ノート:栗山町サッカー誘致活動

最新のコメント:3 日前 | トピック:記事の問題点について | 投稿者:さえぼー

記事の問題点について

編集

こちらの記事についてですが、2点、問題があると思います。

(1) 宣伝的な内容ではないかという疑いがあります。初版執筆者のお名前を検索したところ、栗山町の文化観光プランナーの方と同名です。Wikipedia:自分自身の記事に抵触する可能性もあり、全体的に栗山町の宣伝のように見える内容だと思います。

(2) 特筆性の点で問題があると思います。この事業だけについての本や論文が出ているとか、町おこし活動として賞をもらっているとかいうわけではないものについて単独の記事が立てられるのか疑問です。出典についてもWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんにある「公式発表、スポーツ、タブロイド報道のような日々繰り返されるニュース」を越えるものではないように思われます。栗山町に書くべき内容ではないでしょうか?--さえぼー会話2024年6月19日 (水) 10:30 (UTC)返信

執筆者です。ご指摘した内容を鑑み、加筆修正をおこないました。ご指摘ありがとうございました。
Wikipedia:自分自身の記事に抵触する編集はしていないと考えていますし、各方針やガイドラインの文面に則った編集活動をしています。また、題材の年代的に新聞が主要な出典にはなるのはやむを得ないと思いますが、できるだけ図書館等で検証しやすい郷土資料をもとに加筆しております。そのため、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんに抵触する編集はしていないと考えています。--満月のライオン会話2024年6月21日 (金) 09:45 (UTC)返信
満月のライオンさんが「郷土資料」とおっしゃっているものは、記事を見るとほとんど栗山町が出しているものと思われますので、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源とかWikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料に照らしてあまり良質ではないと考えられているタイプの資料です。
また、依然としてこの記事には特筆性が無いと思います。この程度の町おこし活動をやっている市町村は日本にたくさんあります。その活動を主題とする本が出ているとか、複数の賞をとっていて有名だとかいうようなことがないかぎり、町おこし活動だけで記事を立てるのは困難と考えます。この種の記事の単独立項を認めてしまうと、市町村の町おこし活動だけを書いた特筆性の疑わしい記事の乱立につながるでしょう。こうしたことがらは栗山町の記事の一節とすべきだと考えますので、統合提案を視野に入れるべきだと思います。--さえぼー会話2024年6月21日 (金) 09:58 (UTC)返信
私の見解はすでに申し上げました。Wikipedia の他の記事と比べても、特に現在のこの記事に問題があるとは思えないので、他の編集者の方々のご意見もいろいろ聞いてから、しっかり時間をかけて検討したいと思います。--満月のライオン会話2024年6月21日 (金) 10:15 (UTC)返信


  • 県紙など信頼性の高い報道機関によって長期間にわたり多数言及されてきた内容について、歴史的な経緯を中立的・客観的にしっかり記述されており、Wikipedia:独立記事作成の目安は十分に満たしているものと考えます。まちおこし活動のような題材では公的刊行物の言及はせいぜい近い数年間の広報誌くらいというのが一般的ですが、町村市史のような手堅い文献に複数ページを割いて言及があるというのは、正直とても驚きました。地方の題材において町村市史や県紙がもっとも信頼性が高い基礎文献であることは言うまでもありません。短期間でこれだけ多くの資料を調査・執筆するのはたいへんだったことでしょう。加筆修正お疲れ様でした。--漱石の猫会話2024年6月21日 (金) 20:39 (UTC)返信
    「地方の題材において町村市史や県紙がもっとも信頼性が高い基礎文献であることは言うまでもありません」というご意見には賛成しかねます。地元紙はともかく、町村市史はWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源に該当するものに近いこともあると思いますので、第三者情報源のほうが信頼性が高いはずです。--さえぼー会話2024年6月21日 (金) 20:44 (UTC)返信
    地元紙が信頼性の高い情報源にあたること、町村市史がすべてWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源に該当するわけではないことはお認めになるのですよね。これらをWikipedia編集に不適切というのであれば、およそすべての地域の題材は特筆性が認められないということになりますから、当然のことと思いますが。--漱石の猫会話2024年6月21日 (金) 20:51 (UTC)返信
    出典として「不適切」とは申し上げておりませんが、町村市に掲載されているというだけで特筆性があると見なせるかどうかは疑わしいと思っております。Wikipedia:独立記事作成の目安#一般的な目安は「対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合」に特筆性があると規定しており、「対象と無関係な」というのは「記事主題と、何かしらの提携・協力関係にある情報源を取り除く、ということを意味」しているためです。--さえぼー会話2024年6月21日 (金) 20:54 (UTC)返信
    対象と無関係な県紙においても多数の有意な言及があります。これらはいずれも試合結果などの単純な情報ではなく、イベント案内などの宣伝でもなく、題材そのものへの論考を含むものであることは、記事内容が批判も交えた中立的な記述になっていることから考えても明らかで、特筆性を持たない報道とは質が違います。--漱石の猫会話2024年6月21日 (金) 21:02 (UTC)返信
    この種の町おこし活動についての報道は北海道の地方紙ではありふれたものです。たとえば私の出身の士別市は合宿の里として町おこしを行っており、毎年のように北海道新聞での報道があります。北海道新聞で定常的に報道されているから特筆性があるとしてしまった場合、市町村における町おこし活動だけを独立項目化する記事が乱立してしまいます。さらにこの記事は関係者による宣伝的な立項ではないかという疑いもあります。独立項目とする必要はなく、栗山町に節をもうけて書くので充分だと思います。--さえぼー会話2024年6月21日 (金) 21:08 (UTC)返信
  •   コメント 特筆性云々をここで延々とやりあっていても埒があかないと思いますので、さっくり削除依頼にかけてみてコミュニティからの客観的な評価を確認するのが手っ取り早いんじゃないでしょうか。
  • 特筆性について私見を述べておきます。本記事は「栗山町サッカー誘致活動の歴史」をまとめた記事ですが、現状出典とされている報道記事はどれも単発の事例を報道したものであり、これまでの誘致活動史について言及したものではない=誘致活動史の特筆性を担保するものではないだろうと考えています。栗山町史や広報くりやま以外でこれまでの誘致活動史をまとめた資料はありませんか? それがあれば特筆性はクリアできるんじゃないかと思います。
  • 満月とライオンさんは利用者‐会話:満月のライオン#栗山町サッカー誘致活動の記事についてWikipedia:自分自身の記事に抵触するに抵触した編集はしていないとおっしゃっていますが、「Takafumi.mochizuki」という栗山町の文化観光プランナーと同名のアカウントが複数の栗山町関係記事を編集している、というのは客観的に見て上記ガイドラインに抵触している可能性がかなり高いと判断されるかと思います。このタイミングでアカウント名を変更されたのもなんというか藪蛇です。知らぬ存ぜぬで通してもそれを信じる利用者はあまり多くないと思いますので、立ち回りは考え直したほうがよさそうに思います。--Keeezawa会話2024年6月22日 (土) 00:07 (UTC)返信
    コメントをどうもありがとうございます。特筆性については、削除依頼ではなく統合提案で栗山町に統合することを検討したほうがいいのではという気がしますので(栗山町の記事にサッカーに関する節があるのは全く問題ないと思います)、統合提案を出そうかと思います。--さえぼー会話2024年6月22日 (土) 09:53 (UTC)返信
    少人数で延々と話し合うよりコミュニティの意見を募集したほうが早いという趣旨の発言なので、コミュニティから意見を募れれば削除・統合・コメント依頼でどれでもいいと思います。統合提案の提出お疲れ様でした。--Keeezawa会話2024年6月22日 (土) 11:47 (UTC)返信
    こちらのノートで報告がありませんでしたので気付いておりませんでしたが、6月22日時点で既に漱石の猫さんがコメント依頼を出されていたようです。
    なお、合意形成のためのコメント依頼を出す場合はできれば出した後、可能であればノートでコメント依頼を出したことを告知して「議論が起こっているページにこれまでの議論内容の要約」を置くのが推奨されていると思うのですが、こちらは実施されておりませんでした(コメント依頼から来た方は、長い議論なのに要約がないのでわかりにくかったのではないかと思います)。--さえぼー会話2024年6月23日 (日) 23:34 (UTC)返信
    なお、コメント依頼に、本記事には独自研究テンプレートが貼られていると書かれていますが、これは間違いで、独自研究のテンプレートが貼られていたことはありません。--さえぼー会話2024年6月23日 (日) 23:43 (UTC)返信
    以下、Wikipedia:自分自身の記事の内容を基に整理させていただきます。
    ①中立的な観点に関する問題
    本記事においては、図書館などで町史、地元関係団体の会報誌、1994年から2002年のブロック紙、全国紙の新聞記事からを引用しており、ほどんど30~20年前の情報を元にしております。また主観をいれずに両論併記(地域の都合の悪い情報)を含めて、全て出典をベースに入力しております。
    また、Keeezawa様の仰る役職についてですが、その当時は栗山町内に存在しておらず、利害関係があるものではありません。よってWikipedia:自分自身の記事にも該当してないかと思います。
    ②検証可能性に関する問題
    本記事は、サッカーによるまちづくり、W杯誘致に関する内容は住民主体のまちづくりの項目に、栗山町史において複数ページ記載があり、その中身から栗山町の地域づくりの歴史として特筆性があると判断し、本項を立ち上げたはじめたきっかけでもあります。
    当初は新聞記事のみから始め、栗山町史の引用は遅れて加筆したため「独自研究にあたるのでは?」という最もなご指摘を頂きましたが、指摘後すぐに加筆することで、問題を解決しました。①に記載したとおり、情報は図書館などで入手可能な二次資料から引用をベースに入力しております。よって検証可能性は十分可能な内容となっております。
    提案いただきました「誘致活動史をまとめた資料」については、当時の町の広報紙や、当時の地元関係団体の会報誌、一部新聞記事に記載されておりましたが、客観的かつ精度の高い内容は、それぞれの新聞記事にありましたので、そちらを優先して引用としてさせていただきました。仮に、いま挙げた「広報紙や会報誌のまとめ内容も併せて引用することで特筆性が担保される」のであれば、以降の更新で新聞記事を合わせて引用いたします。私としましては、現在の状態でも検証可能性ですし特筆性の有る内容と認識しております。
    ③独自研究に関する問題
    引用箇所を見てご理解されているかと思いますが、全て公表資料を利用しており、1次資料に偏らない内容となっております。先述しましたとおり、初期の段階においては記載の不備のため、独自研究の指摘もありましたが、現在は解決されております。
    (あわせて)
    また、「私が栗山の文化と観光に関係する仕事のため、上記ガイドラインに抵触している可能性がかなり高いと判断されるかと思います」という内容ですが、ここには特定の名詞は書きませんが、過去立項した、立ち入りの出来ない栗山の閉鎖施設の記事を書くことも、ガイドラインに抵触(Wikipedia:自分自身の記事)していることなのでしょうか?
    この記事を立項したところで地域情報・資料の整理にはなりますが、観光に資するものではありません。(本記事においても同様、誘致活動事態は終わっていますし、現在の地域サッカーチームにおいても他の方が本記事より前に立項されております)
    もしガイドラインに抵触するのであるならば、私以外にも栗山町に在住・通学・通勤している人・団体(公的機関、民間企業問わず)をはじめ、栗山町に関わりたい人(ファン)など、たくさんの関係者が栗山町や北海道、日本にいらっしゃいます。
    その方々の多くが、本人の意思とは関係無く、栗山の観光や地域の文化歴史、地域づくりの現場に多かれ少なかれ触れております。Keeezawa様のお言葉を受け取ると、これらの関係者が栗山の記事を書いた時点で、氏の仰るガイドラインに抵触する形になります。
    この解釈が正しいのであれば、栗山に限らず、他の地域で立項している記事もほとんど該当している可能性が高いですし、栗山に関係ない人が、栗山という一地域の関連記事は立項することはありえるのでしょうか?(おそらく編集者が何らかの「関わりがあって立項)というのがほとんどではあると考えられます)
    またアカウントの変更が、「藪蛇」とどうかと捉えるか判断はお任せいたします。履歴が残っているので、(過度な)詮索すれば元の情報に行き着くことは理解しています。
    変更の理由としては、私のアカウントノート覧にあるような、個人を特定するような発言が公開の場であったことが起因しております。ルールに基づき、上記に書いた所作を通じて作業しているのに、あらぬ形でさらし者にあったかの行為をうけ、非常に不快に感じております。)
    Keeezawa様の記載にある「特定の役職」、「栗山町関係記事を立項」いう詮索を置いても同様で、どのような形で調べられメッセージを書かれたのか理解出来かねますが、過度な詮索をされていると感じており、不快であります。
    私としては前段にも書いていますとおり、Wikipedia:自分自身の記事の内容を基に記事を書いております。
    「信じる利用者はあまり多くないと思いますので、立ち回りは考え直したほうがよさそうに思います。」は、上記の内容をもってご判断頂ければと思います。削除の議論についてもコミュニティの皆さまのご判断にお任せいたします。
    これからもルールに則って、立項することは続けていきたいと考えていますが、私自身、地域の情報を整理することは楽しい作業であります。地域アーカイブの視点からも地域の貢献をしていると実感しておりますが、このような事態が続くのではあれば、正直、ウィキペディアの「公共空間」としての意味に疑念を持つ形となりますので、慎重に立項していく次第です。
    以上となります、ご指摘ありがとうございました。--満月のライオン会話2024年6月22日 (土) 10:11 (UTC)返信
    • まず前提として、Wikipedia最大の特長はあらゆる履歴が残ることであり、他人の履歴を精査することを「(過度な)詮索」などと評するのは良いことではありません。Wikipediaの履歴は見られて当たり前で、それはさえぼーさんや漱石の猫さん、もちろん私だって同じです。また、「あらぬ形でさらし者にあったかの行為」とおっしゃいますが、それは満月のライオンさんの当初のアカウント名が悪かったとしか言えません。アカウント作成時に「ログインして行ったすべての編集作業に対し、その履歴に利用者名が残ります。(中略)実名の公開に不安を感じる方は、実名ではない利用者名を検討してください」と表示されているはずです。わざわざWikipedia:自分自身の記事なんてガイドラインがあることからわかるようにWikipediaを宣伝目的で使用するユーザーは多く、そういう方は得てして実名風の名前を使うことが多いので、検索されることは日常茶飯事です。満月のライオンさんが不快に感じていただくのは結構ですが、影響力の大きいサイトゆえに各利用者の行動はそれだけ厳しく相互監視されているということです。諦めてください。前置きは以上です。
    • 特筆性について:「当時の町の広報紙や、当時の地元関係団体の会報誌、一部新聞記事に記載されておりましたが、客観的かつ精度の高い内容は、それぞれの新聞記事にありましたので、そちらを優先して引用としてさせていただきました」とありますが、Wikipedia:独立記事作成の目安#一般的な目安は「対象と無関係な情報源」を求めていますので、本記事の存続を希望するのであれば、広報誌や会報誌以外で誘致活動史をまとめた第三者資料を提示する必要があります。提示することができれば記事存続の可能性が高くなると思いますので、今日から1週間くらいを目安に資料を探して提示いただければ安全ですね(削除や統合の合意形成は最速1週間で成立し得るため(Wikipedia:合意形成))。
    • 独自研究について:栗山町史を拝読できていないので断言することはできませんが、誘致活動史をまとめた資料をベースに、その詳細を新聞で肉付けをする形なら独自研究にはならない可能性が高いと思います。検証可能性についても資料を提示できているので特段問題はないでしょう。
    • Wikipedia:自分自身の記事について:まず本記事が中立的な観点から問題があるとは思いません。過去に失敗に終わった活動でしかも不祥事問題付き。とうてい栗山町の宣伝になりるものではありません。正直、栗山町関係者の可能性が高い利用者が書いた記事なのにとても中立的で素晴らしいなと感心しているくらいです(だからこそ先のコメントでは誘致活動史をまとめた第三者言及があれば特筆性はクリアできるかも、と助け舟に近いことを言っているわけです)。ですが、Wikipedia:自分自身の記事が「自分のことについて、中立的な立場から書くことは誰にとってもとても難しいものです」と述べているように、自分自身に関係する記事は中立であろうとしても難しいことで、だからこそこんなガイドラインがあるわけです。また、ましてや当該文化観光プランナーさんは栗山町の職員ですから、Wikipedia:有償の寄稿の開示にも該当します。単なる栗山町民や出身者と同列に考えるのは不可能です。
    • 上記を踏まえてなるべく満月のライオンさんにとっていい方向になるように提案です。Wikipedia:有償の寄稿の開示に則って情報開示をしてください。私が今朝のコメントで述べたことを約めれれば、「誰がどう見ても関係者なのに、それを否定するのではコミュニティからの信頼が得られない」ということです。上記方針に則って情報開示すればひとまずコミュニティからの信頼はクリアできます。もちろん記事の中立性は他の方から厳しく見られると思いますが、ぶっちゃけそれは今だって変わりません、既に関係者にしか見えませんからね。さえぼーさんだってトリニティ・カレッジ・ダブリンのウィキメディアン・イン・レジデンスとしてアイルランド関係の記事を書いているわけで、告知すればいいのです。
    • 最後にひとつアドバイスです。「このような事態が続くのではあれば、正直、ウィキペディアの「公共空間」としての意味に疑念を持つ」という発言ですが、この手の発言(私はWikipediaを見損なった/Wikipediaに価値はない/もう寄付なんてやめるetc……)はWikipediaで問題を起こして投稿ブロックされてしまう利用者にありがちでして、正直コミュニティからの印象は極めて悪いです。もちろん内心でそう思うのは自由にしていただいて結構なのですが、他の利用者からガイドライン違反を指摘されているタイミングで口に出すのは悪手も悪手です。取り消し線を引いて撤回されることをおすすめします。--Keeezawa会話) 2024年6月22日 (土) 11:42 (UTC) 衍字修正--Keeezawa会話2024年6月22日 (土) 11:48 (UTC)返信

  コメント  履歴を見れば明らかな初心者である立項者に対して、短期間に目に余る心無い対応が複数のユーザーによって行われている現状に対して、一言申し上げます。

  • 皆様は、ハンドルネームしか情報の無い素性不明な者たちから、匿名サイトにおいて、いきなり自身の素性を追及されたり、投稿ブロックを匂わせられることが、不慣れな新規参入者にとってどれほど得体が知れない恐怖心を与えるものであり、威圧的に感じられるものか、想像できませんか? Wikipedia:善意にとるをお忘れなきようにお願いします。
  • 「対話」とは双方がお互いに敬意を持ち、相手の事情を汲み取る努力を行う人間関係において、初めて成立するものです。満月のライオンさんは、不慣れなコミュニティで、極めて冷静に、十二分のその努力をされたと私には見えます。対する、皆さまの態度はどうでしょうか? 一面識もない相手に、いかに礼儀正しく見えても、やっていることはいきなり素性を問いただすという、言われた側にとっては不気味なものであり、一般社会では聞いたこともないような方針を矢継ぎ早に押し付け、それに必死に順応しようとする方に、たった1日足らずの間、返信がないだけで「対話拒否」と言いがかりをつける。これが礼儀正しく公正な対話姿勢でしょうか? 記事を書くために参入した初心者は会話ページなど存在すら気づかないこともままあり、そもそも四六時中Wikipediaにドはまりしていられる人間ばかりではありません。
  • 一般社会でさえ、はっきり不快を表明されながらなおもつきまとうかのごとき言動は、眉を顰められるものです。Wikipediaコミュニティが健全に成り立つのは、誰もが他者を尊重し、対話を重視するコミュニティだからではありませんか。敬意の無い相手の詰問に応える義務も、一方的に回答を強制する権利も、誰にもありません。満月のライオンさんがWikipediaの方針に反しているので回答を求めるというのであれば、最低限、可能性ではなく明確な証拠に基づくものでなければならないでしょうし、先に礼を欠いた側がまず詫びて誠意を見せるべきでしょう。客観的に見て、Keeezawaさんの「知らぬ存ぜぬで通しても~」や「立ち回りは考え直したほうがいい」などという表現等は、たいへん無礼です。それらに冷静に返信された満月のライオンさんの自制心に、私は舌を巻く思いでいます。それに重ねられたKeeeezawaさんの御返信に同調できる部分はまったくありません。満月のライオンさんが、今後一切、Keeeezawaさんやその他のみなさまの声掛けに応じなかったとしても、それは満月のライオンさんの責任ではないと思います。誰しも相手の顔が見えないこのコミュニティで誰かにものを教えようというなら、まず人の心を尊ぶべきでしょう。それこそWikipedia:善意にとるということであろうかと思います。
  • Wikipedia:自分自身の記事はたとえ題材が立項者本人の項目であったとしても、その編集を禁じていません。中立的な観点に基づいた慎重な編集を求めているだけであり、本記事は現在その状態にあり、立項者の姿勢もその方向性を遵守されていると私は考えます。また、本記事の現在の内容は賛否両論が併記されており、現在の取組についての内容ですらなく、宣伝的であるとはそもそも読めませんが、仮に立項者の動機が題材の宣伝にあったと仮定しても、「動機」などという主観でしかない観点で判断するなら、誰もが自分が価値があると思う題材について自ら文献調査して立項する以上、およそほぼすべての立項の動機が宣伝といえるものでしょう。不特定多数のユーザーによって適切な編集が繰り返されることで質の高い百科事典をめざすことが本旨であるWikipediaにおいて、方針に明文化されていない解釈や先入観で物事を判断すべきではありません。--漱石の猫会話2024年6月22日 (土) 14:00 (UTC)返信
満月のライオンさんにとってなるべくいい方向になるよう、ガイドラインを根拠に上げながら言葉を尽くしたつもりですが、そのように解釈されたことは誠に残念です。--Keeezawa会話2024年6月22日 (土) 14:13 (UTC)返信
  •   すみません、少し読ませていただきましたが、「短期間に目に余る心無い対応」は一体どういうつもりで仰っているのでしょうか。さえぼーさんはともかく、Keeezawaさんの対応は、私からみても「ガイドラインを根拠に上げながら言葉を尽くし」ていると思います。Wikipedia:削除依頼/炭鉄港カードの件もあわせて、もうそろそろ漱石の猫さんのコメント依頼が提出されてもおかしくないと思いますが。1、2年くらい前の某・元管理者さんもそうでしたが、いまの漱石の猫さんの対応は、はっきり申し上げますが、“おかしい”としか。というか一言申し上げますが、4月ごろにjawpで騒がれた銚子市で使用された出典『銚子市史』がまさしくそうなのですが、「公表資料」であろうと、自治体史(大正・昭和戦前期ですと「誌」とか)の全てが信頼できる情報源になるわけではありませんよ。--おっふ会話) 2024年6月22日 (土) 15:48 (UTC) --おっふ会話2024年6月22日 (土) 15:52 (UTC)返信
    • 誤解を生じさせそうですから自治体史の認識について補足しておくと、『銚子市史』はいわゆる鉄道忌避伝説を記述、というかそもそも史料(≠一次資料)を無視する形で詩人が編纂したものです。だいたい戦後から1960年代くらいまでの自治体史は酷いものばかりで1970年代以降は編纂委員会がしっかり編纂している(のちに大学教授となる人物が編纂している、史料編と分けている、崩字をしっかり解読して編纂しているなど)、といったところでしょうか。ノート:地方病 (日本住血吸虫症)で私が挙げた、田富町誌編纂委員会編『田富町誌』(田富町、1981年)はしっかりしているほうでしたね。あと、関係ありませんが歴史学の視点から言うと寧ろ明治・大正期の村誌のほうが史料として有用なときもあります。--おっふ会話2024年6月22日 (土) 16:16 (UTC)返信
    「少し」ではなく、利用者‐会話:満月のライオン及びこちらのノートでこの1週間足らずの間に展開した一連の会話の表現とそのニュアンスや内容、本記事の変更履歴とその内容、満月のライオンさんの投稿記録と内容も確認したうえで、あなたが「ウィキペディアには編集ボタンがあって、誰でも編集することができる。ただし、引用元を明記することが必要」という一般のメディアが報道しているWikipediaに関するニュースをたまに読んで聞いたことがあるという程度の素人の気持ちになって、これらがどう感じられるかをよくお考えください。加えてWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいWikipedia:善意にとるを熟読し、「ガイドラインを根拠に上げながら言葉を尽くし」が誠意ではなく暴力となりうる可能性についても想像していただけましたら、私の発言の意図や意味もご理解いただけることと思います。
    • 炭鉄港カードも同じ満月のライオンさんの新規立項ですね。こちらも同様です。必要な指摘をさせていただいた後は関知していませんので、おっふさんが何をおっしゃりたいのか理解できませんが、どちらの記事のどの対応についても、私は私の良心に基づきWikipediaの方針に則って個人としてできる範囲で最大限に努力し、多方面に配慮した活動を行っていますので悔いはありません。問題があるのでしたらタグ付けいただければ確認しますが、回答が必要となるようなご指摘なら1~2週間程度は時間をいただきたいですね。私がWikipediaにアクセスするのはその必要が生じた時だけで、日頃は現実社会で忙しく立ち働いているものですから、趣味でしかないボランティア活動に即日対応を求められても困ります。
    • 『銚子市史』は本記事に使用されている出典とは無関係です。無関係なものを引き比べて憶測で物を申すのは、ポジティブな評価であればけっこうですが、ネガティブな評価では控えるべきでしょう。いかなる対象に対してであっても、Wikipediaが公開のものである以上、関係者の目に触れる可能性があるのですから、マイナスの判定には明確な根拠が必要です。--漱石の猫会話2024年6月22日 (土) 23:58 (UTC)返信
        •   一から十まで全てツッコんだほうが良いですか?漱石の猫さんの「一言申し上げます」が一言ではないように、「少し」はTakafumi.mochizukiさん、もとい満月のライオンさんの投稿記録も確認したうえで「少し」申し上げているのですよ。
        • > Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいとWikipedia:善意にとる
        • なにか勘違いされているようですが、新規参加者であろうが、ただただコミュニティを疲弊させるのであれば、会話ページで注意、またはコメント依頼、あるいは投稿ブロックするまでですよ。満月のライオンさんについては別にコメント依頼するまでのことでもないと思いますが。
        • > 私は私の良心に基づきWikipediaの方針に則って個人としてできる範囲で最大限に努力し、多方面に配慮した活動を行っていますので悔いはありません
        • 悔いはありません」ですか。上記と重複しますが良心に基づき編集投稿をしていようと、ただただ自分の主張が認められるまで演説を繰り返すのであれば、それはただのコミュニティを疲弊させる利用者ですよ。
        • > 私がWikipediaにアクセスするのはその必要が生じた時だけで、日頃は現実社会で忙しく立ち働いているもの
        • Keeezawaさんも、満月のライオンさんも、ましてや、さえぼーさんも、皆さん現実世界で忙しいですよ。たしかに、さえぼーさんの対応は“完全に正しい”わけでは当然ありませんが、妥当なものではないでしょうか。
        • > 『銚子市史』は本記事に使用されている出典とは無関係
        • 例示ですが。
        • ひとまず、私からは以上です。--おっふ会話2024年6月23日 (日) 01:30 (UTC)返信

統合提案

編集

このページを栗山町に統合し、栗山町#地域振興策にサッカーに関する節を作ることを提案します。上で既に議論されていますが、本記事を単独項目とする際の問題点を、Keeezawaさんのコメントにあるポイントなども含めて以下にまとめます。

(1)記事の出典は主に町史と地元紙の報道だが、前者については市町村史に掲載されているからというだけで特筆性があるとは見なせない。市町村史はWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源に近い性質がある資料である。Wikipedia:独立記事作成の目安#一般的な目安は「対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合」に特筆性があると規定しており、「対象と無関係な」というのは「記事主題と、何かしらの提携・協力関係にある情報源を取り除く、ということを意味」しているので、記事主題と関連している市町村史にたくさん記載があるからということをもって単独立項できるだけの特筆性があるとは言えない。

(2)地元紙の報道について、出典に使われている記事は単発的に事例を報道しただけのものであり、栗山町のサッカー誘致活動史をまとめた記事などではない。この記事が誘致活動史を主題としていることを鑑みると、地元紙の記事をもって栗山町のサッカー誘致活動史じたいに特筆性があるとは言うのは困難である(Keeezawaさんのコメントのまとめ)。

(3)北海道の地方紙では各市町村の町おこし活動を定常的に報道しており、北海道新聞などで定期的に報道されているから特筆性があるとしてしまうと、あらゆる市町村の町おこし活動を単独立項してよいということになってしまい、宣伝的な記事の乱立が懸念される。

上記3点を理由とし、この記事はWikipedia:独立記事作成の目安を満たしていないため、栗山町に統合すべきだと考えられます。 なお、統合の議論には直接関係しませんが、以下2点を補足として記載しておきます。

--さえぼー会話2024年6月22日 (土) 10:20 (UTC)返信

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