜臣氏の著作と比べて正確性が上回る』ものなのでしょうか? 答えを言うと『否』です。」などとは・・・。『史記』は史料です。陳氏の著作はそれを基にして書かれたものです。両者を同じ地平に置いて「正確性が上か下か」などと論ずること自体がとんでもない誤謬です。

史料とそれに対する研究はウィキペディアにおける出典と記事の関係に似ている気がします。ある史料Aに「αはβである」と書かれているとします。「αはβである」という事実関係には当然疑う余地があります。例えば他の史料Bに「αはγである」と書かれているとすれば、どちらかが間違っているあるいはどちらも間違っているわけです。しかし『史料Aに「αはβである」と書かれている』ということは完全なる動かしようの無い事実です。このような相互に矛盾する史料をつき合わせてどれがどのくらい信頼できる史料なのかを検討するのが史料批判です。そしてその史料批判の結果、春秋時代の根史料(根本となる史料)として認められているのが『史記』と『春秋』です。つまり春秋時代に関する著作・研究は全てこの両書を出発点としており、陳氏の著作も無論です。

誤解しないで欲しいのは「『史記』が根史料である。だから『史記』の記述は無謬であり、疑うことなどもってのほか」などと主張しているわけではありません。『史記』には多くの間違いがあり、過去の研究によって訂正されている事柄も少なくありません。私が主張したいのは「『史記』の記述を疑うには歴史学の手続きに乗っ取った研究によらなければならない」ということです。小説家と歴史学者は仕事の範疇が違うのです。小説家は自由に想像の羽根を羽ばたかさせるべきであり、そこに歴史学的厳密さを求めるのは「野暮」というものです。しかし百科事典には歴史学的厳密さを求められるはずであり(もしそうでなく、不正確・個人の推測が横行するようであればそれは百科事典とは呼べません)、その記述に歴史学者の研究をもってしなければならないということです。

ただし小説家の考えが歴史学的厳密さに優先される場合もあるでしょう。それは坂本龍馬における『竜馬がいく』のようにその事柄に対して極めて大きな影響があった場合です。しかし文公にたいしての陳氏の記述はそうではなく(文公に対しての影響ならば宮城谷氏の『重耳』の方が遥かに上でしょう。)、この項目で取り上げる意義は無いと思われます。

以上、長々と失礼をばいたしました。61.209.155.143 2010年1月30日 (土) 12:04 (UTC)返信

なお、明日から家に帰ってこれないので返答するとしても来週の土曜となります。61.209.155.143 2010年1月30日 (土) 12:06 (UTC)返信
あなたの主張は、終始一貫しています。つまり主観的であり、客観的な事実を全く述べていないという事です。主張に客観性を持たせる事は可能です。それは出典を明示する事です。出典を示して述べている記述を理由の説明なし、あるいは主観的見解で差し戻し削除するような行為は、荒らしです。そして、それ以外の方法は簡単にできます。つまり、より信頼できる出典を示した別の内容で上書きする事です。それを行って下さい。そしてそれを行うのであれば、議論不要です。どうぞ本記事を編集して下さい。--PATMAN 2010年1月30日 (土) 15:46 (UTC)返信
なお、いきなり削除という乱暴な事をしなくても、各種タグを貼って注意を呼びかける事は可能だったはずです。あなたは何故それをしなかったのでしょうか? そういう対応をせず、いきなり削除という行為に出ながら、荒らし扱いされたらいきなり立腹ですか? まずは自分の行いを省みて下さい。--PATMAN 2010年1月30日 (土) 15:50 (UTC)返信
この期に及んでもIPユーザー氏を荒らしと決めつけるPATMAN氏の方針理解には問題があるように思います。陳氏についての記述の是非はいくらお互いに述べても平行線を辿るだけですのでコメント依頼を提出しています。--Tiyoringo 2010年1月30日 (土) 22:32 (UTC)返信
あなたの言動を見ているに、どう考えても「自分が荒らし扱いされて怒った」としか思えないのですが。本気でTiyoringo氏はIPアドレス氏と同一人物ではないかと、疑わざるを得ないのですが。--PATMAN 2010年2月4日 (木) 13:42 (UTC)返信
『史記』と陳舜臣氏のことばかり話題に上がっているようですが、『春秋左氏伝』でもそのへんの文公の事蹟は確認できますよね。根史料というならむしろ『左伝』のほうでしょう。--Nagaichi 2010年1月31日 (日) 03:02 (UTC)返信
私が書いたのは「こういう意見もある」という紹介だけですよ。偏執狂的な人が、単なる付記を異常に問題視しているだけで。ともあれ『春秋左氏伝』の記述に基づいての記事内容を付加する事は、記事内容を発展させる有意義な事だと思いますので、どうぞお願いします。--PATMAN 2010年2月4日 (木) 13:42 (UTC)返信
「単なる付記」と主張される記述がなんで削除されたのか。どういう点が問題視されているのかは、上記でみなさんが懇切丁寧に説明なされています。そのうえで他人への返答に論点をずらしたり、話をはぐらかしたりといった形でしか応じないのはやはり問題があるかと。もし故意にやっているのでないのなら、まず、相手が何を言っているのか、理解するように努めるべきでしょう。ところで、保護依頼の方でも指摘されているのですが、「一方的で不合理な荒らし認定」を撤回し、相手に謝罪なさるつもりはないのでしょうか?相手を偏執狂だの荒らしだの決めつければ自分の非を認めることなく思考停止でき、楽なのはわかりますが。--オラン・ペンデク 2010年2月5日 (金) 14:23 (UTC)返信
だからまず、いきなり記事を取り消すのではなく、最低限理由を説明し、あるいはノートで議論するのを先にやるべきではないですか? そういう手続きを無視し、いきなり差し戻しをしているから、そのような事をする人の主張は、全く正当性を無くしてしまっているのです。--PATMAN 2010年2月6日 (土) 09:29 (UTC)返信
ノートでの議論が始まって以来、PATMANさんが加筆された陳氏についての記述を積極的に掲載すべきといった意見の人は皆無であることを客観的に認めていただいた方が良いと思います。Wikipedia:ページの編集は大胆ににあるように余分、あるいはふさわしくないと思える記述がある場合は誰でも編集除去が可能です。逆の見方をすれば除去された時点でPATMANさんがノートで記述することが適当であることを書いていただけば直ちに編集合戦とはならずに保護依頼が提出する必要性もなかったことと思います。安易に相手を荒らし扱いすることで火種を大きくしてしまう恐れもある要約欄のコメント使用であったと思います。--Tiyoringo 2010年2月6日 (土) 10:32 (UTC)返信
加筆すべきでないという意見の人が複数である事を証明して頂きたい。IPアドレスの人が複数を騙っている疑いがぬぐえません。また、いきなり理由の提示も無しに削除する事こそ、問題の火種を大きくする行為であり、まず最初にそれを行ったのはIPアドレス氏であります。まあ、私もIPアドレス氏の問題ある行為に対して、同じく問題ある行為で返してしまったのかもしれませんが、先に仕掛けたのはIPアドレス氏であるのは動かしようもない事実です。--PATMAN 2010年2月6日 (土) 12:10 (UTC)返信

陳舜臣氏について 編集

ちょっと話し合いが先に進まないので、ひとつ議論の種を提示したい。 IPアドレス氏のコメントにある「陳氏は小説家。もし研究者の言と並べて置いたら御本人が強い嫌悪感を示すであろう。」という文脈について質問があるので、それに答えて頂きたい。

  1. 「研究者の言と並べて」とあるが、明らかにこれは捏造である。本記事中に陳氏以外の研究者の名は記載されておらず、並べようにもできないのである。この捏造とも言える発言についてどう思われるか。
  2. 「本人が強い嫌悪感を示すであろう。」というのは、単なる個人の憶測ではないのか。憶測でないのなら、出典を示して頂きたい。
  3. また、仮に憶測でないにしても、一般に公開された出典を引用するにおいて、出典の記述者の感情を考慮しないといけない理由が、どこにあるのか。それを示して頂きたい。

--PATMAN 2010年2月6日 (土) 12:20 (UTC)返信

せめて名前くらい正確に書き記すように。無礼極まりない。
さて私が留守していた間もあなたは言いたい放題であったようで。まずその点について。
先にあげた三点に加えて、私を「偏執的」などの暴言に対しては怒りを禁じえない。本来ならば十分にブロック相当の行為であるはず。しかしこのことは「とりあえず」不問にしておく。もし今後もこのような態度を取り続けるならばブロック依頼に持ち込むつもりですのでその点は十分に覚悟の上のことでお願いします
さて本題に入ります。あなたは出典・出典と嬉しそうに述べていますが、あなたの「出典」が担保している事柄は「陳氏がこう言った」という事実を担保しているに過ぎず、「この陳氏の考察を百科事典の記事として採用すべき」ということを何ら担保していません。「ある事柄が単に『検証可能』だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません。」とあります。
前にも言ったとおり、陳氏は深い知識と確かな見識を持った方であり、その言説ならば載せるのもあるいはありかもしれません。しかし「小説家一般」に敷衍したならばそれは不可であると結論できます。歴史小説などでは面白く仕立て上げるために不都合な事実などは抹消されるのは常であり、それを元とした記述と事実を記述することをその任とするはずの百科事典とは全く相容れないものです。
もしその記述を是としてしまえばどのような事態になるのか。それは酷いものになるのは眼に見えています。あなたはライトノベル作者の考察が政治学者の考察と並列されている政治記事を読みたいのですか?
上に挙げられたような「単なる個人の憶測ではないのか」とかくだらないことをいっている暇があるのならば、自分の行動を省みていただきたい。暴言についてもそうだが。「小説家の言葉を百科事典の記事として採用すべきか否か」。もう一度自分に問い直してみていただきたい。
再び、家に帰れない状態になるので来週の土曜日にまた来ます。そのときにまだあなたが「この陳氏の考察はこの記事に載せられるべきである。」と心から思うのであれば、もう私はそれに対して何も言わない。ただ
>そういう手続きを無視し、いきなり差し戻しをしているから、そのような事をする人の主張は、全く正当性を無くしてしまっているのです
この考え方に関しては絶対に改めたほうがよいと思う。一度、最初に過ちを犯したらその全てが否定されるなどという考え方は。(なお私の最初の差し戻しについても別に「誤り」とは捉えていない。もっと説明があったなら「より良かったであろうか」とは思うが)
>Nagaichiさんへ。『左伝』についてはもちろん承知の上です。ただ上で『史記』と陳氏の著作を同列に置くような言葉があったので「それはとんでもない」と釘を刺しただけのことでして。61.123.76.122 2010年2月6日 (土) 12:48 (UTC)返信
まず、陳氏の事を述べるのが「百科事典とは相容れない」というのは、あなた自身の主観でしかない。自分の主観において、勝手に百科事典の定義を作る事は許されない。客観的な根拠を示しなさい。まず問い直されるべきは、あなたのほうである。
第二に、あなたが差し戻した事は、過ちである。こちらを読むべし。「一般に、差し戻しは荒らし行為への対処として推奨される行為です。通常の投稿者が記事に対して寄与すると確信して行った編集への対処としては、推奨される行為ではありません。編集された内容に疑問がある場合は、まずノートページなどで議論を提起してください。」と書いてある。あなたの行った事は、はっきりと間違いであることが記載されている。荒らし呼ばわりされて当然である。重々反省せよ。--PATMAN 2010年2月7日 (日) 12:27 (UTC)返信
上の主張はPATMAN氏による方針の自分にとって都合の良いところのつまみ食いでしかないと思います。今回のケースは抜きにして一般的な場合を例とした場合、余談のようなものがだらだら書かれた場合もそれを除去するにはノートで議論が必ず必要とは言えないと思います。何度も安易に相手を荒らしと呼ばないようお願いしているにも関わらず、同様の主張を繰り返されるようではしばらく何が荒らしで何が荒らしではないか方針文書を熟読していただいた方が良いように思います。--Tiyoringo 2010年2月7日 (日) 12:41 (UTC)返信
こちらはウイキペディアのヘルプの記載に基づいている。「一般的な場合を例とした場合、余談のようなものがだらだら書かれた場合もそれを除去するにはノートで議論が必ず必要とは言えない」と「思います」というのは、明らかな主観。そちらもヘルプなり何なり根拠を示して反論すべし。根拠がないなら自らの過ちを認めて謝罪せよ。--PATMAN 2010年2月7日 (日) 12:52 (UTC)返信
もうひとつ述べるのを忘れていた。こちらの質問にもちゃんと答えていただきたい。「陳氏は小説家。もし研究者の言と並べて置いたら御本人が強い嫌悪感を示すであろう。」と述べた件について、この根拠はどこにあるのか。陳氏がいつ嫌悪感を示したというのか。出典を示していただきたい。--PATMAN 2010年2月7日 (日) 12:37 (UTC)返信

まず根拠を示そう 編集

IPアドレス氏その他の言動で問題があるのは、自己の主観に基づいた主張しか行っていない事である。もちろん、主観と主観のぶつかりあいになる議論というものは存在するし、それを否定するものではない。しかし今回の件については、こちらは最初から本文では出典を示し、こちらでも根拠を示している。それに対し、自分の主張に対して何ら出典、根拠をしめさず、ただ主観を示すだけでは、まったくもって議論にならない。まず根拠、出典を示すべき。とりあえず当方は、またいつウィキペディアにログインができるかわからないので、とりあえず今回、この点について強く念を押しておく次第である。--PATMAN 2010年2月7日 (日) 12:58 (UTC)返信

相変わらず言いたい放題のようで。同じことを繰り返すが、そちらが示した「出典」は「陳氏がこういった」ということを担保しているに過ぎず、その陳氏の考察を百科事典の記事として採用すべきか否かの根拠にはなっていない。他人の意見を主観・主観と繰り返しているが、その記述を採用すべきというそちらの意見も主観に他ならない。
最初に差し戻しした行為自体を過ちであるとしたいならばそれはそれでよい。そちらが求めるならば当方から謝罪しても良い。しかしそれが謝りだからといって「荒らし」、「偏執的」、「複数を騙っている疑い」などの数々の暴言は何ら正当化されるものではない。無論、「いち小説家の見解」をいちいち百科事典に載せる行為を正当化するものではない。61.123.76.122 2010年2月13日 (土) 12:35 (UTC)返信
追記。前にも言ったとおり、史料は他の史料と突合せを行って初めて価値を生ずるものであり、誤り・偏向の無い史料などこの世に存在しない。本文に加筆されたような文章はあたかも史記(だけ)が信用がおけぬかのような印象を与え中立的とはいえない。それ以前の問題としてこのような文章を(学術的考察を基として)書くとしてもそれは史記の記事に書くべきであってこの文公の記事に書くべきことではない。らりた 2010年2月13日 (土) 12:57 (UTC)返信
おっと。今までIPで書いてたが、私はらりたです。らりた 2010年2月13日 (土) 12:58 (UTC)返信
第一に「いち小説家の見解」をいちいち百科事典に載せる行為を正当化するものではない。」というのなら、それ以前に「いち小説家の見解を載せてはいけない」という事の根拠を示すべき。第二に「誤り・偏向の無い史料などこの世に存在しない。」というのなら、たったひとつの史料に基づいて記事を書くのは問題だという事になる。当方は、史記のみに基づいて記事が書かれていたので、それに対して注意を喚起する手段としてやったまでの事。つまり「史記(だけ)が信用がおけぬかのような印象を与え中立的とはいえない。」以前に「史記のみに基づく記事それ自体が中立的と言えない」のである。--PATMAN 2010年2月13日 (土) 13:41 (UTC)返信
「史記のみに基づく記事それ自体が中立的と言えない」と主張したいならばその見解を学界に発表し、それなりの評価を得てからにしていただきたい。らりた 2010年2月13日 (土) 13:58 (UTC)返信
ノートでの議論中に、都合が悪くなったからといって編集を強行することはないでしょう。Wikipedia:投稿ブロック依頼/PATMAN を提出させていただきました。--オラン・ペンデク 2010年2月16日 (火) 13:39 (UTC)返信
史記に対する批判を本記事にだらだら書くのは不適当です。2月12日に加筆された内容は更に悪い内容となっています。--Tiyoringo 2010年2月16日 (火) 18:28 (UTC)返信
議論中に編集は不適切というのは確かにその通りなので、元に戻した。それはそうと、「学界に発表し、それなりの評価を得てから」というのは全くもって見当違い。ウィキペティアのどこにもそんなルールは書いてない。--PATMAN 2010年2月19日 (金) 13:16 (UTC)返信

話を戻そう。 IPアドレス氏のコメントにある「陳氏は小説家。もし研究者の言と並べて置いたら御本人が強い嫌悪感を示すであろう。」という文脈について質問があるので、それに答えて頂きたい。

  1. 「研究者の言と並べて」とあるが、明らかにこれは捏造である。本記事中に陳氏以外の研究者の名は記載されておらず、並べようにもできないのである。この捏造とも言える発言についてどう思われるか。
  2. 「本人が強い嫌悪感を示すであろう。」というのは、単なる個人の憶測ではないのか。憶測でないのなら、出典を示して頂きたい。
  3. また、仮に憶測でないにしても、一般に公開された出典を引用するにおいて、出典の記述者の感情を考慮しないといけない理由が、どこにあるのか。それを示して頂きたい。

以上について回答が得られれば、私としてはしっぽを巻いて引下がらざるを得ないのである。早急に示して頂きたい。それについて示せない、あるいは間違っていたというのなら、議論は終了。続行するのなら、別の論点を改めて提出する。これが正しい手順ではないのか? まず最初に示された問題を片付けない事には、先に進める事はできない。--PATMAN 2010年2月19日 (金) 13:20 (UTC)返信

「「学界に発表し、それなりの評価を得てから」というのは全くもって見当違い。ウィキペティアのどこにもそんなルールは書いてない。」は事実誤認ではないでしょうか。Wikipedia:独自研究は載せないには以下の記述があります。「出典がなく、検証不可能であるならば、専門家を自称する編集者が、直接的・個人的知識をもとに寄稿することは禁止されています。一方、専門家が自分の研究の成果を何らかの評判の良い媒体において発表済みであるなら、この成果を中立的な観点の方針に従い、その出典とともに記すことができます。」--Peachkiller 2010年2月20日 (土) 00:31 (UTC)返信
あなたは何を言っているのですか? それは「出典がなく」というのが大前提でしょう? それを言うならベリンガーの記事こそ、学会に発表し、それなりの評価を得た記事なのですか?--PATMAN 2010年2月21日 (日) 09:51 (UTC)返信
ここでベリンガーの記事についての議論をすることは論点を逸脱しているかと思いますので、当該記事のノートにて問題提起されるのがよろしいかと思います。より般化した回答をするならば、ある一次資料にこのような記述があるということをウィキペディアの記事において紹介することは何ら問題ありません。例えば史記やベリンガー社の社史がこの場合の一次資料に該当します。その一次資料が偏った観点で書かれているということを、ある小説家の個人的意見というようなレベルを超えて紹介されたいのであれば、ご自身でそのような論を学術論文として発表されるか、あるいは同様の論を展開している研究者の論文を紹介されるべきでしょうというだけの議論かと存じます。念のために申し上げておきますと、陳某氏は研究者ではありませんし、同氏のお書きになった中国史の読み物はacademic writingではございません。ただしこれは同氏が知的に劣っていることを意味するわけではありません。同氏が『東洋史研究』や『東洋学報』『史学雑誌』に史記の作為性についての論文を掲載されたならば、あるいは貴殿がこれらの雑誌にそういった論文を掲載されたならば、貴殿が書かなくとも私がウィキペディアに喜んで記述を追加させていただきます。--Peachkiller 2010年2月21日 (日) 10:32 (UTC)返信

まず私に端を発した騒動がここまで大事になっていることについては深く謝罪します。

PATMAN氏へ。あなたの私に対する言葉。そしてこのノートでの私の行動。双方共に到底ほめられた行動ではなかったことは明らかです。そこを含めて考えて、「このノートでの私の行動・発言」と「あなたのこのノートでの私の行動・発言」を一旦白紙にしたい。でなければ前に進めない。これは私が勝手に決めることであり、あなたを含めて他の方に対しては何ら拘束力は持たない。ただあなた個人に関してはあなたがその行動・発言を取り続ける限り、ブロック依頼が成立してしまい、あなたにとって不利益になることは明白。もちろん私もブロックされても文句の言えない行動であったから同様ですが。

長い前置きをおいて。PATMAN氏及び他の方々に対して質問をします。「一般論として小説家の考察を百科事典の記事として採用しうるか否か
無論、私の意見は否であります。小説家の多くは専門的教育を受けておらず、一面的な史料、ないし資料から憶断・妄想を繰り出すことが多く、その考察を事実を載せることを義務とする百科事典の記事には採用し得ない。と考えます。
陳氏は豊富な知識と深い識見を基に作品を執筆しており、陳氏の考察であればこの記事に採用してもよいとも思います。が、小説家一般としては否です。
PATMAN氏及び他の方々の意見はどうでしょうか。らりた 2010年2月21日 (日) 12:25 (UTC)返信

陳さんがそう書いていると簡単に触れる程度なら問題無いでしょうが、それが研究者ではなく小説家の意見であることは明記すべきかと。--Peachkiller 2010年2月21日 (日) 12:32 (UTC)返信
その通りです。記事量としても少なく、あくまで附記として述べているだけです。そして出典を示していますので、陳氏が小説家である事、小説家の書いた本であり学術研究書でない事は、容易にたどりつけます。そして記事内にその記述が欲しいという事なら、付け加えればいいだけです。--PATMAN 2010年2月22日 (月) 11:54 (UTC)返信
邪馬台国論争で高木彬光の説をトリビア的に紹介するならまだしも、トンデモさんの奇説を現在主流とみなされている説と同程度に扱うべきかという話を考えてみれば、やはり一線を引くべきだと思います。「書いてもいいが主流の学説と同列に扱うべきではない」ですね。矢追純一が「カラスの死骸が見あたらないのは死後原子分解を起こしているからだ」という説を述べたからといって、ウィキペディアにそれをあたかも既定の事実のように記載する人間はいないでしょう。--オラン・ペンデク 2010年2月22日 (月) 14:12 (UTC)返信
PATMANさんの言うとおり、小説としての記述は小説としての記述でちゃんと区別して分けるべきでしょう。らりたさんの定義を言い出すと三国志演義が良い例ですが小説と実在とて切りが無いですからね。--暇編集 2010年2月23日 (火) 14:37 (UTC)返信
邪馬台国論争の比較が出ましたので、それについて。現在の本記事が史記の記述にほぼ依拠しているという点についてもご一考下さい。つまり現在の文公の記事は「邪馬台国論争の記事が、新井白石の記述に全面的に依拠している」のと同じ状態にある訳です。そういう状態であれば、本居宣長だろうと高木彬光だろうと、他者の意見を引っ張って来て多少なりとも中立性に近づけたほうがまだマシという事です。本当なら学者の研究成果を引っ張るに越した事は無いのですが。--PATMAN 2010年2月25日 (木) 11:50 (UTC)返信
上記反論には論理的欠陥があります。『史記』と新井白石という一見同列の事例を提示しながら、史学という専門分野で史料批判が行われながらも史料として採用される内容と、史料批判の結果引用史料に採用されない新井白石を同列に並べて議論を進めても平行線となります。本文は歴史学で認められている学術論文の内容を、小説は別節でフィクションであることを明記した上で記述しなければ百科事典ではありません。歴史は過去と現在の対話の中で生まれますので、その文章を書いた人間(今回は陳氏)の有す歴史観を十分に検証することなく記述することは記事内容の誤謬を生み出すことにつながりかねません。やはり史学会で様々な角度から考察されている学説に依拠して記述するのが大多数の納得を得られるものと考えます。PATMAN氏の論理ですが、極論してしまえば日露戦争は司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』、水戸藩に関しては吉村昭氏の『桜田門外の変』や『天狗争乱』、鸕野讚良皇女は里中満智子氏の『天上の虹』、東宮を氷室冴子氏の『なんて素敵にジャパネスク』、封神演技は藤崎竜氏の同名のマンガに依拠し史実と作品内容を混同して記述することも認めるのと同列の理屈になってしまします(後者になればなるほど認められないという意見が強くなるはずです)。やはり「書いてもいいが主流の学説と同列に扱うべきではない」というのが妥当な線だと思います。--Yonoemon 2010年2月26日 (金) 06:43 (UTC)返信
だから書いていますが、同列に書いておらず、附記としているでしょうに。あなたは何をおっしゃっているのですか?--PATMAN 2010年2月26日 (金) 11:31 (UTC)返信
上記を全て付記に記載することがそもそも必要かという意味をこめているのですがね。一作家の歴史観を記載する必要性は感じませんし、また記載したとしても必要性が無いと判断されれば削除されても仕方がないのではないでしょうかという意味です(上記作品を逐次記載する必要はないですよね)。それともう少し語調をやわらかくお願いします。--Yonoemon 2010年2月26日 (金) 12:57 (UTC)返信

史記に史料批判が行われているかどうか 編集

ところで、Yonoemon氏は史記について「史学という専門分野で史料批判が行われながらも史料として採用される内容」としていますが、実際の所どうなんでしょうか? 史記については考古学的な発見や竹書紀年との照合によって史料批判が確かになされている箇所もありますが、三皇五帝の記述のように伝説の域を出ないものもあります。文公の箇所については、その点はどうなのでしょう? はっきりと史料批判が行われており、裏が取れているのなら、それを示して下さい。そしてまた、示す事ができるのであれば、記事中に書き加えて下さい。それがなされるのであれば、陳舜臣をわざわざひっぱってくる必要すら無いという事で、全面的に同意します。--PATMAN 2010年2月26日 (金) 11:59 (UTC)返信

  • あの~、陳舜臣という小説家以外に、他の学術論文に同様の記載があることを示すことは不可能なのでしょうか?学術論文を出典にすれば話はこじれないので、学術論文なりせめて専門書なりの出典を示すことを努力してはいかがでしょう?『史記』の史料批判について話を始めれば、『日本書紀』や『三国史記』、『旧約聖書』、『新約聖書』等の記載に従った伝説の域を出ない記事内容全体を見直せという話になってしまいます。『史記』の丸写しは私も反対ですが、小説家の解釈を記述するよりは問題が少ないという考えもあることを理解していただければと思います。--Yonoemon 2010年2月26日 (金) 13:03 (UTC)返信
    • だから小説家の記述で記載内容の全変更など行っておりません。附記としているだけです。何度同じ事を言わせるのですか?--PATMAN 2010年2月26日 (金) 15:55 (UTC)返信
      • では歴史学の記述に付記をつけるのでなく、「文公を題材にした小説」のセクションに付け加えてはいかがでしょう?陳舜臣氏は優れた作品を残していますがあくまでも小説家でして、学術論文に『史記』は引用されても、陳舜臣氏の作品が引用されることは絶対にありえない「歴史小説」でしかありませんので、文章を改めそちらに記述すればこのような論争にならないと思われます。--Yonoemon 2010年2月26日 (金) 16:06 (UTC)返信
        • わざわざ出典を明示したのに、あなたがそれをご覧になっていないのは一目瞭然です。陳氏は小説家ですが、「中国の歴史」は小説ではありません。ISDNから辿り着ける紹介を見て頂ければ一目瞭然です。まずは議論する前に、そういう基本的確認を怠らないで下さい。--Kap000 2010年2月27日 (土) 01:52 (UTC)返信
          • 内容から小説でないと判断するのはいかがなものかと。私も陳舜臣氏『中国の歴史』は持っていますので内容は十分に理解しています。が、少なくとも学術論文を記述する際に出典になりえないという事実もまたしかりです。せめて貝塚茂樹氏の『中国の歴史』あたりを出典にすれば問題ないと思いますがね。議論の途中から参加した私に言えることはここまでです。小説家の記述を問題の少ない方法での記載を提案しましたが(各小説家の歴史観が比較され面白い試みだと思います)、もしそれが受け入れられないのであれば小説家の史実考証は本分に記載するに値しないとして当該部分削除を支持し意見表明を終了させていただきます。--Yonoemon 2010年2月27日 (土) 04:31 (UTC)返信
        • また学術論文において史記が引用されていると言いますが、歴史的事実の証拠となるものとして引用されているのですか? 少なくとも「三皇五帝」について「史記の記述からみても、三皇は架空であるが、五帝については実在は明らかである」などという学術論文が存在するのでしょうか? そして、史記における文公の記述は、検証がなされているのでしょうか? 私はそのような学術研究の発表は寡聞にして知りません。--PATMAN 2010年2月27日 (土) 02:06 (UTC)返信
          • 三皇五帝はこのノート議論から逸脱するのでスルーさせていただきます。文公に関しては渡辺英幸氏の「晋文公の諸国遍歴説話とその背景」(『東洋学報85―4』)などの学術論文は存在しております。『史学雑誌』あたりに目を通して陳舜臣氏と同一見解の学術論文を出典に掲載すれば付記ではなく本文に記述することにも賛成いたします。本来出典を示すのは加筆側の責任ですが、どうやら限定的であっても学術論文の存在を示さなければ「学術論文が存在しない」という論調になりかねないので私から上記情報を提示させていただきました。議論の途中から参加した私にできることは折衷案の提案と学術論文の例示程度ですので、これにて私の意見表明は終了させていただきます。議論の材料及び折衷案を提示しましたので、既存の利用者の方で議論がまとめられることを期待しております。--Yonoemon 2010年2月27日 (土) 04:31 (UTC)返信
            • 学術論文、あるいは学者の記述であり、より信頼できる出典であるなら、陳舜臣氏の論に反する意見であったとしても、それを加筆し、陳氏の意見を削除する事には異論はありません。ただしこちらが出典を明示している書き込みをしている以上、加筆訂正に関しては出典を明示して頂くようお願いします。--PATMAN 2010年2月27日 (土) 06:11 (UTC)返信
              • 学術論文の存在を認めてくださいありがとうございます。また加筆訂正に関しては出典を明示するというPATMAN氏の理解も確認しました。私の提案を受け入れてくださったからには真摯に対案を示させていただく必要があると考え、再度提案させていただきます。既存の議論を整理すれば陳舜臣氏は小説家であるという論調が主流ですので、陳氏の見解を文公 (晋)#文公を題材にした小説に記載してはいかがでしょうか?もし陳氏の『中国の歴史』が小説でないと主張するのであれば、それを裏付ける出典を提示できれば問題は発生しないと思います。他の議論参加者の方々はこの折衷案をいかが思いますか?--Yonoemon 2010年2月27日 (土) 09:54 (UTC)返信
                • Yonoemon氏の提案に賛成します。--Peachkiller 2010年2月27日 (土) 10:23 (UTC)返信
                • 陳舜臣氏の「中国の歴史」は「小説家の書いた歴史解説書」ではありますが、小説ではありません。そういう意味において文公を題材にした小説にカテゴライズするのは反対します。別の形において「小説家の書いた本である」という事を強調するのなら反対しません。で「小説でない出典を示せ」というのであれば、逆に「小説としてカテゴライズするのであれば、小説であるという出典を示して欲しい」旨を申し上げます。--PATMAN 2010年2月27日 (土) 18:29 (UTC)返信
                  追記。「文公を題材にした小説」とカテゴライズするのは断固反対しますが、「文公を扱った作品」とするのなら反対しません。これで妥協点としませんか?--PATMAN 2010年2月27日 (土) 18:36 (UTC)返信
    • PATMAN氏は「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません」というウィキペディアの大原則の意味を今一度検討されてはいかがでしょうか? 自分が書き加えようとして除去された記述についての議論において、「この記述が正しくないという論拠を示せ」というのは、議論のやり方として不適切ではないかと。Yonoemon氏がおっしゃっているように、小説家の書いた文章ではなくきちんとした学術書における、文公についての史記の記述の史料批判を行った部分を探してきて紹介する、というのが本筋だと思います。--Peachkiller 2010年2月26日 (金) 15:17 (UTC)返信
      • 話をめちゃくちゃにしないで下さい。私の書き込んだ内容については出典を示しています。私は「より確実な出典のある内容を示して頂ければ、私が出典を示して書き込んでいる内容を消しても構わない」と言っているのですが。--PATMAN 2010年2月26日 (金) 15:55 (UTC)返信
        • Yonoemon氏が既に意見を書いておられますので、同じことを何度も説明することは避けます。PATMAN氏は「話をめちゃくちゃにしないで下さい。」というような感情的な語彙の利用をお控えになってください。--Peachkiller 2010年2月26日 (金) 23:16 (UTC)返信

史料としての史記 編集

ところで、五帝のうち黄帝について史記では、むしろ実在を疑う記述がなされています。この点は記憶違いですので、訂正します。で、黄帝の実在性の議論において、司馬遷は白鳥庫吉なみの権威を、今もって保持しているのでしょうか? とてもそうではないと思いますが。 私も白鳥庫吉かそのクラスの記述が引用されているなら、わざわざ陳舜臣の事を記述する必要性を感じません。ですが現状は、本記事は史記に全面的に依拠した記述になっていますので、その状況をいくばくか改善するにあたって、小説家であろうが附記を加える事は必要のある編集であると考えます。--PATMAN 2010年2月27日 (土) 02:27 (UTC)返信

だからー。史料と研究を混同しないでください。史料を基にして研究がなされるのであって。史料と研究は並列されるものではないのですよ。
で、「小説家であろうが附記を加える事」が中立性に貢献するとは到底ありえない考えですよ。それを行うことで「その小説家の考えがあたかも正しい考えであるかのように喧伝する」という極めて非中立的な編集になっています。
ついでですがあなたが挙げた文章の後の文章を引用しましょうか。
「晋の文公の物語を『史記』で読むと、どうも話が上手くできすぎているような気がしてなりません。(中略)伏線があとで生きすぎる推理小説が、ときには読者をしらけさせるように、文公の物語も私たちに首を傾げさせる要素を持っています。年代や経過した国々は、文献にしるすとおりでしょうが、そのデテールはあとでつくった部分があるかもしれません。(中略)とはいえ、首尾をそろえるために、歴史の本筋を曲げることは出来ないのです。記録尊重という中国人の別の一面があり、首尾を一貫させる工作も、その本筋の枠内でおこなれたにちがいありません。」
と、陳氏はあくまで「デテールに作為があったかもしれない」と述べているだけであり、「『史記』の大筋は正しいだろう」という立場です。これを「『史記』の正確性への疑問」と思われては氏は心外でありましょう。らりた 2010年2月27日 (土) 12:13 (UTC)返信
ついでにCINIIで「晋 文公」で検索したら8件が引っかかりました。
あと、別の所で述べたことでありますが、ある研究がこう述べているからといってそれをそのままウィキペディアの記事として採用することは明らかに非中立的です。言うまでも無くその研究に賛成しない研究者が存在することは予想されます。それだけを記載するくらいならば史料そのままの方がよほど中立的です。
具体的名前を挙げるのは何ですが、春秋公羊伝の最初期の版は平勢隆郎氏の研究に全面依拠したものでしたが当然これは非中立的です。その後、私が改めて従来の通説+平勢氏の研究を紹介したものにしましたが、数多ある研究の中で何故に平勢氏だけ取り上げられなければならないのか?という点でこれも非中立的です。
別の話題に例えれば。今回の小沢氏の疑惑について、ある新聞の論調だけ取り上げて他の新聞の論調が記載されていないとすればそれは明らかに非中立的です。他の新聞も含めての「総合的な視野」が必要になります。
この記事に話を戻せば、「何故に陳氏だけ取り上げられなければならないのか?」という意味で今現在の文章は明らかに非中立的です。
もしこの点を解決したいならばこの主題に関する「研究史」の視点を持たねばなりません。それをしない状態で単に誰かの言説を載せることはするべきではないと考えます。らりた 2010年2月27日 (土) 12:26 (UTC)返信
「別の話題に例えれば。今回の小沢氏の疑惑について、ある新聞の論調だけ取り上げて他の新聞の論調が記載されていないとすればそれは明らかに非中立的です。他の新聞も含めての「総合的な視野」が必要になります。」というのは全くもってその通りです。ですからそういう時は「他の新聞の論調を記載する」のが正しいでしょう。それを非中立的だからある新聞の論調を削除するというのであれば、非常に乱暴であると言わざるを得ません。そういう編集をやってしまうのは、その新聞の論調が広まるのを阻止したいという意図があるものと看做されても仕方ないでしょう。そういう意図が無いのなら、他の新聞と併記する編集をすべきです。そういう意味において、いきなり書き込みを削除するような編集は、極めて問題があり、その件についての反省が足りないと看做さざるをえません。--PATMAN 2010年2月27日 (土) 18:33 (UTC)返信

  コメントPATAM氏とらりた氏の議論は続いていますが、外野から見ていて完全な平行線を辿っており容易に決着がつくとは思えない状況になっています。議論途中の編集は本来避けるべきでしょうが、完全論破を目指す両者の議論の決着は当分考えられないため、僭越ながら暫定的な編集を行っておきました。編集内容は下記の通りです。

小説家であろうと陳舜臣氏の作品を出典として明示しているため削除すべきではない
議論が決着するまで出典を明示している以上完全に削除することに起因する問題は回避できないものと考えます。よってとりあえず記事内に残留。
陳舜臣氏は小説家であり、専門的な史実考証を行っておらず歴史事実を記述するに出典とするには問題がある。
本文ではなく「文公を扱った作品」という節に記述しました。『中国の歴史』は陳舜臣の「作品」であることは明白であり、「作品」であれば各小説家の歴史観を記述しても問題はないかと思います

この編集に問題があれば、議論決着後に合意に基づいていかように編集しようとも異議を唱えるものではないことを予め申しておきます。--Yonoemon 2010年2月28日 (日) 02:27 (UTC)返信

  コメント横から恐縮ですが、コメント依頼から来ましたので各点に関してコメントを。
●本文内容/Yonoemon さんの編集が一番公平な処理ですし、これでよいのではないかと思います。お疲れ様でした。
らりたさんへ/Wikipediaと言うものを過小、もしくは過大評価していませんか? たとえばクローンなどでは医学とSF映画やアニメが平行して記載されています。ログも拝見しましたが『史料と研究を混同しないでください』と言うのも『「その小説家の考えがあたかも正しい考えであるかのように喧伝する」という極めて非中立的な編集になっています』と言うのも全面的に賛成ですが、Wikipediaは小学生でも書き直せるのが特徴でもあり欠点でもあります。削除ではなくYonoemonさんがやられたように、本文とは別に「陳瞬臣氏はこう述べている」と言うのを別枠記載する程度で処理してしまってもよかったのではないでしょうか?
PATMANさんへ/陳瞬臣氏の『意見』を書き込むことそのものは否定しません。出展明確な点をいきなり削除されたことを非難するのも間違っていません。が、『あなたはIPアドレスの人と同一人物かと、疑わざるを得ない。(2010年1月27日 (水) 22:27 (UTC) )』とか『反省が足りないと看過せざるを得ません(2010年2月27日 (土) 18:33 (UTC) )』とか、相手を問わずにWikipedia:礼儀を忘れないを看過して、あからさまに相手を見下しているコメントには記述内容やスタンスを別にして到底好意的になりえません。あなたは実際には地位のある人なのかもしれませんが、Wikipediaに書き込むのであれば「Wikipediaに書き込む以上は全員公平である」と言う最低限のルールと礼儀は守ってください。今回はあなたに消極的賛成のスタンスですが、好意的ではないことは重ねて申し上げておきます。返信
長文失礼致しました。--202.223.125.125 2010年2月28日 (日) 04:17 (UTC)返信
私がよかれと思って編集した内容ですが、こちらで某利用者より議論中の案件の編集はすべきでないとの意見が提出されました。私としては不当な要求としか思えませんが、ブロック依頼という利用者の言論を成約する重大な案件での意見提出ですので、PATMAN氏側の了承はいただきましたが、らりた氏側の了承が取れていない異常、取り敢えずは記事を差し戻しまして、私の提出したブロック依頼の議論への影響を排除したいと考えています(議論中に独断で編集を強行したという意見を排除するのが目的)。ただし既に数名の方より合意を得た編集内容ですので、念のため差し戻しを行うことを告知し、反対意見がなければ差し戻しを行いたいと思います。--Yonoemon 2010年3月1日 (月) 02:38 (UTC)返信
差し戻しは不要かと。どうしてもYonoemon氏の編集を差し戻させたいのであれば、一旦そうしていただいた後に私が同じ内容で再編集してもいいですが(それなら文句無いのですよね)。--Peachkiller 2010年3月1日 (月) 05:04 (UTC)返信
私も不要だと思いますが、ブロック被依頼者が固執しているので予防線を張りたいだけです。このページで差し戻し不用という結論になれば差し戻しは行わず、ブロック依頼で議論中の編集は強行編集であると某利用者に指摘されても十分に反論できるものと考えられます。また別人に編集をお願いしたいところですが、例えばPeachkiller氏に編集をお願いすると、今度はPeachkiller氏が某利用者の攻撃対象になる可能性があるのであまりオススメしません。少なくとも今回の議論の後半で頻出したPeachkiller、PATMAN、らりた氏による追認が得られれば問題はないかと考えています。他のブロック依頼での不当な指摘ごときにこちらのページまで影響を与えてしまって申し訳ございません。--Yonoemon 2010年3月1日 (月) 05:47 (UTC)返信
私のほうからは反対はありません。らりた 2010年3月1日 (月) 11:40 (UTC)返信
上記202.223.125.125です。こちらでコメントは筋違いかもしれませんが、『議論中の案件の編集はすべきでないとの意見』があるとのことに関して。それが通ってしまうと「誰がどう見ても嘘情報が書き込まれているのに議論中ならそのままにしておく」事にもなり、それもまたWikipediaの存在意義を疑われることになります。ケースバイケースで対応すべき事でしょうし、今回は上でらりたさんが反対はないと消極的にですが賛意を述べてくださってますし、この下でPATMANさんも議論収束の方向と言う形で納得していただいたと思われますので、差し戻しの必要はないと思われます。Yonoemonさんのご配慮に感謝申し上げます。--202.223.75.190 2010年3月1日 (月) 13:38 (UTC) --59.147.206.244 2010年3月1日 (月) 13:40 (UTC)(引用ミス修正時間)返信
PATMANさんの投稿ブロックの依頼者です。上記の文でも議論中の編集について異議申立てをしておりますが、Yonoemonさんの今回の議論途中における編集は、あくまでも本記事について執筆者間で合意形成するためのプロセスの一環としてとらえております。「議論中に独断で編集を強行した」という類のものではないと考えておりますので、追認します。--オラン・ペンデク 2010年3月1日 (月) 13:57 (UTC)返信
こちらの議論参加者からは建設的な意見をいただけて助かります。合意形成のために参加して下さった方々より差し戻し不用とのコメントをいただきましたので(というかこれが普通の感覚だとは思いますが)、ブロック依頼で編集は不可とする某利用者が私の編集についてに非難を行った場合にはこちらでは編集後に議論参加者から合意を獲得し、議論中であっても編集を行う必要がある可能性を説明します。--2010年3月1日 (月) 14:11 (UTC)

リンク先の記事 編集

まずは議論が終息に向かったと思いますので、とりあえず公正な視点でまとめて頂いたIPアドレスの方には感謝申し上げます。

で、今回記事内容をいじった件ですが、本文中の「亡命生活を共にした人物」(*狐偃(咎犯)/狐毛趙衰介子推先軫胥臣魏犨顛頡)ですが、出典が無いもの、出典が史記に全面的に依拠しているもの、そして複数の出典に基づいて記事が書かれているもの、みんなバラバラです。これを見て当方としては非常に違和感を覚える所でしたので、とりあえず文公について、できる所だけ加筆した、という所です。取り合えず出典が無いものについては、今回出典を求めるタグを貼付けておきました。で、記事内容を比べてみるに、介子推が、複数の出典が列挙され、一番公平でないかと思うのですが、いかがでしょうか? できれば他の記事も、史記の完全な引き写しでなく、こういう風に発展していけばベストだと思うですが。 ただ、介子推の記事については、史料と創作物が同列に扱われています。私的には特に噛み付くほどでも無いとは思うのですが、らりた氏にとってはどうでしょう? 氏の主観では、こういうものは許せない内容になると思うのですが。ただ、当方としては問題提起だけさせて頂き、今回は失礼させて頂きますので、ご了承下さい。--PATMAN 2010年2月28日 (日) 13:10 (UTC)返信

私の最初の削除行為がこれほどに問題を大きくした第一の原因であることは疑いなく、その点を深く謝罪いたします。今後は同様の行為(理由の提示の無い削除)は決して行わないことを誓います。今後、同じことを行った場合は無期限ブロックも甘んじて受け入れます。
ただし。PATMAN氏の犯されている極めて大きな誤謬を見て、「このような認識を元に記事を編集されてはたまったものではない。」という強い危機感があったからこそここまで頑なになったわけであり、その点をPATMAN氏には深く認識していただきたいと思います。具体的には「果たして史記は、『陳舜臣氏の著作と比べて正確性が上回る』ものなのでしょうか? 答えを言うと『否』です。」とか「史記に史料批判が行われているかどうか」とか。このような認識を元に歴史記事の編集を行うのは絶対に止めていただきたいと切に願うものです。
それと私は別に「小説家の著作は出典として認められない」と言っているわけではなく、「小説家の著作は歴史学的事実考証の出典として認められない」といっているのです。PATMAN氏は再三「単なる付記」と述べていますが、一方では「本記事は史記に全面的に依拠した記述になっていますので、その状況をいくばくか改善するにあたって」と述べて、明らかに事実関係を争う目的で陳氏の著作を使っています。こういうことは止めて欲しいということです。
でですが。上記で挙げた論文をいくつか入手してきたので後日になりますが、改稿を行いたいと思います。ある程度完成したら文案を上げます。らりた 2010年3月2日 (火) 12:06 (UTC)返信

PATMAN氏が無期限ブロックされました 編集

PATMAN会話 / 投稿記録 / 記録氏がノート:諸子百家での議論かくらんによって無期限ブロックされましたのでお知らせいたします。--Tiyoringo 2010年3月2日 (火) 13:00 (UTC)返信

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