ハロルド・クロトー
サー・ハロルド・ウォルター・クロトー(Sir Harold Walter Kroto, 1939年10月7日 – 2016年4月30日)は、イギリスの化学者で、王立協会のフェロー、1996年のノーベル化学賞受賞者である。ハリー・クロトーとも。
ハロルド・クロトー Sir Harry Kroto | |
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生誕 |
Harold Walter Krotoschiner 1939年10月7日 ![]() |
死没 |
2016年4月30日 (76歳)![]() |
国籍 |
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研究分野 | 化学 |
研究機関 |
フロリダ州立大学 サセックス大学 |
出身校 | シェフィールド大学 |
主な業績 | バックミンスターフラーレン |
主な受賞歴 |
ノーベル化学賞 (1996) マイケル・ファラデー賞 (2001) |
プロジェクト:人物伝 |
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少年時代編集
1939年に生まれ、イングランド東部のケンブリッジシャー州の町でハロルド・クロトシナー (Harold Krotoschiner) という洗礼名を受けた。この珍しい名前は、シレジアのクロトシン(ポーランド語: Krotoszyn, ドイツ語: Krotoschin)に由来している。父親の家族はポーランドのボヤノヴォ (Bojanowo) に在住していて、母親はドイツのベルリンの出身であった。
両親はともにベルリン出身だったが、父親がユダヤ人であったため、ナチスから逃れて難民としてイギリスに渡ってきた。ランカシャー州のボルトンで育ち、ボルトンの学校に入学したが、そこでは高い評価を受けている俳優のイアン・マッケランと同級生だった。1955年、一家は苗字を短縮してクロトーと改名した。
ハロルドは子供の頃、メカノに夢中になり、科学技術の腕を磨いた。彼はユダヤ人社会の中で育てられたが、宗教には全く興味を持たなかった。彼は、人間主義、無神論、アムネスティ・インターナショナル主義、ユーモア主義の4つの宗教を信仰していると自称している。彼は中等学校で化学、物理学、数学に興味を持ち、6年生の時の化学の教師(後に大学教授になるハリー・ヘンリー)の薦めもあり、シェフィールド大学に進学した。
1963年、マーガレット・ヘンリエッタ・ハンターと結婚した。
初期の研究編集
1961年、クロトーはシェフィールド大学から化学の最初の学位を得て、1964年同じシェフィールド大学から博士号を得た。彼の博士論文のテーマは、光開裂によって生じるフリーラジカルのスペクトルの共鳴に関する研究だった。
クロトーの博士課程時代の研究では、炭素とリンが二重結合で結合した化合物の初めての報告や、複数の多重結合を持つ化合物の研究へと繋がる亜酸化炭素 (O=C=C=C=O) の研究など、論文になっていないものも多い。彼は有機化学への魅力から研究を始めたが、分光学について学んだ頃から、量子力学に興味を抱き始めた。
カナダの国立研究所とアメリカ合衆国のベル研究所でのポスドク研究が終わると、1967年よりイギリスに戻りサセックス大学で教鞭をとることとなった。1985年には教授になり、1991年から2001年には王立協会の教授を務めた。
その後の研究編集
1970年代には、サセックス大学で星間物質の中に炭素化合物を探すプロジェクトを立ち上げた。初期にはシアノアセチレン (H-C≡C-C≡N) 分子が見つかっただけだったが、1975年から78年にかけて、クロトーのグループはさらに長シアノブタジイン (H-C≡C-C≡C-C≡N) やシアノヘキサトリイン (H-C≡C-C≡C-C≡C-C≡N) のスペクトルデータを得た。またそれらを説明する過程で、フラーレンの存在も見つけた。彼は、リチャード・スモーリーとロバート・カールがテキサス州のライス大学でレーザー分光学を使った実験を行っていると聞いて、星の大気中で起こる炭素化学の反応を実証するために彼らもライス大学の装置を使うべきだと主張した。
1985年9月に行われた実験により、星の大気中では炭素鎖ができるだけではなく、驚くべき、偶然の結果であるが、フラーレンができうることも実証された。3人の化学者は、ジム・ヒース(現カリフォルニア工科大学教授)、シーン・オブライエン(現テキサス・インスツルメンツ)、ユアン・リー(現オークリッジ)らの大学院生とともに実験を行った。カール、クロトー、スモーリーの3人は、1996年のノーベル化学賞を受賞した。
1995年、クロトーはイギリスで始まったベガ・サイエンス・トラストの設立に参加し、ノーベルレクチャーでの講演、インタビュー、討論やテレビやインターネットで放送された番組の質の高いフィルムを作成するのに関わった。ベガでは100を超えるプログラムを保存しているが、そのうち50はBBCの深夜番組であり、ベガのウェブサイトで無料で見ることができる。これまでに30万から70万の人が利用している。クロトーがデザインしたサイトには、165カ国からのアクセスがある。
クロトーは晩年、ナノテクノロジーの研究を行っていた。
2009年の設立当初から晩年まで横浜市の理数科公立高校、横浜サイエンスフロンティア高等学校のスーパーアドバイザーを務めた[1]。
受賞・栄誉編集
クロトーは1990年に王立協会のフェローに選ばれた。1996年にはナイトに叙せられ、以来サーを名乗っている。ノーベル化学賞も受賞している。また、イギリスヒューマニスト協会の支援者として知られる。
- 1992年 ジェームス・C・マックグラディ新材料賞受賞。
- 1994年 EPS欧州物理学賞受賞。
- 1995年 母校のサセックス大学から名誉博士号を贈られた。
- 2001年 王立協会からマイケル・ファラデー賞を贈られた。
- 2002年 フェローだった王立科学協会の会長に選出され、2005年まで務めた。彼の在任期間は、歴史上で最も成功した期間だったといわれている。
- 2004年 11月29日、彼は化学学部の閉鎖性に抗議して、エクセター大学から贈られた名誉学位号を返上する事を表明した。
- 2004年 王立協会からコプリ・メダルを授与された。
- 2005年 6月17日、サリー大学から名誉博士号を授与された。
- 2005年 シェフィールド大学はクロトー研究所とナノサイエンス・テクノロジーセンターを含むクロトーリサーチキャンパスを設立した。